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第二十話:共鳴する想い

澄み切った青空が広がる、ロズウェル男爵領の朝。

男爵邸の執務室に、豪快な笑い声が響き渡っていた。


「はっはっは! やはりな! 私の目に狂いはなかったということだ!」


分厚いマホガニーの執務机の上には、封を切られたばかりの一通の書状が置かれている。封蝋に刻まれているのは、清流をあしらった『フォンテーヌ伯爵家』の紋章。早馬によって届けられた、隣領の領主からの親書であった。


上機嫌に手紙を読み返す男爵の元へ、ノックの音と共にフェリシアが入室してくる。


「お父様。朝から随分と楽しそうな声が聞こえましたが、何か良い知らせでも?」


「おお、フェリシア! 来なさい、素晴らしい知らせだぞ。先日、私がお前に話していたフォンテーヌ伯爵の件を覚えているか?」


「ええ。アルフレッド様の腕前を、伯爵様にもご紹介したいと仰っていたことですね」


フェリシアが静かに頷くと、男爵は興奮冷めやらぬ様子で手紙を叩いた。


「実は数日前、伯爵がお忍びで『バッカス亭』を訪れたらしいのだ。そこでアルフレッド殿の料理と酒を味わい、すっかり度肝を抜かれて帰ってきたと書いてある。……ふふふ、あの美食家の伯爵が『私の城の料理長すら足元に及ばない、まさに奇跡だ』と大絶賛だぞ!」


フェリシアの黄金色の瞳が、嬉しさに細められる。


命の恩人であり、心から慕うあの方の腕前が正しく評価されたことが、自分のことのように誇らしかった。


「それでな、フェリシア。来の月、フォンテーヌ伯爵領で、伯爵の愛娘サラ嬢の七歳の生誕祭が開かれる。伯爵は、その生誕祭の料理の総指揮を、直々にアルフレッド殿に依頼したいと言ってきているのだ。私から彼に、この正式な依頼状を渡して説得してくれないか、とな」


男爵の言葉に、フェリシアは一歩前へ出た。その所作は洗練された貴族の令嬢そのものでありながら、どこか慈愛に満ちた温かさを帯びている。


「お父様。その大役、ぜひ私に任せてはいただけませんか?」


「お前がかい?」


「はい。アルフレッド様は類まれなる腕を持っていらっしゃいますが、あくまで『バッカス亭の雇われバーテンダー』というお立場です。大貴族からの依頼状とあらば、不必要に遠慮されてしまうかもしれません。それに、他領の城の厨房に入り、多くの料理人を束ねるとなれば、貴族のしきたりや折衝など、彼の手を煩わせる雑務が山のように出てきます」


フェリシアは父の目を見つめ、説得力に満ちた声で語りかける。


「命の恩人であるあの方に、そのような心労はおかけしたくありません。私が正式な使者として赴き、依頼をお伝えすると共に、伯爵領でのすべての交渉やサポートを請け負う『案内役』として同行を申し出たいのです。そうすれば、お父様の顔も立ちますし、アルフレッド様も純粋に料理にのみ集中できるはずですわ」


理路整然とした愛娘の提案に、男爵は深く頷いた。


「なるほど、確かにその通りだ。ただ使いを出すよりも、お前が直接赴き、彼を全力で支えると言うならば、これ以上の恩返しはあるまい。よし、頼んだぞフェリシア!」


「はい、お父様。お任せくださいませ」


フェリシアは優雅にカーテシーをすると、足早に自室へと向かった。


アルフレッドに、そして彼を献身的に支えるあの少女に会うために。彼女はクローゼットの中から、華美すぎず、しかし最高級の絹で仕立てられた、動きやすい若草色のドレスを選び取った。


◇◇◇


同日、昼下がりの新生『バッカス亭』。

ランチタイムの波が引き、店内には静寂が戻っていた。オープンキッチンの奥では、アルフレッドが夜の営業に向けた澄んだコンソメスープの仕込みを行っている。


「セラさん、火を弱めて。ここから卵白を加えて、スープの中の不純物と灰汁を一気に吸着させる。沸騰させると濁るから、温度管理は慎重に」


「はい、アル様。八十五度を維持します」


アルフレッドの指示に、セラが完璧な火加減で応える。


二人の間には、言葉を多く交わさずとも通じ合う、極めて純度の高い連携と信頼が築かれていた。セラはアルフレッドの僅かな視線の動きだけで次に行うべき作業を先読みし、最高のタイミングで道具を手渡していく。

カラン、と。


澄んだ真鍮のベルが鳴り、店の扉が開かれた。


「ごきげんよう、アルフレッド様、セラさん」


春の陽だまりのような、柔らかくも芯のある声。若草色のドレスに身を包んだフェリシアが、美しい微笑みを浮かべて立っていた。


「フェリシア様。いらっしゃいませ。今日は男爵様はご一緒ではないのですね」


「ええ。本日は客としてではなく、ロズウェル家の名代として、アルフレッド様に大切なお話があって参りましたの」


フェリシアの纏う空気が、いつもの可憐な令嬢から、凛とした貴族のそれへと変わっていることにアルフレッドは気づいた。彼は火の番をセラに任せ、手を拭きながらカウンター越しに向き合う。


「大切なお話、ですか?」


「はい。先日、このお店に初老の身なりの良い男性がいらっしゃいませんでしたか? 翡翠色の美しいお酒と、見事な若牛のステーキを召し上がったという……」


その言葉に、アルフレッドの脳裏に数日前の記憶が蘇る。


「……ああ、いらっしゃいましたよ。大商会の重鎮か有力な商人かと思っていましたが。まさか……」


「その方こそ、お父様の長年の友であり、隣領を治める『グランヴェル・フォンテーヌ伯爵』その人ですわ」


フェリシアは鞄から、蜜蝋の印が押された豪奢な依頼状を取り出し、カウンターの上にそっと置いた。


「伯爵様は、アルフレッド様の作られたお酒と料理に心底感動しておられました。そして、来の月にご自身の城で開かれる、愛娘サラ様の『七歳の生誕祭』……その料理の総指揮を、どうかアルフレッド様に引き受けていただきたいと、お父様を通じて直々にご指名があったのです」


「……他領の城での、料理の総指揮」


アルフレッドは依頼状を見つめ、軽く目を細めた。


先日の男が他領の領主だったことには驚いたが、依頼の内容はさらに規格外だった。大貴族の城での生誕祭ともなれば、集まる賓客の数は百を下らない。それを統括するとなれば、膨大な食材の管理と人員の指揮が必要になる。


「光栄な話ですが……俺はあくまで、バッカスさんの店で雇われている一介のバーテンダー兼料理人です。何日も店を空けることになりますし、第一、他人の城の厨房の勝手も分からない。貴族の皆様の複雑なしきたりに合わせるような器用な真似は、俺には向いていませんよ」


アルフレッドが冷静に懸念を口にする。それは断りの文句というよりも、店主であるバッカスへの義理と、現実的なリスクの計算だった。


しかし、フェリシアはその言葉を待っていたとばかりに、黄金色の瞳を優しく細め、アルフレッドへと一歩近づいた。


「だからこそ、私が参りましたの」


フェリシアの甘く、そして深い母性を思わせる香りがアルフレッドの鼻腔をくすぐる。


「アルフレッド様を、煩わしい貴族のしきたりや、城の料理人たちとの折衝、予算の管理で疲弊させるわけにはいきません。それらの雑務と交渉は、すべて私とロズウェル家が責任を持って請け負います。私はアルフレッド様の『案内役』兼『代理人』として、伯爵領へ同行いたしますわ」


フェリシアは両手を胸の前で組み、アルフレッドを真っ直ぐに見つめた。


「アルフレッド様はただ、純粋にご自身の最高の料理を創り出すことだけに集中していただければよろしいのです。……そして、セラさん」


フェリシアは、厨房の奥で控えていたセラへと視線を移し、深く温かい笑みを向けた。


「厨房の要は、やはりあなたでなくては務まりません。未知の厨房でアルフレッド様を完璧に支えられるのは、世界中でセラさん、ただ一人だけです。どうか、私と一緒にあの方を支えてあげていただけませんか?」


その言葉には、一切の嫌味も、嫉妬もなかった。


フェリシアは知っている。アルフレッドの隣で、彼が求めるものを0.1秒の狂いもなく差し出せるセラの異常なまでの献身と技術を。自分には決してできないその『聖域』を心から尊敬し、だからこそ、セラを含めた二人を外の煩わしさから丸ごと守り抜きたいと願っているのだ。


フェリシアの真っ直ぐな言葉を受け、セラは薄藍色の瞳をわずかに見開き、そして深く、静かに頭を下げた。


「……身に余るお言葉、恐悦至極に存じます。フェリシア様」


セラの胸の内は、どこまでも澄み切っていた。


(ああ、やはりこの方は太陽のように眩しい。男爵令嬢という立場を使いこなし、アル様を外敵から守る盾となれるのは、この気高く美しいフェリシア様だけだわ)


自分は、薄暗い地下室で命をすり減らしていた日陰の女。アルフレッドの光り輝く未来の隣を歩くのは、自分ではなく、フェリシアのような光の存在こそがふさわしい。


セラには、正妻の座を争う気など毛頭無かった。


(私はただ、アル様が創り出す奇跡の料理の『右腕』であり続けるだけ。フェリシア様が外のすべてを守ってくださるのなら、私は厨房という内側の世界で、限界のその先までアル様のためにこの身を削る。それが、私のすべて……)


二人の少女の視線が交差する。


そこにあったのは、一人の男を奪い合うような醜い情念ではない。


光の当たる表舞台から彼を守り抜こうとするフェリシアの『母性』と、厨房という聖域で彼に極限まで尽くそうとするセラの『献身』。互いの役割を認め合い、アルフレッドという一人の天才を全力で支えようとする、共鳴する想いだった。


「……お二人とも、勝手に話を進めないでくださいよ」


アルフレッドが、思わず苦笑いをこぼす。


「それに……」と、フェリシアは再びアルフレッドに向き直り、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。


「フォンテーヌ伯爵領は、我が領地の清流の水源。極上の水と、そこから育つ素晴らしい食材の宝庫として知られています。王都では決して手に入らないような珍しい素材も、伯爵の権限を使えばいくらでも揃えられますわ。……新しい食材、ご興味はおありになりませんか?」


「っ……」


アルフレッドの心が、大きく揺らいだ。

未知の食材。水質の違いによる調理への影響。何より、自分の料理を純粋に楽しみにしているという七歳の少女の存在。


(アイリス、フォンテーヌ領の環境データと、随行時のリスク評価を)


【報告:マスター。フォンテーヌ領の水質は硬度等のバランスが極めて良く、発酵や抽出における最適化が期待できます。さらに、フェリシア・ロズウェルの随行による政治的リスク、およびセラとの分業による調理リソースの分散効果を試算。……総じて、懸念されるリスクは完全に『ゼロ』。受諾のメリットのみが算出されました】


脳内のシステムすらも、二人のヒロインが構築した完璧な布陣を裏付けていた。


アルフレッドは小さく息を吐き、そして、最高に楽しげな笑みを浮かべた。


「……完敗ですね。これほど完璧なお膳立てをされてしまっては、断る理由がありません」


「では!」


「ええ。フォンテーヌ伯爵からのご依頼、お受けいたします。……フェリシア様、表のサポート、頼りにしていますよ。そしてセラ、フォロー頼んだぞ」


「はいっ……! お任せくださいませ、アルフレッド様!」


フェリシアの顔に、今日一番の輝かしい笑顔が咲き誇る。


「……御意に。この命の限り、アル様の厨房をお守りいたします」


セラもまた、静かに、しかし絶対の忠誠を込めて頭を垂れた。


かくして、アルフレッド、セラ、そしてフェリシアの三人は、美食と清流の地・フォンテーヌ伯爵領へと赴くことが決定した。


華やかな生誕祭の裏で、魔法すら通じない恐るべき病魔が幼い少女の命を喰い破ろうと静かに潜伏していることなど、まだ誰も知る由もなかった。


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