第四十話:殻剥き
二人の甘い時間が流れる南門広場の中心。
セラの口内を治療し終えたアルフレッドは、自身の右手を見つめながら内心で戦慄していた。
以前であれば、魔力を練り上げ、術式を構築し、発動するまでに、わずかながら「タイムラグ」と「魔力のロス」が存在した。
だが今は違う。息を吸い、指先を動かすのと同じくらい自然に――いや、それ以上に滑らかに、思考がそのまま現象へと直結している感覚があった。
赫竜の『聖域肉』がもたらした、魔力回路の超伝導化。
アイリスの無機質なシステムログが、信じられない数値を弾き出している。
【報告。マスター、現在の魔力操作効率および出力、以前の約四〇〇倍を計測しています。体内の魔力伝導率(ロス率)は〇・〇一%以下。完全なる超伝導状態です】
「四百倍……? 冗談だろ。これなら、ただの初級魔術でも街一つ吹き飛ばせるんじゃないのか?」
【肯定。現在のマスターの魔力回路は、生態系の頂点に匹敵する規格外の出力を獲得しています】
「元素魔術の一つでも使えたら世界最強だったな……」
だが、アルフレッドは自身のチートじみた力に酔いしれるような男ではないどころか、魔法を極める素養もない。彼の中にあるのはただの、しがない『料理人』としての絶対的な本能だった。
「――そんな事より、仕込みだ!!」
アルフレッドは弾かれたように立ち上がり、広場に散乱する巨大なドラゴンの肉塊たちを振り返った。
セラの手によって美しく部位ごとに切り分けられているとはいえ、赫竜の肉には依然として致死量のアンモニアと魔力毒素が残留している。このまま外気に触れさせていれば、数分で腐敗が進み、極上の素材がただの汚物へと成り下がってしまう。
「アイリス! 広場全体に『暴飲暴食の聖域』広域展開! 血とアンモニアが完全に回る前に、すべての肉の毒抜きと臭み消しを行う!」
アルフレッドから光の粒子が漏れ出し、アイリスが素材の前に立った
「……ん。承認。広域浄化プロトコルを開始します」
アイリスが小さな両手を広場に向かってかざした瞬間。
彼女の足元から、南門広場全体をすっぽりと覆い尽くすほどの巨大で複雑な魔法陣が、眩い光を放って瞬時に展開された。
超伝導化した魔力回路から放たれる『暴飲暴食の聖域』。
「毒素強制分解。鮮度保持。……ん、良い感じ」
広場を埋め尽くす赫竜の部位が、淡い光に包まれる。
空気を汚染していた強烈なアンモニアの腐乱臭が、嘘のようにスッと消え去った。
どす黒く変色しかけていた肉の表面から不純物が完全に抜け落ち、鮮やかなルビー色と、透き通るような美しいサシが入った『最高級のドラゴン肉』へと劇的な変貌を遂げる。
「ありがとう、アイリス。これで夕飯のオカズの仕込みは完了だ!」
アルフレッドが満足げに頷いた、その時だった。
「そこまでだ平民ども!! その場から一歩でも動いてみろ、斬り捨てるぞ!!」
広場の感動的で、かつ美味しそうな匂いに包まれ始めた空気を、無残にぶち壊す下劣な怒声。
南のメインストリートから、あの男爵邸でふんぞり返って茶を啜っていた無能な『代官』が、三十人ほどの完全武装した領兵たちをぞろぞろと引き連れて現れたのだ。
彼らは、街が破壊され、領民や冒険者たちが死に物狂いで防衛線を張っていた時には、安全な屋敷の奥で震えていた連中だ。
赫竜が完全に沈黙し、安全が確保されたと見るや否や、手柄を横取りするためにノコノコと姿を現したハイエナ。
「だ、代官様……ッ。あれを、あれをご覧ください!!」
領兵の一人が、広場に綺麗に仕分けられ、臭みも完全に消えた極上のドラゴン素材の山を見て震え声を上げた。
代官の目が、強欲な光でギラギラと濁る。
「おお……おおおっ! なんという事だ、生態系の頂点であるドラゴンの完全な素材……! これほどの戦利品を王都へ献上すれば、私の男爵への昇爵、いや、伯爵家への引き抜きも確実だ!!」
代官は興奮で顔を紅潮させ、アルフレッドたちを見下すようにふんぞり返った。
「いいか貴様ら! このドラゴンは、我らが男爵領の領地内で討伐されたものである! したがって、ここにあるすべての素材は、男爵家――つまり、この私の管理下において全没収とする!!」
「なっ……ふざけるなッ!!」
たまらず声を荒らげたのは、大剣のような斧を持ったバッカスだった。
「アル坊が……たった一人で命懸けで時間を稼ぎ、セラちゃんがそれを討ち取ったんだぞ! てめえら公権力は、屋敷で茶をすすって隠れてただけじゃねえか!!」
「そうだそうだ!」「恥を知れ!!」
アルフレッドに命を救われた領民たちや、ガレン、冒険者たちからも一斉に怒りの声が上がる。
だが、代官は完全に鼻で笑い、忌々しげに手を振った。
「ええい、騒々しい! 平民が貴族の代理人たる私に口答えするか! 領兵ども、そこの血まみれの男と女を不法侵入と騒乱罪で直ちに捕縛しろ! そして、その極上の素材に少しでも傷をつけたら、貴様ら全員、首を撥ねてやるぞ!!」
チャキッ、と。
三十人の領兵たちが、一斉にアルフレッドと領民たちに向けて、冷たい鋼の剣と槍を構えた。
権力という名の、絶対的な暴力。
「……やれやれ。飯の邪魔をする害虫は、どこにでも湧くもんだな」
アルフレッドが、呆れたようにため息をつき、超伝導化した魔力回路を解放しようと一歩前に出た、その瞬間だった。
「アル様」
彼の背後に控えていたセラが、アルフレッドの服の裾を小さく引いた。
アルフレッドが振り返ると、先程までボロボロと涙を流していた彼女の薄藍色の瞳から、再びスッと――光が消え去っていた。
「お食事の前の、厨房の掃除は、メイドの仕事です。……アル様の夕食の邪魔は、させません」
「セラ……? お前、まさか」
セラはアルフレッドの横をすり抜け、怒りで肩を震わせているバッカスの横に立つと、彼が握っていた重い薪割り斧にそっと手を添えた。
「バッカスさん。その斧、少しだけお借りしますね」
「えっ、あ、おう……って、セラちゃん!? それ、めちゃくちゃ重いぞ!?」
バッカスが慌てて止めるのも聞かず、セラはその巨大な斧を、片手で羽毛のように軽々と持ち上げた。アルフレッドに極限まで最適化された身体能力は、華奢な少女の腕に、オーガすら凌駕する筋力を発揮させていた。
セラの視界で、再び『解剖学の眼』が起動する。
武装した領兵たちが、セラに対して明確な「敵性意識」を向けた瞬間だった。
【対象の敵性意識を検知。最適解体手順を脳内へダウンロードします】
だが、彼女のユニークスキル『構造理解の屠殺人』は、有機物(生物)にしか絶対切断の効果を発揮しない。彼らが着ている分厚い鉄の鎧や兜は、スキルでは切れないのだ。
しかし、セラの感情の抜け落ちた脳髄は、彼らを「兵士」としてではなく、こう認識して処理していた。
(――硬い甲殻に包まれた、ひどく面倒なエビかカニですね)
鉄の鎧であろうと、結局は人間が着るために作られた構造物だ。
『解剖学の眼』は、領兵たちの筋肉の動きだけでなく、彼らが着ている鎧の「革紐の結び目」「留め具の金属ピンの隙間」「関節部分の可動域」といった、構造的な弱点を完全に3Dで透過・把握していた。
「ひ、ひぃっ……なんだその目は! かかれ! そのイカれた女を取り押さえろ!!」
代官の悲鳴のような命令を受け、数人の領兵が槍を突き出してセラへと殺到する。
セラは、無表情のまま、重い斧を構えた。
「甲殻類の殻剥きは……関節を外すのがコツです」
ダンッ!!
石畳が爆ぜた。
セラの姿が掻き消え、直後、領兵たちの密集陣形の中央で、巨大な斧が文字通り「神速の竜巻」となって吹き荒れた。
ガキンッ! ピキィィンッ!! プツンッ!!
広場に響き渡ったのは、肉や骨を断つ凄惨な音ではない。
硬い金属が弾け飛び、革紐が千切れる、軽快な破壊音の連続だった。
セラは、有機物(人間)を一切傷つけていなかった。
彼女は『解剖学の眼』で見切った鎧の「留め具」や「ベルトの継ぎ目」、そして武器の「柄(木製部分)」だけを、巨大な斧の刃先と峰を使って、コンマ一ミリの狂いもなくピンポイントで叩き割り、弾き飛ばしていたのだ。
「な、なんだ!?」「うわぁぁっ、鎧が……っ!」
ほんの十秒。
セラの舞踏が止まった時、広場には信じられない光景が広がっていた。
「あ、あ、あああ……っ」
三十人の完全武装していた領兵たちが、誰一人として一滴の血も流していない(傷一つ負っていない)まま。
すべての鎧の留め具を破壊され、兜を弾き飛ばされ、武器を真っ二つにへし折られ、ただの「薄汚い下着姿」となって、寒空の下に無様に転がされていたのだ。
「さて」
カラン、と。
セラが重い斧を石畳に置き、完全に丸裸にされた領兵たちの奥――ただ一人残された、代官の元へとゆっくりと歩み寄る。
「ヒッ、ヒィィィィィィッ!! ば、化け物ォォォッ!!」
代官は腰を抜かし、尻餅をついたまま後ずさった。彼の股間からは生温かい液体が広がり、高価なズボンを無残に汚している。恐怖のあまり、完全に失禁していた。
セラは、泡を吹いてガタガタと震える代官を見下ろし、首を小さく傾げた。
「……次は、どう調理きましょうか?」
光の消えた瞳と、無表情の少女。
その底知れぬ狂気の前に、代官はついに白目を剥き、バタリと気絶してその場に倒れ伏した。
広場に、再び静寂が降りる。
沈黙を破ったのは、呆気にとられていたアルフレッドの、小さなつぶやきだった。
「……ガレン。お前んとこの元ナース、怒らせたら一番ヤバいかもしれないな」
「……ああ。俺も同感だ。どういう教育をしたんだアルフレッド……」
最強の竜を解体し、権力を丸裸にひん剥いたメイド服の背中を見つめ、男二人は、背中に伝う冷や汗を感じながら、深く頷き合っていた。
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