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第二十三話:朗報と凶報

翌朝。

小鳥のさえずりと、窓越しに差し込むフォンテーヌ伯爵領の爽やかな朝日を浴びながら俺は目を開いた。


「……重い」


当然である。俺の右腕にはセラのしなやかな身体が、左腕にはフェリシアの柔らかく豊かな身体が、それぞれ俺を逃がさぬようにしっかりと抱きついている。そして胸の上には、白亜の妖精のような幼女――アイリスが、丸くなってスヤスヤと寝息を立てていた。


極上の匂いと、三方向からの圧倒的な柔らかさに包まれた夜。


男としてはこれ以上ない天国のような状況だったが、理性を総動員して耐え抜いた結果、俺の目の下にはうっすらとクマができていた。文字通り、一睡もできなかったのだ。


「……ん。おはよう、マスター」


俺が小さく寝返りを打とうとした振動で、胸の上のアイリスが目を覚ました。


透き通るような純白の髪から覗くのは、色素を一切持たない真っ白な瞳。完全なアルビノである彼女の姿は、朝の光に溶けてしまいそうなほど神秘的だった。


アイリスは白い瞳をこすりながら身を起こし、俺の顔をじっと覗き込む。


「報告。マスターの睡眠不足を確認。疲労蓄積度七十二パーセント。……バイタルは正常値」


実体化している彼女の口から紡がれるのは、淡々としたシステマチックな音声だった。脳内に響いていた時と同じ冷徹な口調だが、今は物理的な『声』として耳に届いている。


「誰のせいだと思ってるんだ……。まあいい、おはようアイリス」


アイリスが起き上がった気配で、両脇の二人も「んっ……」「……あ、アルフレッド様……おはようございますわ」と、パチパチと瞬きをしながら目を覚ました。


「おはよう、二人とも。……とりあえず、起き上がってもいいかな?」


俺が苦笑しながら言うと、二人は昨晩の強引な添い寝を思い出したのかハッとして顔を赤らめ、慌てて俺から身を離した。


身支度を整え、宿のメイドに朝食のルームサービスを手配した俺たちは、部屋の広間にある豪奢なソファに向かい合って座った。


セラとフェリシアは、俺の隣で大人しく膝の上に座っているアイリスを、まだ少し複雑そうな、探るような目で見つめている。


「さて。まずはアイリス、お前が実体化したことによる『機能の変化』を検証しておきたい」


「……ん。承認」


俺が問いかけると、アイリスは猫のように短い返事でこくりと頷いた。


昨夜のドタバタでうやむやになっていたが、俺の固有魔法である彼女が物理的な身体を持ったことは、俺の料理や治療においてとてつもない変化をもたらすはずだ。


「まず、その実体化は解除できるのか?」


「回答。マスターの意志、または魔力供給のカットにより、任意での意識内退避が可能。……戻る」


アイリスがそう告げた瞬間、彼女の身体が青白い光の粒子となってフワリと霧散し、俺の胸の中に吸い込まれて消えた。


【マスター。意識内への退避を完了しました】


(なるほど。中に入っている時は、今まで通り直接脳内に語りかけてくるわけか)


俺が『出てこい』と念じると、再び光が集束し、俺の膝の上にトンッと軽い音を立ててアイリスが現れた。魔力の消費もそこまで大きくないようだ。


「魔法の妖精みたいですわね……。では、アイリスさんご自身が、魔法を放ったりすることはできるのですか?」


フェリシアが不思議そうに尋ねると、アイリスは無表情のまま首を横に振った。


「回答。戦闘機能、および攻撃能力はゼロ。私の存在意義は、あくまでマスターの演算補助およびシステム管理への特化」


システマチックに答えた直後、アイリスは俺のシャツの袖をギュッと握り、甘えるようにスリスリと頭を擦り付けてきた。


「……戦えない。マスターに守ってもらう。……ん」


システム的な音声と、普段の猫のような仕草。そのあまりの愛らしさとギャップに、俺の頬が自然と緩む。


「……アル様。お顔がデレデレになっています」


「アルフレッド様、私たちというものがありながら……」


セラとフェリシアから、再びジト目とゴゴゴ……という嫉妬のオーラが立ち上り始めた。いけない、検証に集中しなければ。


「こ、コホン。……アイリス、他に実体化したことによるメリットはないのか? 演算処理が早くなったとか」


俺が咳払いをすると、アイリスは真っ白な瞳を少しだけ瞬かせた。


「報告。物理干渉権限の獲得に伴い、『システム権限のローカル共有』が可能となりました」


「システム権限の共有……? どういうことだ?」


「……マスターが許可した対象に、私の機能を貸し出す。……やってみる」


アイリスは俺の膝から飛び降りると、セラとフェリシアの前にトコトコと歩み寄った。そして、小さな両手を伸ばし、二人の額にそっと触れた。


「……権限付与。視覚情報オーバーレイ、開始」


「えっ……? きゃっ!?」


「アル様、これは一体……!?」


二人が同時に驚きの声を上げた。

俺には見えないが、彼女たちの視界には今、俺が普段見ている【生化学の眼ケミカル・アイ】と同じ『AR(拡張現実)』のデータが投影されているようだ。


「見えますか、セラ。テーブルの上にある果実の、成分数値や糖度が」


「……はい! 空間に光の文字が浮かんでいます! このリンゴ……糖度14%、水分量、それに細胞の鮮度まで、はっきりと……!」


セラの瞳が、驚愕に見開かれている。厨房でミリ単位の仕事をする彼女にとって、この視覚情報はまさに神の目にも等しいものだろう。


「補足。視覚情報の共有だけでなく、『メディカル・カクテル』使用時の微細な魔力操作の補助も、マスターの魔力を介して実行可能。マスターの『助手』として、極めて高度な調理や調合を三人で並列処理できる状態にあります」


「なるほど……! アイリスが中継機になることで、俺のチートをセラたちも一時的に使えるようになるのか。これは、とんでもない進化だぞ」


大貴族の生誕祭という大規模な料理を前に、これ以上ない強力な武器だ。俺が感心していると、アイリスはフェリシアとセラの前に立ったまま、じっと二人を見上げていた。


「私は、マスターのシステム。フェリシア、セラと敵対する機能は、未実装」


アイリスは無表情のまま、小さな手を伸ばし、フェリシアのドレスの裾をきゅっと掴んだ。


「……一緒に、マスターを守る。マスターを助ける。……だから、仲良くして。……ん」


そして、仔猫が甘えるように、フェリシアの手のひらに自分の白い頬をスリスリと擦り寄せたのだ。


「――――ッ!!」


その瞬間、フェリシアの中で何かが爆発したのが見えた。


溢れんばかりの母性が、昨晩からの嫉妬の炎を完全に鎮火させ、純度100%の『慈愛』へと変換されたのだ。


「あああ……! なんて、なんて愛らしいのでしょう! 道具だなんて、そんな悲しいこと言わないでちょうだい!」


フェリシアは感極まった声を上げ、アイリスの小さな身体を力強く、だが優しく抱きしめた。アイリスの顔が、フェリシアの圧倒的な豊満さにむにゅっと埋もれる。


「……マスター。呼吸が、苦しい……」


「フェリシア様、アイリスが潰れちゃいます!」


俺が慌てて制止すると、セラもそっとアイリスの頭に手を伸ばし、その美しい純白の髪を優しく撫でた。


「……この小さな身体で、ずっとアル様の中で彼を支えてくださっていたのですね。……嫉妬などして、大人気ありませんでした。よろしくお願いしますね、アイリス」


セラのクールな仮面が柔らかく崩れ、優しい微笑みが浮かぶ。


アイリスは「……ん」と短く答え、セラの手に頭を擦り付けた。


こうして、昨晩のギスギスした空気は嘘のように消え去り、「俺たち三人(+アイリス)で力を合わせて極上の料理を創り上げる」という最強のチーム体制が、名実ともに完成したのだった。


◇◇◇


和やかな雰囲気の中、運ばれてきたルームサービスの朝食を終えた俺たちは、いよいよフォンテーヌ伯爵城へ挨拶に向かうための身支度を整えていた。


「アルフレッド様、お召し物のシワはこちらで直しておきましたわ」


「アル様、包丁の手入れと道具の確認、すべて完了しています」


「……マスター、バイタル正常。いつでも出発可能」


完璧すぎる三人のサポートを受け、俺はバーテンダーとしてのスイッチを入れ、居住まいを正した。


「よし。それじゃあ、気合いを入れて城へ乗り込もうか」


俺が部屋の扉に手を掛けようとした、その時だった。


ドンドンドンドンッ!!


部屋の重厚な扉が、ぶっ壊れんばかりの勢いで外から叩かれた。


「な、なんだ!?」


俺が警戒しながら鍵を開けると、そこには、全身から玉のような汗を流し、血相を変えた騎士が立っていた。その胸にはフォンテーヌ伯爵家の紋章が刻まれている。


「ア、アルフレッド殿か!? 朝早くから本当に申し訳ない! 緊急事態だ!!」


騎士は息も絶え絶えに、しかし悲痛な叫び声を上げた。


「ロズウェル男爵より、貴殿が『いかなる病も癒やす奇跡の料理人』であると伺っている! どうか、どうか館へ急いでいただきたい!」


「落ち着いてください。一体、何があったんです?」


俺が騎士の肩を掴んで冷静に問いただすと、騎士は絶望に顔を歪めながら言葉を絞り出した。


「サラお嬢様が……生誕祭の主役であるお嬢様が、今朝、館の厨房で突然倒れられたのだ!」


「倒れた? 過労か、それとも風邪ですか?」


「違う! 神官の最高位の治癒魔法を何度かけても、熱が全く下がらない! それどころか……お嬢様の腕や首筋に、見たこともない『赤黒い斑点』が次々と浮かび上がり、肌が腐り始めているのだ! 伯爵様も、もうどうしていいか分からず……ッ!」


「赤黒い斑点……皮膚の壊死……?」


俺の脳裏に、前世で見たニュース映像がフラッシュバックする。


二〇二四年頃だったか。日本でも突如として感染者が激増したと連日報じられていた、あの恐るべき感染症。致死率が三割を超え、『人食いバクテリア』という物騒な名で呼ばれていた、劇症型レンサ球菌感染症の特徴に酷似している。


(……ただの病じゃない。進行が異常に早いはずだ。一刻の猶予もないぞ)


「フェリシア様、セラ。……状況が変わりました」


俺は振り返り、不安げにこちらを見つめる三人に、かつてないほど鋭い視線を向けた。


「アイリス。……遊びは終わりだ。行くぞ」


「……ん。緊急医療モード、スタンバイ」


俺たちは荷物を掴み、悲痛な叫びを上げる騎士と共に、お祭り騒ぎの街を切り裂くようにして伯爵邸へと駆け出した。

華やかな生誕祭の裏で、見えない『死神』が、すでに伯爵邸を覆い尽くそうとしていた。


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