9『これが朝チュンですか』
暖かなぬくもりに包まれて目が覚める。まぶたを開くと、目の前に見知らぬ女の顔があった。
「起きたか」
窓の外で小鳥たちがさえずり合っている。あたりはまだ薄暗い。
「…………?」
「寝ぼけているようだな。……フン、目の覚めるようなことをしてやろう」
ズボンに手を差し込まれる。体をくねらせて抵抗する。
「腹が冷える……」
「なんだ、小さいままじゃないか。朝勃ちしないのか?」
「まだ眠い。立ちたくないぞ……」
「よほど疲れているようだな。まあ、昨日の夜は激しかったからな……クク、無理もない。
眠れ。抱きしめてやる」
全身が柔らかな女の体に包まれた。なんだか俺はすっかり安心してしまって、彼女を抱きしめながら二度寝した。
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うまそうなにおいで目が覚めた。大好きな、チーズスープの匂いだ。
「うわっ!なんだこれ」
掛布にべったりと血がこびりついている。慌てて起き上がると、ベッドのシーツにもまだ乾ききっていない血だまりがあった。
体を確かめるが、ケガはない。じゃあこれはいったい誰の血なんだ?……というかそもそも、料理をしているのは誰なんだ?明らかにうちの台所から匂いがするんだが。モモが来てくれたんだろうか。ううむ、何か大切な事を忘れている気がする。
腹が鳴ったので、疑問は置いておいてご飯を食べに行くことにする。
「おはよう、甘えん坊の魔導士殿」
テーブルに湯気の立つ皿を並べる彼女の姿を見た瞬間、俺は昨日の事を全て思い出した。
「あんた、のどの渇きはないか?意識が混濁したり、人間を食べたくなったりは?」
「まあ待て、ちょうど飯が出来上がったところだ。とりあえず食おうや」
「……そうだな」
向かい合って座る。女の顔や肌に血の汚れはすでになく、彼女は俺のローブを羽織っていた。
「チーズスープ、好きなんだ」
「奇遇だな。私もだ」
「というか、人の家の食材を勝手に使うとか、結構図太いな」
「女神の涙に比べたら、チーズくらいなんてことないだろう」
「どうして分かったんだ?俺があんたに女神の涙を飲ませたって」
「ベッドの横のサイドボードに瓶が残っていた。これでも一応シスターでね、大抵の聖別された品は見れば正体が分かる。あれは間違いなく、最高位のクレリックが作り出した聖水だ。
……なぜ私を助けた。君の望みは何かな、魔術師殿」
「なんもないが。人を助けるのに理由がいるのか?」
「本気で言ってるのか……?」
「じゃあ、助けたかったから助けた。これからあんたが罪を償って幸せに生きる事を望んでる。これでいいか?」
「……そんな理由で、人殺しを助けたのか。独りよがりな偽善を貫くためだけに命がけで悪魔憑きを止め、金貨三十枚分の価値がある聖水を与え、オドの詰まった薬を調合したって?馬鹿な。そんな話を信じられるわけがない」
「あたり。バカだ」
「なに……」
「俺。よくバカだって言われる」
彼女は動揺したようで、こちらから目をそらして視線をさまよわせた。その間も定期的にスプーンを動かしてスープを飲み続けている。器用なものだと感心した。
「分かったぞ。……お前、女を知らないんだろ。ああ、そういう顔をしてる。私の体が欲しかったんだな?」
「いや、それはない」
「膜を破る以外のことなら何でもしていい。私の体を好きに使わせてやる。期間は……そうだな、一月でどうだ。命を救った対価にしては短いと思うかもしれないが、あいにくこっちにもやることがあってね。長い間ここにいるわけにはいかないんだ」
「勝手に決めつけて交渉を始めないでくれないか。あんたの体をもらっても、正直持て余す」
「お前が持て余しているのは性欲だ。正直になれよ……。ほら、おっぱいみせてやる」
「あれ、あんた下に何も着てないのか」
「あ、ああ……元の服は切られ過ぎて、もうぼろきれさ」
「待ってろ、今なんか着るものを」「……いい。おっぱい見ろ」
「でも、風邪ひくかも」「なんでそんなに平然としていられるんだ!?おっぱいだぞ、おっぱい!」
「うわっ、大声出すなよ、びっくりするだろ」
「お前の反応のなさにこっちがびっくりだわ!?」
「分かったよ。あんたの胸を見ればいいんだな?……うん、綺麗だと思う。妹のより形がとがってるな。妹のがお椀なら、あんたのはお山だ。これでいいか?服を取ってくる」
「い、妹の……だと」
「ほらこれ、ズボンとシャツ。大きすぎるかもしれないけど、ないよりはマシだろ」
「……おっぱい、触れ」
「なんだって……?」
「童貞のくせに大したやせ我慢だ、褒めてやる。だがな、きょうだいの裸と同レベルで興奮できないなどと愚弄されて、私の女としてのプライドはひどく傷ついた。さあ、早くこの豊満なおっぱいを揉みしだけ。理性の仮面を投げ捨て、発情した猿の様な性欲をむき出しにしてみせろ」
「あんたがそうしろって言うなら、触るが……お、こんなに柔らかいものなんだな。……ううむ、これは……いいものだ。揉んでいると癒される」
「なんか、期待してた反応と違う……」
「おっはよーっ!おにーちゃん、仲直り記念に朝ごは、ん……?」
突然玄関が開いて、モモが上機嫌な声でしゃべりながら入ってきた。腕に朝市で買ってきたであろう、新鮮でおいしそうな野菜を抱えている。
「あんた、誰……」
殺意のこもったモモの視線を涼しい顔で受け止めると、こちらをちらっと見て笑った後、女は言った。
「銀貨一枚で買われた女さ」
「待て。そういう冗談はモモには通じな」「ライトニングボルトッッ!!」
澄んだ秋晴れの空から、一条の稲妻が俺の家の屋根をぶち抜いて降ってきた。
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「どうして私を狙った?本当のことが分かっていたわけでもないだろうに」
色々話して何とかモモの誤解を解いた。あの時、驚くべき反射神経で、ルツはモモの放った雷をよけてみせた。そのおかげで、誤解による被害は天井の穴と黒焦げになった椅子一つだけですんだ。狙われたのが俺だったら、確実に死んでたな……。
「だって、あんたがお兄ちゃんを誘惑したに違いないもの!」
「ワァオ、素敵な論理だな。素敵なお兄様は常に善であるわけだ」
「さっきからいちいち癪に障る言い方するわね……いっぺん死んどく?」
「平和ボケした学園ではきっと、あなたはさぞ優秀な魔導士なのでしょうねえ。ですがお嬢様、残念ながらあなたの魔法は、戦場では遅すぎて役立たずです」
「アイスシャードッ!!」「おっと」「ウインドブロウ!」「当たりません」「フレイムピラーッ!!」「遅いですよ」
「モモ。人に向かってぽんぽんと魔法を撃つんじゃない。本当に当たったら大変なことになるし、俺の家がもうだいぶ破壊されてるからやめてくれ。あんたも、あまり俺の妹をからかうな」
「フーッ、フ―ッ、フーッ……!!」
「ククク……実に気分がいい……」
「キシャーーッッ!!」
うわ、モモが悪魔憑きになってる。なんというかこの二人、水と油な気がするな。
「話を戻すぞ。この人はルツ、シスターだそうだ。昨日の夜森の中で行き倒れてるのを見つけて、俺が連れて帰った」
「一晩、一緒にいたのよね。……あんた、私のお兄ちゃんに変な事しなかったでしょうね?」
「はて、変な事、とは?男と女が同じベッド下で一夜を共にしたら、何かが起こるのはむしろ自然なことじゃないか。まあそうだな、この男の抱き心地は悪くなかった、とだけ言っておこう」
「コロスコロスコロスコロスコロス…………」
「モモ。殺気とマナが漏れてるぞ。多分心配してるのはセックスの事だと思うが、そういうことは全然なかったから安心してくれ。ルツはわざと紛らわしい言い方をして、お前をからかってるんだ」
「お兄ちゃん……私、こいつ、嫌い」
「残念だよ。私はモモみたいなおもちゃ……もとい、純粋な人間は好きなんだがねえ」
「おもちゃ……?今私の事おもちゃって言ったわね!?」
「ルツ、こいつはモモ、将来の大魔導士にして、オブシディア学園一の天才特待生徒だ。血は繋がっていないが、俺の妹だよ」
もう俺は全部無視して紹介だけ済ましてしまうことにした。
「随分仲がいいようだな。羨ましいよ。だからこそ、引っ掻き回してやりたくなるわけだが……」
「頼むからやめてくれ。ところでモモ、そろそろ登校の時間じゃないのか?」
「今日はお兄ちゃんと一緒にいる」
「駄目だ、いくら特待生だって言っても、理由もなく休んでいいわけじゃないんだぞ」
「だって、昨日あんなことがあった後だし、私、心配で……」
「その気持ちは嬉しいよ。でも、俺がモモに何をして欲しいか、モモなら分かるよな」
「お兄ちゃんを心配するより、学園に行って、頑張って魔術の勉強をする……」
「そうだ。いい子だから、俺のお願いを聞いてくれるな?」
「…………」
モモ、とたしなめるように言うと、モモは俺のそばまで来て、耳元で囁いた。
「わ、笑わないで聞いてね……?本当は、心配なだけじゃないの。お兄ちゃんが他の女にえっちなことしてたから、私、お兄ちゃんを取られちゃうんじゃないかって思って……」
「笑うもんか。それだけ大切に思ってくれてるってことだろ、嬉しいよ。……安心してくれ、家族が一番大切だ。俺は、モモのものだ」
モモの頬が真っ赤に染まった。
「わ、私も、全部、お兄ちゃんのもの、だよ……」
モモが小声で何か言ったが、よく聞こえない。
「ん?」
「な、なんでもないっ!そろそろ行くね!急がないと、遅刻しちゃう!」
「待て、妹魔導士」
逃げるように走っていこうとしたモモを、ルツが呼び止めた。
「……なによ?」
「さっきはああ言ったが、お前の魔術は早いよ。ネタバラシをすれば、私はお前の視線や腕の動きから魔法の範囲を予測して避けていたに過ぎない。その若さであれだけの魔法を詠唱無しで発動できるなんて、確かにお前は才能ある魔術師だ」
「えっ……。ふ、ふん。あんたに褒められたって、嬉しくなんかないわよ……」
去っていくモモの足取りは、気のせいか浮かれているように見えた。素直じゃないな、あいつも。
「ありがとうな」
「フン。子守りも大変だな」
「そうでもないさ。あいつがいるから、俺は頑張れるんだ」
「守りたい人、か。下らない……」
モモが出ていった玄関の方を向くと、ルツは眩しいものを見るように目を細め、言葉とは裏腹に、優しくて、でも寂しげな微笑みを浮かべた。




