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2『グッバイローラ』

「えっ……」

「『漆黒の翼』が本当にラコニアのスパイで、戦争のきっかけを作りたかったなら……砦の兵士を殺す必要なんかない。砦を空にしておいて、占拠させるだけでよかったんだ。国境侵犯と国土侵略は、開戦の大義名分としては十分だからな。多分、戦いの報奨金に目がくらんだ傭兵団が、手柄を立てようとして暴走でもしてしまったんじゃないか?団員はもう全員処刑されたって話だから、本当の所は知りようがないけど」

「そこまでお分かりなら、どうして先ほどはラコニアをおとしめるようなことを仰ったのですか!」

「それはな、お前が入学してから三年、ずっと故郷へ帰れずにいるのと同じ理由だよ。魔法都市としてある程度の自治が認められてるとはいっても、ソフィアはブリタニアの領土だからな。ブリタニアの見解に楯突くようなことを、講義で教えることはできない」

ローラはつぶらな瞳を大きく見開いて俺を見つめた後、俯いて小さくなった。

「全て、戦争のせいなのですわね。少し考えれば、分かる事でした。そのような事情があるとも気付かず、勝手なことを言って申し訳ございませんでしたわ……」

「自分の国を悪く言われたら、怒りたくなるのは当然だろ。ローディーに頭なんか下げるなよ」

「あなたは私の恩師です。それに、誇り高きラコニアの民は、魔力の多寡で人の価値を決めたりしないのですわ」

「そっか……ありがとな」

「先生こそ、わたくしのためにノービスクラスの教科書を用意していただき、ありがとうございます。先日お貸しいただいたスプラッシュの魔導書、読破致しましたわ。数回実践して、理論通り術が発動するのも確認しました」

「もう習得したのか?流石だな」

「ええ、まあ。貴族ですから?」

「じゃ、これでレベル1の水魔法は制覇か、めでたいな。残りは火と風か。地水火風の魔法を押さえておけば、ノービスに戻ったとき、他の奴らに大きく後れを取るってこともないだろ」

「他の……。正直、焦る気持ちもありますわ。独学だけで、ノービスクラスの講義を受けている皆さんにどれだけ追いつけるのかと」

「俺が教えてやれれば良かったんだけど……ごめんな」

「お願いだから、頭をお下げにならないで。悪いのは全て、あの、魔力至上主義者とか言う方々なのです。わたくしがノンクラスに降格することが決まったのは、あの主義を掲げるある教授の、衛兵の方への目に余る言動をきつく咎めた翌日のことでした。あの方は私に十分な才能があると知りながら、降格処分を下したのです。……そんなもの、魔力至上ですらないじゃありませんか。あの方たちはただ、権威を笠に着て威張り散らしたいだけなのです」

「ひどい話だよな。せめて俺がマスタークラスなら、異議を申し立てることもできたんだが……。普段は何とも思わないけど、こういう時自分がローディーなのが悲しくなるよ」

ふと、誰かの視線を感じた。あたりを見回すと、授業が終わってからも後ろの席に居座ってしゃべり続けていた集団が、じっとこちらを見ている事に気付く。

「……エン先生ほど、わたくしの事を考えてくださる方はおりませんわ。他の方はあなたをローディーと侮蔑しますが、わたくしにとっては、あなたこそ最高の……」

「濡れた目で俺を見るな、気持ち悪い。お願いだから好きだなんて言い出すなよ?ラコニアの雌犬にすり寄られても迷惑なだけだ」

信じられないものを見るような目を俺に向けて、ローラは黙り込んだ。

「せ、先生……?どうして急に、そんな……」

絞り出すような声だった。きりきりと心が痛んだ。

「どうしてもこうしてもあるか。ラコニアで生まれると、お前みたいな馬鹿に育つのか?」

「私の祖国を侮辱しないで!いくらエン先生と言っても、許しませんわよ!」

「薄汚い野犬が群れるほら穴を、国と呼べるのか?」

「ッ……!」

目の端に涙を滲ませながら、ローラは俺の頬を張った。走り去ろうとする彼女の手を掴み、耳元で囁く。

「その顔のまま聞いてくれ。いじめっ子のグリード達がお前の事を見てる。目を付けられたらどんな事になるか、超優秀なお前ならわかるよな?あいつらに聞こえるような大声で俺の事をローディーと呼んで、そのままここを立ち去れ。それと、もう人前で俺に話しかけるな」

「先生……」

「何度もラコニアを悪く言って済まなかった。ごめんな。でも、お前と俺は仲が悪いんだっていうふうに見せかけないといけなかったからさ。……そんな顔するなよ、奴らにばれるぞ。安心しろ、これからもなんとか魔導書は渡すようにするから」

泣きそうな顔で、何度もためらいながら、それでもローラは大きく息を吸った。

「離しなさい、この、汚らわしいローディー!吐き気がしますわッ!」

俺の手を振り払い、背中を向けた彼女は足早に去りながら、震える声で、

「ああ、もう戦争なんて嫌。昔へ戻りたい……」

と呟いた。

「全くだ……」

昔は、国籍がどうこうなんて話はなかった。魔力の低いものへの差別も今よりずっとマシだった。魔力の向上と関係のない教養の講義も、大体の生徒が真面目に聞いてくれていた(もちろん寝る奴は多かった。でも少なくとも、教科書は用意してくれていたんだ)。戦争が始まって、イサク爺さんが亡くなって、食うものや着るものの値段がどんどん高くなっていって、園内でもラコニア人への差別が目立ち始めて……積み重なった諸々が、人の心から優しさを奪っている。みんな目に見える強さばかりを信じて、学園全体の中で魔力至上主義の風潮がどんどん強まっている。それを悲しいと思うのは、俺がローディーだからってだけじゃない。清掃人、配膳人、薬商人……魔法の素質がない人間は、このオブシディアに俺以外にもいる。生徒たちの学びや教授たちの研究を支えているはずの彼らまで差別されているのを見ると、やりきれない気持ちになる。

そういえば、近いうちに教養科目は全て撤廃すると、現学園長のゴールドマンは言っていた。

そうなったら俺は、本当に価値のない役立たずになっちまうな。

「あーあ、イサク爺さんがまだ学園長をやってくれてたらな……」

ごりごりの魔力至上主義のゴールドマンは、ある意味じゃ魔導士らしい魔導士だ。それに比べてイサク爺さんは、魔導士としても学園長としても、型にはまらない人だった。クラスの低い生徒の待遇を改善したり、魔力とは関係ない教養科目を充実させたり、生徒が自主研究をする単位を作ったり……極めつけに、魔導士のくせに熱心に教会へ通っていた。魔力のある者もない者も、女神を信じる者もそうでない者も、全て平等な人なんだと、爺さんはよく言っていた。

俺はイサク爺さんに特別な恩があった。あんな事件を起こして、普通なら殺されていたはずの俺を、『研究材料』という名目で拾ってくれたのは爺さんだった。記憶も、両親も妹も失った俺にとって、イサク爺さんは本当の家族のような存在だった。ローディーの俺が教授になれたのも。俺の使うおかしな魔法を、イサク爺さんが高く評価してくれたからだ。

確かにいい年だったけど、持病なんか一つもなかったし、ぴんぴんしてたのになあ。

最後に元気な姿を見た時も、『保管庫を棚卸ししたらどーしても試薬の数が合わんのじゃ!密輸じゃ!横流しじゃ!これは誰かの陰謀じゃ!!』とか冗談言って、俺たち教授に説教をしていたっけ。試薬の管理がいい加減なのは結構長年の問題で、イサク爺さんは口を酸っぱくして俺たちに注意をしていた。

もう、爺さんの声を聞くことはできないんだな。なんかちょっと泣けてきた……。

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