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第二十六話:攻撃部隊と衛生兵

「これより、俺とセラ、そしてアイリスの三人で……この死神どもを根絶やしにする、至高の『メディカル・カクテル』を作り上げる!」


俺の宣言と共に、絶望に沈んでいた大広間の空気がピンと張り詰めた。


「アルフレッド様! 私にも……私にも手伝わせてください!」


不意に、フェリシアがドレスの裾を強く握りしめながら一歩前に出た。

彼女の黄金色の瞳には、サラ嬢を救いたいという悲痛な思いと、俺の力になりたいという強い意志が宿っていた。


「私も以前、アイリスさんの視覚共有を体験しました! お二人の負担を少しでも減らせるなら……!」


だが、俺は首を横に振った。


「気持ちは嬉しいですが、フェリシア様。今回はお断りします」


「っ……なぜですか! 私では足手まといだと……?」


「足手まといなんて誰も思っていません。ですが、これから行うのはミリ単位の菌の抽出と、マイクロ秒単位の魔力制御です。セラの包丁捌きと厨房での経験値がなければ、共有された視界の情報を処理しきれず、最悪の場合、必要な青カビと致死のバクテリアを混ぜてしまう。……一瞬のブレが、この場にいる全員の死に直結するんです」


俺の残酷なまでの正論に、フェリシアは息を呑んだ。

貴族として領地をまとめる力はあっても、職人としての繊細な技術は彼女にはない。それが明確に分かったからこそ、フェリシアは悔しさに唇を強く噛み締めた。血が滲むほどに。


「……分かり、ましたわ。出過ぎた真似をいたしました。……どうか、サラ様を、皆をお願いいたします」


深く頭を下げるフェリシアの肩が、微かに震えている。


俺はその震える肩にそっと手を置いた。


「フェリシア様には、出来上がった薬を全員に的確に飲ませる指揮をお願いしたい。伯爵家のメイドたちを動かせるのは、あなただけです」


「……はいっ!」


フェリシアが涙を拭い、顔を上げるのを確認すると、俺はすぐに作業へと取り掛かった。


「アイリス、セラに視覚情報の共有を」


「……ん。権限付与、開始」


アイリスがセラのドレスをきゅっと掴むと、セラの瞳がスッと細められた。彼女の視界には今、チーズの表面に広がる微小な生命体の分布図が、光のデータとなって映し出されている。


「セラ、極上のブルーチーズから『ペニシリウム属(青カビ)』が最も純度高く密集している部分だけを、ミリ単位で削り出せ。他の雑菌は一ミリも混ぜるな」


「了解しました。アル様」


セラはさながら熟練の職人の手付きで、ペティナイフを振るう。


ラモンが持ち込んだブルーチーズから、必要な青色の脈絡だけを、まるで芸術品を彫刻するように削り取っていく。削り出された微量の青カビを、俺は愛用の銀のシェイカーの中へと入れた。


「次に純水と、果実の果汁を絞って加える。……だが、これだけじゃ足りない」


俺はラモンの魔法鞄の中から、栄養価の塊である木の実と、薬効成分の強い深緑の薬草を取り出した。


「ペニシリンはあくまで細菌の細胞壁を破壊し、増殖を止めて殺すだけの攻撃部隊『抗生物質』だ。すでに壊死してどろどろに溶けかかっているサラ嬢たちの皮膚や細胞を再生させる機能はない。菌を殺した後に、細胞の超速再生を促すアミノ酸とビタミン、そしてコラーゲンの衛生兵『修復材』が必要だ」


「アイリス、この木の実と薬草に『ディッシュ・リマイク』を実行。組織を完全に分解し、人体に即座に吸収される純粋な細胞修復ペプチドへと変換しろ」


「承認。分子構造の分解および再結合を実行。……最適化完了」


俺の指先から放たれた魔力が、木の実と薬草を一瞬で液状の極上な栄養素へと変異させる。それをシェイカーへと流し込んだ。


青カビ、果汁、純水、そして細胞修復液。すべての材料が揃った銀の筒を手に取り、俺は目を閉じて全神経を掌に集中させた。


「アイリス、シェイカー内部をスキャン。俺の魔力を触媒にして、果汁の糖分をエサに青カビを超速培養し、抗菌物質ペニシリンを限界まで抽出。その後、不要なカビの胞子と不純物を魔力で焼き切って完全な無菌状態にしろ」


「報告。抽出、培養、および遠心分離プロセス開始。……マスター、内部温度を三十五度に固定。魔力出力の微調整をサポートします」


アイリスの冷徹なシステム音声と共に、俺の掌からシェイカー内部へと莫大な魔力が流れ込む。


通常なら数日から数週間かかるカビの培養プロセスを、魔力という万能のエネルギーで数秒にまで短縮・加速させるのだ。アイリスの完璧な演算による内部の温度・圧力管理がなければ、一瞬で熱暴走を起こし、ただの腐った毒水になる。まさに綱渡りのような神業だった。


「……アルフレッド様。すごい、シェイカーが淡く光って……!」


フェリシアが両手を組んで祈るように見つめている。


「……ん。抗菌物質の濃度、規定値に到達。不純物の焼却完了。……マスター、仕上げ」


アイリスの言葉を合図に、俺は目を見開き、シェイカーを勢いよく振り始めた。


――カシャカシャカシャッ!!


極限まで張り詰めた広間に、氷と銀がぶつかり合う、硬質で涼やかな音が響き渡る。


それは、死神の足音に怯えていた患者たちにとって、希望を告げる教会の鐘の音のようだった。抽出されたペニシリンが、柑橘の果汁と細胞修復液に完全に溶け込み、人体への吸収率が最も高い完璧な分子構造へと仕上がっていく。


「完成だ。……『特製メディカル・ネーブル』!」


シェイカーのトップを外し、用意したグラスに注ぐ。

ブルーチーズの青カビから抽出したとは思えない、柑橘が鮮やかに輝く液体がグラスを満たした。蜜柑のような温かい黄色にも、あるいはカボスの皮のような神秘的な青緑にも見える、えも言われぬ美しい色彩。魔力によってカビの嫌な臭みは完全に消え去り、爽やかな果実の香りだけが辺りに漂っている。


「伯爵! これをサラ嬢に飲ませてください。少しでもいい、喉を通せば確実に効きます」


「お、おお……! サラ、サラ! 少しだけ頑張って飲むんだ!」


フォンテーヌ伯爵が震える手でグラスを受け取り、熱で朦朧としているサラ嬢の口元へと運ぶ。サラ嬢は苦しげに咳き込みながらも、果実の甘い香りに誘われるように、ゴクリと鮮やかに輝く液体を飲み下した。


広間にいる全員が、息を呑んで小さな少女の身体を見守る。


十秒、二十秒。


「……あ、ああっ……!」


伯爵が、信じられないものを見るように声を震わせた。


サラ嬢の首筋や細い腕を侵食していた赤黒い斑点が、まるで熱した鉄板に落とした水滴のように、ジュウジュウと音を立てて消滅し始めたのだ。


ペニシリンが『人食いバクテリア』の細胞壁を破壊し、体内から死神を文字通り根絶やしにしていく。


それだけではない。菌が死滅した端から、カクテルに含まれた細胞修復液が凄まじい勢いで患部へ浸透していく。どろどろに溶けかかっていた皮膚の細胞が、薄い膜を張り、肉が盛り上がり、ほんの数分のうちに元の滑らかな赤子の肌へと再生していった。


「熱が……サラの熱が引いていく! 息も、肌も元通りに……!」


「嘘だ……光の神の最高位魔法でも治せなかった悪魔の病が、あんな果実水の一杯で……!?」


床にへたり込んでいた神官が、目をひん剥いてガタガタと震え、信じていた常識が崩壊する音を聞いていた。


「奇跡じゃない。これが化学と、俺たちの料理の力だ」


俺は残りのブルーチーズと果実を手に取り、セラとフェリシアを振り返った。


「フェリシア様! メイドたちに指示を! セラは材料の切り出しを続けろ! 広間にいる全員に飲ませるんだ!」


「はいっ!」


「メイドたち、アルフレッド様のグラスを受け取って! 順番に、一人残らずこぼさずに飲ませるのよ!」


悔しさを乗り越えたフェリシアの的確な指揮の下、俺とセラの連携はまさに神速だった。


セラがアイリスの視覚共有で的確に材料を切り出し、俺が超速培養と修復液の精製を繰り返す。出来上がった鮮やかに輝く液体を、フェリシアとメイドたちが次々と患者の口へと運んでいった。


三十分後。


「――はぁっ…やりきったぞ……」


広間を満たしていた死の臭いは完全に消え去り、料理長をはじめとする患者たちは皆、嘘のように穏やかな寝息を立てていた。


「アルフレッド殿……! ああ、なんとお礼を言えば良いか! ロズウェル家の至宝、奇跡の料理人よ! あなたはフォンテーヌ領の救世主だ!」


伯爵が俺の手を強く握り締め、ボロボロと大粒の涙を流して感謝の言葉を繰り返す。


神官もまた、自分の無知と傲慢を恥じるように床に突っ伏して咽び泣いていた。


「……ん。マスター、お疲れ様」


アイリスが俺の肩に頬を擦り寄せ、セラとフェリシアも安堵の笑みを浮かべて肩の力を抜いた。俺もようやく、張り詰めていた緊張の糸を解こうと大きく息を吐き出した。


――その時だった。


「伯爵様ァァァッ!!」


広間の扉が乱暴に蹴破られ、街の巡回警備に出ているはずの騎士が、血走った目で飛び込んできた。


「どうした! 館のパンデミックは今、アルフレッド殿の力で終息したところだ! 騒ぐでない!」


伯爵が騎士をたしなめるが、騎士の顔に浮かんだ絶望は少しも晴れなかった。


「ち、違うのです伯爵様! 街が……街の広場が地獄になっています! 祭りに集まっていた領民たちが、次々と高熱を出して倒れ……腕や首に『赤黒い斑点』が……ッ!」


「な、なんだと!?」


伯爵が絶叫し、俺の心臓が早鐘のように跳ね上がった。


「なぜ街で……!? まさか、この短時間で感染者が街に逃げ出したとでも言うのか!?」


「いいえ! 倒れた者たちは……生誕祭の祝いとして、今朝、この館の厨房から運び出された『砂糖をまぶした焼き菓子』を食べた者たちです!!」


「――――ッ!!」


俺の頭を、冷たいハンマーで殴られたような衝撃が貫いた。


(焼き菓子……クッキーか! くそっ、そういうことか!)


『人食いバクテリア』こと劇症型溶血性レンサ球菌は、熱に弱い。七十五度で一分加熱すれば死滅する。だから、火を通したスープや肉料理が感染源になる可能性は低かった。


だが、祝いの品として焼かれた特別な砂糖菓子。この世界に焼き上がったお菓子を密閉するラップなど存在しない。


熱々のオーブンから取り出された後、冷ますために『パンデミックの爆心地である厨房』に、裸のまま長時間放置されていたのだとしたら。


菌の最高の栄養源である『砂糖』をたっぷり含んだその菓子は、大気中の魔力とバクテリアをスポンジのように吸い込み、最悪の『細菌爆弾』として完成してしまっていたのだ。


「アルフレッド様……! どうしましょう、街の皆さんが……!」


フェリシアが顔面を蒼白にして俺の腕を掴む。


「……すぐに薬を作る! セラ、ラモンさんから受け取った食材の残りは!」


俺は振り返り、床に広げた布の上を確認した。


だが、そこにあるのは、絞り尽くされた柑橘の皮と、削り取られて青カビ部分が完全に無くなったただのチーズの塊だけだった。


「アル様……もう、ラモンさんからいただいたブルーチーズは……すべて使い切ってしまいました」


セラの声が震えている。


「ラモンさん! 魔法鞄の中に、他にもブルーチーズのストックは……!」


俺が縋るように叫ぶと、ラモンは苦渋に満ちた顔で首を横に振った。


「すまねえアルフレッドさん……。納品帰りだったからな、本当にあれが最後の一つだったんだ…肝心の『カビのついたチーズ』は、もう一つも残っちゃいねえ……!」


「……っ」


広間に、先ほどよりもさらに深く、重く冷たい絶望の沈黙が落ちた。


俺の魔力干渉では、数千人に及ぶ領民を治しきる前に俺の命が尽きる。


そして、物理的な特効薬であるペニシリンを作るための『青カビ(抽出元)』は、たった今、この館の人間を救うために完全に底を突いてしまった。


街では今この瞬間も、何千もの人たちが、あの恐るべきバクテリアに肉を溶かされながら死を待っているのだ。

俺は空になった銀のシェイカーを握り締め、底なしの絶望の前にただ立ち尽くすことしかできなかった。

本日はパンデミック編・完結までここから、22時まで2時間おきに連続更新します! お見逃しなく!


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