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8「絶対死なせNight」

昼は多くの学生たちのざわめきに包まれる学園も、今は静まり返っていた。中にいるのは学園長と、研究漬けになっている一部の教授、それから数人の守衛だけのはずだ。

門を乗り越え、広場を抜けて、職員室へ繋がる裏口へ向かう。当然だが、鍵が掛けられていた。

「非常事態だからな。許してもらおう」

鍵穴に手をかざし、魔方陣を展開する。彫刻の時と違い、魔力の大きさだけを制御できればいいので、それほど時間はかからなかった。

小さな音と共に、鍵が砕ける。校舎の中へ入った俺は、扉の鍵を壊しながら地下の保管庫へ向かった。爺さんが亡くなった後、遺品の中で貴重なものはあそこに移されたはずだ。それに、あそこには授業や研究で使う試料が置いてある。オド欠乏症の治療薬を作るための素材も見つかるだろう。

「おっと……」

保管庫へ続く廊下で、向こうにマジックランプの青白い光が見えた。二人組の守衛が、見回りをしているようだ。柱の陰に隠れる。

「学園長は今夜も……か?」

「ああ、わざわざリクムの孤児院から……だ」

「くそっ、変態親父め……」

俺の横を通る時、彼らは変なことを言っていた。

保管庫の大扉の前に立ち、教授だけが知る合言葉を唱える。

『力に驕る事なかれ、知識に溺るる事なかれ。オブシディアに自律と平等あれ』

扉に刻まれた魔方陣が光り、ひとりでに扉が開きだす。思ったより大きな音がたったので、誰かにバレないかひやひやした。

石造りの階段を下っていくと、何列もの棚が並んだ保管庫に出た。気温は上よりも少し冷たく、空気は澱んで湿気があった。乾燥した薬草や様々な薬品の匂いが混ざった、独特の匂いがした。

爺さんの遺品は薬品棚のさらに奥……魔術的に封印された扉の向こうにある。俺が入るにはぶっ壊すしかないが、そうすれば扉の魔方陣が反応し、学園中に警報が鳴り響くことになる。まずは治療薬の材料を揃えよう。鉱石の棚と薬草の棚から一つずつ、必要なものを拝借する。奥の扉へ向かい、魔方陣を広げ、深呼吸をしてから、扉にマナを流し込んだ。

ウゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!

扉が開くのと同時に、けたたましい警報が鳴り響いた。さあ、ここからは時間との勝負だ。急いで中に入った瞬間、天井から霧状の液体が噴き出してきて、全身にかかった。罠にかかったかと焦ったが、皮膚が溶けたり、具合が悪くなったりはしない。とりあえず無害なもののようだ。気を取り直して小部屋の中を見回すと、宝石や絵画に交じって、見事な彫刻が施された灰色の小箱が保管されていた。見覚えのあるそれを手に取り、掛け金を外して蓋を開く。琥珀色に輝く液体の入った小瓶が入っていた。

「これだ……間違いない。爺さん、貰ってくぜ……」

階段を駆け上り、保管庫から飛び出す。

職員室前の廊下の角を曲がると、目の前にさっきの守衛がいた。あと少しで逃げ切れたのに……万事休すだ。

「エン教授!ご無事でしたか」

「教授……あ、ああ。こっ、これは一体なんの騒ぎだ?」

「侵入者がいるようなのです。職員室やいくつかの通路の鍵が壊されていたので賊を探していたところ、突然このけたたましい音まで鳴り始めて……」

「……あー、たぶんこれ、保管庫の警報じゃないか?もしかしたら、薬を盗もうとしてるのかもしれない」

「な、なるほど!こうしてはいられない、すぐに向かわなくては!」

そう言うと、ランプを持った一人は駆け出して行った。

「ところで、エンさん、手に持っているそれは?」

残った一人が、じっと俺の目を見ながら聞いてくる。

「こ、これか?ちょっと研究で使おうと思ってさ」

「……あなたは今日、首になったはずですよね?教授たちが噂しているのを聞きましたよ」

「ひょぇっ……」

今度こそ、終わった……。

だが、彼女はため息をつくとこう言った。

「……まあ、いいでしょう」

「え……?」

「魔力至上主義が広まった後も、あなたは私たち守衛にねぎらいの言葉をかけてくれた。私たちを差別する生徒たちの言葉をいさめ、私たちがいるからみんなが安心して勉強できるんだ、と言ってくれた。傲慢なゴールドマンや取り巻きたちよりも、私はあなたみたいな人を応援する。あなたの持っているそれらにどれほどの価値があるのか、私には分かりませんが……どうせあいつらはあなたに退職手当も渡さなかったんでしょう、その代わりです。

さあ、行ってください。何も見なかったことにします」

「ありがとう、恩に着るよ!」

外へ出て、瓶や素材が傷つかないよう注意しながら門を乗り越える。家へ飛んで帰ると、ベッドに横たわる彼女の口元に、女神の涙を注いだ。

「頼む……!」

両手を組み、祈るような気持ちで様子を見守る。すると、彼女の胸がゆっくりと上下し始めた。俺は両腕を上下に振ることで喜びを表現した。彼女は薄く目を開け、焦点の合わない瞳で困惑したように辺りを見回していたが、やがて苦しげに唸りだした。

「喜んでる暇はないな。さっさと治療薬を作らないと」

台所へ向かい、小鍋を火にかける。

「治療薬に必要なのは吸魂石、浄化草と……それから、大量の人の血液だ」

厳密には体液なら何でもよくて、特に精液なら血液の十分の一の量で済むんだが……まあ、無理だな。台所にあったナイフを逆手に持ち、振り上げて深呼吸する。ああ、絶対痛いんだろうな。

思い切り手首を切り付けると、血が勢いよく噴き出した。痛みに耐えながら、十分な量が鍋に溜まるのを待つ。自分の血を眺めていると気分が悪くなってきて、目をつむった。俺の血はオドが薄い。この鍋に半分は必要だろう。

血が集まり切る頃には、ひどい寒気と脱力感に襲われていた。……想像の十倍大変だった。正直もう二度とやりたくない。急いで傷口を洗い、清潔な布で縛る。夜の森を抜けたせいか、いつの間にかあちこち傷だらけだったので、ついでにそれも手当した。

血が煮詰まるまでは暇なので、鍋の前に立ちながら、ぼんやりと考えごとをした。オド、というのは、感情の源となる生体エネルギーだ。心の力、と言い換えてもいい。動物が石や草なんかとは違って知性を持って行動する事ができるのは、彼らが体内でオドを生成し続けているからだ。人間やエルフ、ダークエルフやドワーフあたりは、他の動物とは比べ物にならないほど多くのオドを持って生まれてくる。彼らが豊かな感情と高い知性を持ち、複雑な文明を築き上げることができたのは、オドがあったからこそだ。

では、何かの要因で体内のオドが足りなくなってしまえばどうなるか?簡単だ、人が獣になるのだ。人間らしい知性は消滅し、代わりに異常な身体能力を得て、本能のまま振る舞うようになる。オド欠乏症の一番わかりやすい外見的な特徴は、赤く光る眼だ。オドを少しでも循環させるために血流が活性化することで、目が充血するのだと言われている。彼らは不足したオドを補うためなら、同族を喰らうことさえもする。これは禁忌であるだけでなく、とても危険な行為だ。他人のオドを大量に摂取すれば、記憶や人格が混濁し、精神に大きな傷を負う可能性がある。

人の中にはたまに、生まれつきオドを生成する能力に欠陥を持っているやつもいる。ずっと昔、今よりも魔術が発展していなかった頃、獣のように暴れまわり、人肉を喰らうそいつらの事を、教会は『悪魔憑き』と呼んで討伐の対象にした。オドの存在が発見され、教会が手のひらを返してオド欠乏症患者の救済を始めた今でも、相変わらず『悪魔憑き』という呼び方は使われ続けているし、患者の多くはろくな治療も受けられないまま奴隷になって農場なんかでこき使われている。

血がいい感じにどす黒く煮詰まってきた。砕いた吸魂石を放り込む。血が泡立ち、刻んだ玉ねぎのようなにおいがし始めた。そのままかき混ぜていくと、吸魂石が白く変色してくる。そうして泡とにおいが出なくなってきたところで、浄化草を入れる。そうすると今度は匂いのない泡が出てくるので、その泡が出なくなるまでかき混ぜ続ければ、治療薬の完成だ。

……吸魂石には、オドに含まれる記憶と精神の要素を吸収してしまう毒が含まれている。血に含まれる俺のオドをそれによって漂白し、その後浄化草で吸魂石の毒を中和することで、人格を混濁させることなく、安全に摂取できるオドが出来上がるのだ。

吸魂石の欠片が混じらないよう注意しながら、鍋の中身を木のコップに注ぐ。寝室へ向かった。女はベッドの上で苦し気にのたうっていたが、俺の姿を見ると血走った眼をぎらぎら光らせながら体を起こした。

「俺なんか食ってもうまくないぞ。それより、これを飲んでくれ」

俺が差し出したコップをじっと見つめた後、彼女は恐る恐るといったふうに中を覗き込んできた。コップから立ち上る湯気が鼻に当たった瞬間、彼女は顔をしかめ、腕を振った。慌ててコップを引っ込める。

「お、おいやめろ!もう一度作り直すなんてごめんだぞ!これを飲めば、正気を取り戻せるんだ……いや確かに、においと見た目はひどいかもしれないけど」

彼女はこちらをにらみながら、威圧的な唸り声を上げている。いつ飛び掛かられてもおかしくない状態だ。

このまま待っていても、状況は悪化する一方だ。と言って無理やり飲ませようとしても、普通のやり方では悪魔憑きの力には敵わないだろう。……よし、ここはおとり作戦で行こう。俺は覚悟を決めると、口いっぱいにコップの中身を含んだ。

にっっが……!

女へ向かって特攻し、唇を触れ合わせる。俺が舌を差し込むと、狙い通り噛みついてきた。その隙を突き、治療薬を流し込む。俺の舌を食いちぎる前に、彼女は治療薬を夢中で吸い出した。俺の肉よりその液体に濃厚なオドが含まれている事に、本能で気付いたのだろう。

「やめてくれ。もう残ってないぞ」

しつこく吸ってくるので身代わりにコップを差し出すと、女はやっと口を離し、コップをぶんどって一息に残りを飲み干した。彼女の目は、もうほとんど普通の色に戻っていた。

「こらこら、コップを舐めるんじゃない。行儀が悪いぞ」

「おかわりはないのか?」

「もう当分作りたくない。……なあ、今度こそ、大丈夫だよな?」

「たぶん。しかしこれ苦いな。舌が痺れてやがる」

「中和された吸魂石の味だな。白くて、苦いんだ……」

「白くて苦い、ねえ……まるでアレだな」

女は変な事を言ってにやにやした。

「助けられた……。よかった、本当に……」

安心した途端、一気に体の力が抜けた。意識が薄れていく。立っていられなくなり、俺はその場に崩れ落ちた。

「いろいろと聞きたいことはあるけど、とりあえず礼を言って……おい、どうした!?おいっ!」

どうもこうもあるか……疲れたんだ。

本当に、今日は……色々あり過ぎた。

ぼやけていく視界の中で、必死に呼びかけてくる彼女の顔が見えた。

なんか、案外かわいいな。

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