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閑話:???その三

どこまでも続くような静寂の中、かすかに布巾で木材を磨き上げる音だけが響いていた。

薄暗い空間。


男は、カウンターに座り、よく冷えた琥珀色の酒と、小さな木箱を取り出した。


木箱の中には、男が「お気に入り」と認めたあの奇妙な若者が、仕込んでおいてくれた特製のツマミが入っている。


魔力による強制的な熟成で極限までアミノ酸を引き出された猪肉のジャーキーと、桜のチップで燻された濃厚なチーズ。


「……ったく。あいつがこの世界に来る前の俺は、どうやってあの干からびた供物と退屈な味で満足してたんだか。今じゃもう思い出せやしねえ」


男はジャーキーを一枚口に放り込み、冷えた酒でそれを流し込んだ。

噛めば噛むほどに溢れ出す、暴力的なまでの肉の旨味。鼻腔を抜ける上品な燻香。


たまらず漏れた感嘆の溜息は、やがて低く、どこか人ならざる重みと次元の違う威圧感を帯びた笑い声へと変わっていった。


「くくっ……がはははっ! 最高だ。魔法に依存しきって停滞したこの世界に放り込んだ、最高の劇薬じゃねえか」


男がふと顔を上げる。

その瞳の奥には、遥か高みから世界そのものを盤上として見下ろすような、深淵の光が宿っていた。


男は、空間を透過し、南の街の広場と、遥か北に位置する王都『白亜の宮殿』を同時に俯瞰している。


「まさかあの小娘が、自らの狂信でこの俺が創った世界のシステム(理)をバグらせて、概念兵器ユニークスキルなんぞに覚醒するとはな。生態系の頂点たる竜を、ただの『食材』として解体しちまうとは恐れ入ったぜ」


男の目には、広場で血まみれの若者に寄り添い、安堵の涙を流す少女の姿が映っていた。

だが、世界を管理する彼の目には、もう一つの「致命的な事実」もはっきりと可視化されていた。


人間の『魂の器』には、生まれつき厳格な容量(レベル上限)が定められている。


本来魔力すら持たない少女の器で、『有機物の絶対切断』という物理法則を無視した巨大な概念を振るうことは、薄いガラスのコップに煮えたぎる鉛を注ぎ込むに等しい。


「……今はあいつの傍にいて落ち着いてるが、あの小娘の器には、すでに無数のヒビが入っちまってる。次にあの力を全開にすれば……間違いなく、魂が砕け散るぞ」


男は酒を煽り、今度は北の王都へと視線を移した。


第一王子の妾部屋。

屈辱的な扱いを受けながらも、その瞳に決して消えない絶対零度の怒りと、愛する者たちを守るという強烈な母性を燃やし続ける気高い令嬢。


「……こっちのお嬢ちゃんも、時間の問題だな」


世界システムが、令嬢の魂から発せられる異常な波長を検知し、男の脳内に警告音アラートを鳴らし始めている。


ただの人間が抱くには、あまりにも巨大すぎる慈愛と庇護の念。


理不尽な世界から、大切な男と帰るべき居場所を『完璧に守り抜きたい』という彼女の強すぎる願いは、間もなく限界点(閾値)を突破し、新たな『特異個体』を生み出そうとしている。


彼女もまた、己の魂の器の限界を超えて、新たな概念ユニークスキルに覚醒しようとしているのだ。


「……退屈しのぎにルールを破って、異世界からあのバーテンダーの魂を引っ張ってきたのは俺だ。……だが、まさかここまで面白く……いや、愛おしい連中になるとは思わなかったぜ」


男は、分厚い手で卓をポンと叩いた。


神は本来、下界の理に直接干渉してはならない。


魂の器が壊れ、彼らが自滅したとしても、それはただの寿命。神が手出しすべき領域ではないのだ。


だが。


「……常連客や、よく働く身内(従業員)に美味い酒を奢ってやるのは、店主の特権だからな」



男はニヤリと笑うと、何もない空中に右手を差し入れた。



空間に走った亀裂の奥から、彼が慎重に取り出したのは、親指ほどの小さな小さなガラスの小瓶だった。


その中には、星の瞬きを液状化したような、神々しく黄金に輝く一滴の雫が揺蕩っている。



神の酒――『ネクタル』。



それは傷を癒やす回復魔法の類ではない。

魂の器そのものの材質を神の領域にまで作り替え、物理的・概念的な限界を無限に『拡張』する、神話の時代の霊薬。


一口でも飲めば、いかなる強力なスキルを振るおうと魂が崩壊することはなくなり、副次的に寿命の概念すら超越する。


「狂信も、特大の母性も、そして……超伝導化しちまっていつ自己崩壊してもおかしくないあの男の無茶な生き方も。全部、この酒の器で受け止めてやる」


男は小瓶を懐にしまうと、再びジョッキを持ち上げた。


もうすぐ、王都からあの慌ただしい行商人が、血相を変えてこの街に帰ってくるはずだ。


そして、あの穏やかなバーテンダーは必ず、自らの大切な人を取り戻すために王都へと牙を剥くだろう。


「急いで帰ってこい。……お前らが王都の腐った連中を料理しに行く前に、とびきりの『食前酒』を奢ってやるよ」


夜明け前。

この世界を管理する男は、空になったグラスを置き、来るべき時に向け、静かに笑った。


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