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第四十二話:捏ね回して捻る

赫竜襲来の防衛戦から数日。


バッカス亭の厨房は、かつてないほどの大量の仕込みに追われていた。


あの日、南門広場で解体した赫竜の肉。広場で振る舞ったとはいえ、三十メートルを超える巨体の肉はまだまだ山のように余っている。『暴飲暴食の聖域』による広域展開で毒素と臭みは完全に抜け、鮮度も保持されているが、生肉のままいつまでも置いておくわけにはいかない。


(……とはいえ、全部を干しジャーキーにするのも味気ない。あの暴力的なまでの旨味と脂……長期保存しつつ、最高に美味く食うなら『あれ』しかないな)


「セラさん、頼んでいた羊の腸の塩抜きは終わりましたか?」


「はい、アル様。完璧な状態に戻しております」


厨房の右腕であるセラが、透き通るような腸の皮をボウルに入れて持ってくる。


アルフレッドが作ろうとしているのは、保存食の王様――ソーセージだ。


「よし。じゃあ、まずは肉の細断ミンチからだ」


アルフレッドは赤身が美しい赫竜の肉と、雪のように白い魔力のサシの塊をまな板に並べた。


極上のソーセージを作るための絶対条件。それは「肉の温度を絶対に十度以上に上げないこと」だ。肉の温度が上がると、赤身のタンパク質と脂が分離(ボソボソに乳化不良)してしまい、あの「パキッ」という食感と「ジュワッ」と溢れる肉汁が完全に失われてしまうのだ。


「アイリス。対象の肉と脂、そして俺の手元の空間温度を『二度』で完全固定しろ」


【……ん。承認。局所的な絶対定温領域コールド・スポットを展開します】


アイリスの演算も魔力効率の上昇により、まな板の周囲の温度管理もお手の物。手元だけが真冬のような冷気に包まれる。


アルフレッドは冷え切った赫竜の肉と脂を『七対三』の黄金比で合わせ、そこに黒胡椒、ニンニク、ナツメグ、そして岩塩をたっぷりと振りかけた。


「セラさん、俺が肉を練り上げます。一定のペースで、少しずつ氷水を足していってください」


「承知いたしました」


冷気の中で、アルフレッドは肉を素手で力強く練り上げていく。岩塩がタンパク質を溶かし、肉と脂と水分が完璧に結びつく(乳化する)。粘り気が出て、美しい桜色のペースト状になった肉種を、専用の口金を使って羊の腸へと空気が入らないようにパンパンに詰め込んでいった。


等間隔でねじり、紐で縛れば、見事な生ソーセージの完成だ。


だが、ここからが分子ガストロノミーの真骨頂である。


「アイリス。寸胴鍋の湯温を『七十二度』で固定。沸騰させずに、芯までゆっくりと熱を通す(ポシェ)」


【……ん。湯温七十二度を維持。タンパク質の過度な収縮を防ぎ、ケーシング(腸)の破裂を完全に防止します】


七十二度の湯でじっくりと十五分。


肉汁を一切外に逃がさず、極限まで旨味を閉じ込めたソーセージがツヤッツヤのパンパンに茹で上がった。


「仕上げだ!」


アルフレッドは茹で上がった極太のソーセージを、薄く油を引いた中弱火で熱した鉄板へ放り込んだ。


「アイリス、鉄板の温度は百七十度で固定だ」


【……ん。承認。】


ジューーッ!! と暴力的なまでに食欲をそそる焦げる音と、赫竜の脂の香ばしい匂いが厨房いっぱいに弾ける。


表面の腸が熱でピンと張り詰め、こんがりとした美しい焼き色(メイラード反応)がついた。


「これに合わせるのは、やっぱりこれしかないよな」


軽くトーストしてバターを塗った、ふわふわのコッペパン。そこに、鉄板から上げたばかりの熱々の極太ドラゴン・ソーセージをドカンと挟み込む。上から、自家製のマスタードソースと、酸味を効かせたキャベツの酢漬け(ザワークラウト)、五ミリ角粗みじん切りに切った玉ねぎをたっぷりと乗せれば……


「完成だ。赫竜の極上ホットドッグ」


「……ごくり」


隣で見守っていたセラが、感情の薄いクーデレメイドとは思えないほど、分かりやすく喉を鳴らした。


「さあ、セラさん。味見を――」


アルフレッドが、出来立てのホットドッグをセラに手渡そうとした、まさにその時だった。


バンッ!!!


バッカス亭の分厚い扉が、蝶番が吹き飛ぶほどの勢いで蹴り開けられた。


「アッ、アルの旦那ぁぁぁっ!! ぜぇっ、はぁっ、大変だ、王都で、男爵様が、フェリシアお嬢様がぁっ!!」


店に転がり込んできたのは、バッカス亭の隣に店を構え、流通を担う商人のラモンだった。


馬を何頭も乗り潰してきたのか、服は泥だらけで目は血走り、酸欠で口から泡を吹きかけながら、尋常ではない早口で何かを捲し立てている。


「お、王都のクソ王子が、旦那の料理の噂を嗅ぎつけて、男爵様を打ち首にって、お嬢様は妾部屋に監禁されて、あわわわわ、もう終わりだ、領地も全部没収で――!!」


「落ち着いてください、ラモンさん。クソは言い過ぎですし、何を言っているのか全く聞き取れません」


アルフレッドはいつものバーテンダースマイルを浮かべると、パニックに陥って口をパクパクさせているラモンの口に、手元にあった『極上ドラゴン・ホットドッグ』を、無慈悲に、かつスコンと見事なストライクでねじ込んだ。


「んぐっ!?」


「まずは噛んで。それからゆっくり話してください」


突然口に異物を突っ込まれたラモンは、目を白黒させながらも、本能的にそれを「ガリッ」と噛みちぎった。


パキィィィィィンッ……!!


その瞬間。


限界まで張っていた羊の腸が弾ける、脳髄に響くような極上の破裂音。


「……んぐっん」


直後、ラモンの口内に、七十二度で完璧に閉じ込められていた赫竜の『暴力的なまでの旨味と熱々の肉汁』が、まるでダムが決壊したかのようにドバァァァッと爆発した。


「――――ッ!!?」


ラモンの瞳孔が限界まで開いて硬直し、ラモンの「時」がピタリと止まった。


赫竜の野性味溢れる赤身の味を、魔力の脂の強烈な甘みが包み込み、自家製マスタードの酸味と辛味がそれを極限まで引き立てる。トーストされたパンのサクッとした食感と、ザワークラウトの爽やかな歯ごたえ、玉ねぎのアクセントが、無限に押し寄せる肉汁のくどさを完全に中和し、次の一口を強制的に要求してくる。


そして、遅れて「時」は動き出す。


「うっ……美味ぇえええええええええええええええええッ!! なんだこれぇぇ! 肉汁が滝だ! 旨味の暴力だ! パンとソーセージの黄金比が俺の脳細胞を焼き尽くすぅぅぅぅっ!!」


ラモンは涙を流しながら、たった数秒で巨大なホットドッグを跡形もなく胃袋へと飲み込んだ。


「んぐ……ゴクン……うまっ。ふぅ……落ち着きましたか?」


アルフレッドがいつの間にか自分の分を平らげ、布巾で手を拭きながら優しく尋ねる。


「……あ、ああ。最高に美味かった。俺の人生で食ったものの中で一番……って、馬鹿野郎!! それどころじゃねえんだよ!!」


ホットドッグのあまりの美味さに、一瞬だけ宇宙の理でも理解して悟りを開き始めていたラモンが、我に返ってカウンターに縋り付いた。


「アルの旦那! 冗談じゃねえんだ! フェリシアお嬢様が……第一王子に目をつけられたんだ! あんたの『黄金の雨』の噂が王城に漏れて、それを隠匿した罪で、男爵様は【背反】の罪で数日後に打ち首だ!」


「……なんだと?」


アルフレッドの微笑みから柔らかさが消えた。


「それだけじゃねえ! 第一王子は、あんたの力を独占するために、お嬢様を妾にするとか言って軟禁しやがったんだ! あのクソ王子は、自分の思い通りにならない女を調教して壊すのが趣味の、外道中の外道だ!!」


静寂。


バッカス亭の厨房の空気が、一瞬にして氷点下まで冷え込んだ。


「……セラさん」


「はい、アル様」


アルフレッドの低く、一切の感情を排した声に、セラが即座に応える。


彼女の薄藍色の瞳からは、すでにハイライトが完全に消え去っていた。その細い手が、無意識のうちにドラゴン肉用に使っていた巨大な牛刀の柄を、ギリッと握りしめている。


「……俺たちの仲間が、随分と理不尽な目にあっているらしいな」


アルフレッドはゆっくりとエプロンを外し、カウンターの上に置いた。


表のバーテンダースマイルは、すでにない。そこにあるのは、自らの大切な人を、そして居場所を脅かした者に対する、静かで冷酷な怒りだった。


「ラモンさん。情報提供、感謝します。……セラさん、出張の準備を」


「承知いたしました。……害虫の駆除おそうじですね」


「えぇ、捏ね回して捻って、少し料理してあげましょう」


王都の腐敗した権力が、絶対に手を出してはいけない『料理人』の逆鱗に触れた瞬間だった。


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