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第四十一話:勝利と敗北

「ひぃぃぃっ! や、やめろ! 私を誰だと思っている! 留守を預かる代官だぞ!!」


「うるせえ! てめえらみたいなクソの役にも立たねえハイエナは、男爵様とフェリシア様が王都からお戻りになるまで、地下の冷てえ牢屋で反省してな!」


南門広場の端では、バッカス率いる自警団と冒険者たちが、気絶から目を覚ました代官と、下着姿で震え上がる三十人の領兵たちを太い麻縄で簀巻きにしていた。


非常時に保身に走り、安全になった途端に手柄を横取りしようとした愚者の末路。芋虫のように地面を転がりながら連行されていくその滑稽な姿に、周囲を取り囲む領民たちから容赦のない嘲笑と怒号が浴びせられた。


(……やれやれ。ようやく静かになったか)


アルフレッドは内心で深く息を吐き出すと、表情をいつもの「穏やかなバーテンダーの笑み」へと切り替え、広場の中心――山のように積まれた赫竜の極上素材へと向き直った。


「アル坊……! お前、本当によくやってくれた!」


「セラちゃんも、ガレン先生も! あんたたちがいなきゃ、この街は今頃地図から消えてたよ……ッ!」


「いえ、皆様が防衛線を持ち堪えてくださったおかげです。……さあ、感謝の言葉は後にして、傷ついた身体を休めましょう。これだけ極上の素材が揃っているんです。祝勝会と洒落込みましょう!」


アルフレッドのその粋な宣言に、広場から割れんばかりの歓声が上がったその傍らで「チッ……祝勝会よりまず治療が先だろうが!」とガレンがぼやく。


「ですから祝勝会なのですよガレン、俺のスキルはメディカル・カクテル。食べ物を薬に変えることも出来ます」


◇◇◇


夕刻。広場の中心には巨大な鉄板が並べられ、赤々と炭火が熾されていた。


アルフレッドは、超伝導化した魔力回路の圧倒的なキレを感じながら、調理を開始した。魔法で全てを解決するのではない。魔法はあくまで、生化学的調理の『究極の補助器具』だ。


「セラさん、肉の表面の水分を徹底的に拭き取ってください。……ガレン、悪いですが薬草と岩塩の調合を。あなたの医学的知見で、疲労回復と造血に特化した配合をお願いします」


「……チッ、料理の下準備まで医者にやらせる気か。だが、死に損なった連中のバイタルを戻すには、それが一番合理的か」


ガレンが文句を言いながらも的確にハーブをすり潰す横で、アルフレッドは巨大な寸胴鍋に向き合う。


中には、砕いた竜の肋骨と水。


「アイリス、鍋の内部に超音波帯域の微細振動を照射。骨の髄液からゼラチン質と旨味成分(グルタミン酸)だけを強制抽出してくれ」


【……ん。承認。対象へ特定周波数の魔力振動を照射します。振動帯域を30Hzで固定、対象の鍋を魔力コーティングし共振効率を増加させます。】


数時間煮込まなければ出ないはずの濃厚な出汁が、わずか数分で白濁したスープとなって現れる。アルフレッドはそこにガレンのハーブを投入すると、すかさず両手をかざした。


「『氷点濾過アイス・フィルタリング』。液温をマイナス二度まで急冷。不純物とエグ味だけを結晶化させて取り除く」


シャリッ、と音を立ててスープ表面に浮かび上がった不純物の氷の膜を掬い取ると、後には琥珀色に澄み切った、極上の【竜骨のクリアコンソメ】が完成した。


続いてメインの肉だ。


セラが完璧に筋を断ち、美しく切り分けた分厚いロース肉を、アルフレッドは熱した鉄板の上に並べる。


(……アイリス、肉の表面に魔力の薄膜(コーティング)を頼む。水分の蒸発を完全に防ぎたい。俺は肉の中心温度を五十八度で完璧に火入れして見せる。こんなに良い食材なんだ。余計なことはせず、本来の旨味で楽しもう。)


ジューッ、と香ばしい音が響くが肉の表面から肉汁が漏れ出すことも蒸気が上がることもない。


【……ん。報告。薄膜魔力コーティング異常無し。水分の漏出は認められません。】


アイリスはアルフレッドの意図をコンマ一秒の遅れもなく現象化する。肉のタンパク質が硬く収縮しないギリギリの温度帯を維持し、滲み出た魔力のサシを自らの熱で赤身に浸透させていった。


「よし完成だ!皆さん!お待たせいたしました!俺の特製『メディカル・カクテル』です!残さず召し上がってください!」


アルフレッドが切り分けた【ロースト・ドラゴンのタリアータ】。断面は、一切のドリップ(肉汁)をこぼさない、完璧なルビー色に輝いていた。


「う、うおおおおおっ……! な、なんだこれぇぇぇッ!?言われなくても残すわけ無いだろ!」


「痛みが……火傷の痛みが、引いていく……ッ!」


肉を頬張り、スープを飲んだ領民たちから、驚愕の声が上がる。


細胞の再構築に最適な温度でアミノ酸分解された極上のタンパク質と、ハーブの薬効。それがドラゴンの莫大なカロリーと共に胃壁から急速に吸収され、彼らの傷ついた身体を内側から劇的に癒やしていく。


広場には傷を負ったままの者は一人もおらず、狂喜乱舞の宴会場と化していた。


◇◇◇


夜がすっかり更け、宴の喧騒が心地よい子守唄のように響く頃。


バッカス亭の裏庭にある、小さな薪小屋の屋根の上。


アルフレッドは、隣に座るセラの取り皿に、炙った『聖域肉バー・テンダー』の残りをそっと取り分けた。


「セラさん、舌の調子はどうですか? 痛みはないですか」


「はい、アル様。……アル様が完璧に治してくださったおかげで、味覚もはっきりと感じられます。とっても……美味しいです」


「それは良かった。このお肉、とてつもなく美味しいですね。セラさんに助けられ、こうして味わうことが出来て、本当に感謝しています」


アルフレッド身体は超速再生によって無傷まで戻り、味覚も当然失われてはいない。だが、己の命を救うために猛毒の肉を口にし、舌を焼いた彼女の献身に、アルフレッドは深い感謝と申し訳なさを抱いていた。


「……フェリシア様。今頃、王都でどうされているでしょうか」


セラが、薄藍色の瞳で北の夜空を見上げて呟く。


「……フェリシア様は、俺たちが隣領で起こした『奇跡』が、王都のタヌキどもに目をつけられないよう、自ら表の盾となって泥を被ってくれています。本当に……頭が上がらないですね」


アルフレッドは、自分の平穏を守るために王都へ赴いた、あの溌剌として母性あふれる令嬢の顔を思い浮かべる。


「ただの料理人である俺を庇うために、あんな堅苦しい貴族社会の折衝を一身に背負わせてしまった。……無事に、何事もなく帰ってきてくれるといいんだが」


アルフレッドの呟きは、秋の夜風に溶けて静かに消えていった。


◇◇◇


――同時刻。王都、王城『白亜の宮殿』。


最も権威ある大謁見の間。


「……以上の通り、フォンテーヌ伯爵領で発生した謎の疫病は、伯爵閣下の迅速なる判断と、領地が手配した優れた医師たちの不眠不休の治療により、無事終息を迎えました」


豪奢なドレスを身に纏ったフェリシア・ロズウェルは、王座に座る国王ルウ・ファリーヌ・ドゥ・ブールに対し、完璧なカーテシー(淑女の礼)と共に、淀みない報告を終えた。


隣で平伏する父・ロズウェル男爵の背中には、びっしりと冷や汗が浮かんでいる。


(……よし。これで、アルフレッド様のお名前を出さずに、この場を凌げる……!)


フェリシアが内心で安堵の息を吐きかけた、その時だった。


「――ほう? それは奇妙な報告ですね、男爵、そしてフェリシア嬢」


玉座の傍らから、豪奢なマントを羽織った金髪の青年――第一王子が、靴音を響かせて進み出た。


彼の切れ長で爬虫類のような瞳が、フェリシアの豊満な肉体を舐め回すように見つめている。


「私の耳に入っている情報とは、随分と食い違う。……伯爵領の広場に『黄金の雨』を降らせ、数千の民をたった数分で救い切った……神の如き奇跡を振る舞う【バーテンダー】なる料理人がいる、と」


「っ……!」


フェリシアの肩が、ビクリと震えた。


「で、デタラメでございます、殿下! そのようなお伽噺――」


男爵が慌てて口を開くが、第一王子は冷酷な笑みを浮かべてそれを遮った。


「黙れ。……フェリシア嬢。貴女もかつて、病で骨と皮だけの骸のようだったはず。それが今や、これほど見事に『熟れた』女体へと変貌しているではないか。……貴女も、その料理人の奇跡にあやかった一人なのでは?」


王子の言葉に、謁見の間の空気が完全に凍りついた。


国王の手前、これ以上の言い逃れは不可能だった。王子の手には、すでにアルフレッドの存在を示す確固たる裏付け(証拠)が握られているのだと、フェリシアの聡明な頭脳は絶望と共に理解した。


「国に報告せぬまま、そのような規格外の術者を秘匿するなど……。これは明確な王家への【背反】である! ロズウェル男爵、貴様は打ち首だ!!」


「お、お待ちください殿下! 父様は何も――ッ!!」


フェリシアが叫ぶが、屈強な近衛兵たちが容赦無く男爵を押さえつけ、引きずり出していく。


「そしてフェリシア。貴様は我がものとなれ」


王子がフェリシアに歩み寄り、彼女の顎に触れニヤリと笑った。フェリシアは怯えるどころか、王子の卑しい顔を真っ直ぐに睨み返した。


「……触れないでくださいませ。貴方のような下劣な方に従う理由など、一欠片もございません」


毅然とした、絶対零度の声。


その誇り高い拒絶に、王子の顔が歪な嗜虐心で歪む。


「……ふん。素晴らしい威勢の良さだ。せいぜい今のうちに吠えておくがいい。我が部屋で、泣いて命乞いをするまで……たっぷりと【調教】してやるからな」


表の盾として、愛する人を守るために張った完璧な虚勢。


だが、権力という巨大な暴力の前に、その盾は無残にも砕け散った。


妾部屋へ連行されながら、フェリシアはただ一人、王都の闇の中で静かに、そして激しく、役に立てなかった己への怒りの炎をその胸の奥底に燃え上がらせていた。



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