平安時代ー流転
……季節は移ろい
敦姫は、田舎へ戻ったあと
流行り病に倒れ、
二年も経たぬうちに、床に伏せた。
苦しさは、もうなかった。
時間の感覚も曖昧になる。
途切れ途切れに夢をみる。
言の葉の君。
最後の日、
声を殺して泣いていた。
――あの顔。
思い出すたび、
胸が静かに締めつけられる。
好きだった。
あの人の笑顔が。
……もう一度
……側で
……笑顔が見たかったな
分かっている。
身分も、
決まりも、
すべてが壁だった。
だから願う資格などないと、
理解している。
それでも。
もし。
もしまた、
巡り合わせがあるなら。
今度は望まない。
隣でなくていい。
名もいらない。
ただ――
笑っていて欲しい。
願いは、
祈りになる前にほどけた。
息が浅くなる。
視界が淡く溶け、世界の輪郭がゆっくりほどけていく。
悲しみは不思議と薄れていた。
最後に浮かんだのは、
笑ったあの人の顔。
それだけが、消えない。
呼吸が止まる。
音もなく。
誰も知らないまま、
一つの命が終わる。
けれど。
言葉にならなかった想いだけが、
どこにも落ちずに残った。
記憶ではない。
誓いでもない。
ただ。
「笑っていてほしい」
その感情だけが、風に溶け、光の波に運ばれるように、
静かに次へと流れていった。
――まだ、終わらないまま。
ーーーーー
――同刻 京
夕刻の風が、
御簾をわずかに揺らしていた。
庭では女房たちの笑い声が遠くに続き、
水の音が細く響いている。
言の葉の君は、筆を止めた。
墨が紙に小さく滲む。
理由はなかった。
ただ、
胸の奥が――
ふと静かに空いた。
縁へ出て、
遠くの空を見た。
西の端が、夕日の光で静かにほどけ、空気まで染めている。
風が吹く。
言の葉の君は小さく息を吐き、
自分でも理由の分からないまま、
そっと微笑んだ。
涙が、
一筋だけ、光を吸い込むように落ちる。
なぜ泣いているのか、
分からないまま。
夕闇が、
静かに京を包んでいった。




