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6「月がきれいですね」

あの後家に戻ってじっとしていた。しばらくはモリガンが仕返しに来ないかびくびくしていたが、それもなさそうだと分かると何をしていいのか分からなくなって、とりあえずお気に入りの冒険小説を読んでいた。しかし頭に浮かぶのはすっぽかしてしまった午後の授業の補填や、明日の授業の範囲や教え方のことばかりで、内容はあまり入ってこなかった。

本を閉じて横になると、今度は色々な心配事が頭に浮かんでくる。

ああローラ、あいつは俺がいなくなった後どうやって勉強するんだろう。残った教授は魔力至上主義者ばかりだと、モリガンは言っていた。なら俺の後任の教授は、ローラの魔力の高さを評価してくれるだろうか。早くあいつをビギナーに戻してやってほしい。下らない差別から守ってやってほしい。

「きっと、大丈夫だよな。あいつは気丈で、賢くて、誇り高いラコニアの貴族だ。俺なんか居なくたって、うまくやれるに決まってる……」

モモ、モモは平気だろうか。あいつは昔から俺にべったりで、そのせいで教授達からは嫌われ、ほかの生徒たちとはほとんど面識がない。ローディー差別がひどくなってきてからは意識して彼女を遠ざけていたが、その間もモモは、新しく誰かと交流している様子はないようだった。

「大丈夫だ。モモはあんなにいい子なんだから、その気になれば友達くらいすぐに作れるはずなんだ。そのうち俺よりもずっと優秀な男友達ができて、そいつを好きになって、俺の事を忘れて……はぁ。なんかちょっと嫌だ、それは」

駄目だ、全然眠くならない。散歩でもしよう。シャツの上からローブを羽織り、外へ出る。

ほほに触れる大気が冷たかった。もうすぐ秋が来る。町は寝静まっていて、道行く人もない。酒場の前を通るときだけ、束の間のにぎやかさと明るさを感じた。空を見ると満月だった。星のない空に浮かぶ月は、気のせいかひどく寂しげに見えた。

「教授じゃない俺、ってなんなんだ。どうやって人の役に立てばいいんだ……」

魔術バカで生きてきた。世の中のことは何も知らない。そのくせ魔術もろくに使えない。体力だって、そこら辺の町娘にも負けるくらいしかない。あるものと言えば、償いきれない罪だけだ。

これからどうするか考えた。……馬小屋の掃除?悪くないかも知れない。宿屋の前につながれているのを見たことがあるが、あいつらすんげーかわいかった。

つらつらと考えながら歩いていたら、街の外れまで来ていた。この先には森しかない、引き返そう。

そう考えた時、ふとモモの言葉を思い出す。

「俺が魔術の練習をしている場所に、マナストーンがあるんだったか。……鏡、家にあったかな」

壊してしまった贈り物を作り直すため、俺は森の中へと歩みを進めた。

どうしてわざわざ森で練習するのかと言えば、練習材料がたくさんあるからだ。俺は魔術の対象を岩や木にしているから、毎回材料を学園まで運ぶのは無理だ。それに、完成したものの処理の問題もあった。彫刻家の作る石像を考えてみてくれ。あんなもの研究室に置いていたら、すぐに部屋がいっぱいになってしまうだろう?と言って捨てるのも忍びない気がして、俺は森の奥で練習をしては、できたものをそのままそこに転がしていた。

進むうち木々はより鬱蒼と茂り、辺りは薄暗くなった。気の早い秋虫たちの声が耳に涼しかった。少し足に疲れを感じ始めたころ、開けた場所に出た。そこは俺の練習場だった。動物や雑貨から女神様まで、題材も大きさも適当な石像やら木像やらがあちこちに置いてある。一つだけ彫りかけのやつがあって、それはイサク爺さんの像だった。爺さんが亡くなってから作り始めたのだが、彫ろうとして爺さんの事を思い浮かべると胸が痛くなり、魔力が乱れてしまって、いつまで経っても全然進まないのだ。

注意深く地面を探していくと、しばらくして目当てのものが見つかった。こぶし大のマナストーンが、木の根の間に転がっていた。

「全然気づかなかった……表面が風化してくすんでいるから、注意して見ないとただの石にしか見えないな。本当に、俺の魔術で出来たのか?魔方陣のせいかな……」

拾おうと屈みこむと、他にも小さな結晶がいくつかあるのが見えた。でも、拾うのは一つだけでいいよな。教授をやってた頃なら大喜びしただろうが、無職になった俺が手に入れたところで……。

「……ん?」

いや、待てよ?売ればよくないか?これ全部拾って魔術商に渡すだけで、楽して大金持ちになれるのでは?

「ハッ!もしかして一生、昼寝と読書だけして暮らせる……?」

職を失った途端怠惰な金の亡者となった俺は、猛烈な勢いで地面を探し始めた。

「金!金!金!レッツエンジョイグータラライフ!ふははははは!」

ローブの裾を持ち上げて皿のような形にして、拾ったマナストーンを放り込んでいく。俺の目には落ちているマナストーンが金貨に見えた。

近くにあるのを大体取り切ってしまうと、俺はさらなる財宝を求めて森の奥へ奥へと進んでいった。練習場から遠ざかる程見つかるマナストーンの数は少なく、大きさは小さくなっていった。

キンッ……。

「はは……ん?」

耳慣れない音が聞こえた気がして、顔を上げる。なんだ……?金属同士がぶつかり合ったような音だったが……・。しばらく耳を澄ましてみたが、虫の声と風の音のほかは何も聞こえなかった。空耳だろうか。あたりを見回すと、いつの間にか随分森の奥に来ていた。このまま進んでしまうと、ラコニアとの国境があるミネア山脈のふもとにまで迷い込んでしまうかもしれない。あの辺りはオークの縄張りで、その他にもコボルトやゴブリンにニンフ、たまにトロルやミノタウロスまで出るらしい。マナストーンもほとんど見つからなくなったし、ここらが帰り時か。

「ギャアアアアアァァァッ!」

助けなければ!

その異様な悲鳴を聞いた瞬間、声のする方へ走り出していた。旅人が魔物に襲われているのに違いない。

走る。すぐ息が上がる。それでも脚を動かし続ける。断続的に聞こえる鉄の鋭い音は少しずつ大きくなっていき、やがてそれに混じって、湿った重いものが地面に落ちるような音がかすかに聞こえてきた。

「間に合え……ッ!」

木の根を飛び越え、行く手を阻む灌木を腕で押しのけ、蜘蛛の巣を顔面キャッチしながら進む。

急に視界が開けた。月明りをまともに浴びて、一瞬目がくらむ。そこは小高い丘になっていた。黒いローブをまとった人たちが何人も、斜面に倒れているのが見えた。さっきまでの騒ぎが嘘のように、辺りは静まり返っていた。

まだ魔物が近くにいるかもしれない。警戒しながら広場に一歩踏み出すと、雨が降ったわけでもないのに地面がぬかるんでいた。不思議に思ったのはほんの少しの間で、次の瞬間にはむせ返る程の血の匂いを吸い込み、俺は咳き込んでしまった。

「嘘だろ……これが全部、血だって言うのか。一体どんな化け物がこんなことを……」

倒れ込んだ一人のそばに屈みこむ。フードを上げてやると、そいつは俺と同じ年くらいの男だった。恐怖に目を見開き、首のあたりからひどく出血している。白い肌に明るい髪の色……ラコニア人?この戦時中にどうしてだ?……いや、今はそんなことどうでもいいな。

「おい、大丈夫か!」

背中を支え、体を起こしてやろうとする。差し込んだ手に固い感触があった。胸元から見える板金が鈍く月明りを映している。外套の下に、鎧を着こんでいるようだ。腕に思い切り力を込めると、男の首がおかしな方向に曲がった。

ずるり。

わずかに持ち上がった男の体から、首が取れた。男の顔は目を見開いたまま、ごろごろと下へ転がっていった。

「うっ……」

目眩に襲われ倒れそうになるが、地面に手をついて何とか踏ん張った。息を整え、立ち上がる。まだ生きてる奴が一人でもいるかもしれない。とにかく探すんだ。

「しっかりしろ!うっ……こいつも首を……。おい、目を開けろ!くそっ、だめか……」

一撃で首を刎ねられた奴、両腕を折られ目をくりぬかれた奴、顔を真っ二つにされ足を潰された奴、みんな、考えうる限り最悪の死に方をしていた。

「おい!おいッ!!誰でもいいから返事をしてくれッ!!生きている奴はいないのか!」

思わず俺は叫んだ。そうしないと、気が触れてしまいそうだった。

のそり、のそり、と物音がした。ここに自分以外の生物がいると知った瞬間に俺を襲ったのは、安堵ではなく恐怖だった。そう、俺は思い出したのだ。武装した兵士たちをいともたやすく殺してしまえるような『何か』が、まだこの場所に潜んでいるかもしれないのだということを。

丘の頂上で屈みこんでいたそれは、ゆっくりと立ち上がり、肩越しにこちらを振り向いた。

それは、細身の体系をした、人間の女だった。顔は逆光で見えないが、確かにこちらを見ている。乾いた風が吹いて、彼女の髪を揺らした。透き通るような細い髪が、月の光に照らされて銀の糸のようにきらめく。その光景は、この場所の惨状にはひどく不似合いだった。

ひととき見とれていた俺は我に返り、物音の正体が魔物でなかったことに安堵すると、彼女に向かって丘を登った。

「待ってろ、今行く!」

彼女はそこに立ったまま、ただ俺が来るのを眺めていたが、やがてうつむいてしまった。近づくにつれ、彼女が小さく震えているのが分かった。

「歩けるか?ここは危ない、早く離れ――」

「失せ、ろ……」

「……なんだって?」

返事はない。俺が困惑しているうちに、彼女の息が少しずつ荒くなっていく。怪我があるのかと思ったが、彼女の体は革のマントに覆われていて見えない。

「どこか痛むんだな?いつ魔物が戻ってくるか分からない、肩を貸すから、ここから離れよう」

そう言って彼女の腕を取った瞬間、俺は宙を舞っていた。地面へ叩きつけられ、斜面をずり落ちる。

「グルァァァァーーッ!!」

人のものとは思えない叫びが辺りに響き渡る。女がふらつく足取りで動き出すと、それまでマントに隠れていた右手に握られた血まみれのショートソードと、左手にぶら下げた食べかけの腕が見えるようになった。起き上がろうともがくが、痛みで体が上手く動かない。

「アーー…………」

ついに俺のそばまで来た彼女は、じっとこちらを見下ろした。その時に初めて、俺は正面から彼女の顔を見ることができた。彼女の口元は真っ赤に染まり、狂気を宿した瞳は、妖し気に赤く光っていた。

「お前、『悪魔憑き』か……!」

俺の叫びに驚いたかのように、女は俊敏な動きで飛び掛かってきた。物凄い力で型を押さえつけられ、全く身動きが取れなくなる。彼女は繰り返し首を振った後、威嚇するように短く鳴いて、真っ赤な口を大きく開けた。

女の口が首に近づいてくる。ああ、死んだ。俺は目をつむった。

女の吐息が首筋に当たって、ぞくりとした。

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