平安時代ー結び
数年の時を超えた日
言の葉の君は、
死の気配が静かに近づく中で、
自分の人生を穏やかに振り返っていた。
正妻と過ごした日々。
子を抱いた記憶。
家を背負い、果たしてきた責任。
――どれも、間違いではなかった。
誤りも、悔いもない。
この時代で与えられた役目は、
きちんと生ききった。
それでも。
最後に、胸の奥に浮かんだのは――
敦姫だった。
声。
目。
触れようとして、触れなかった距離。
そして、あの夜の、かすかな言葉。
「来世では、呼んでください」
言の葉の君は、ゆっくりと目を閉じる。
(……私は)
(……あの人を、置いてきた)
胸の奥が、静かに痛む。
――隣に立てなかった。
それだけが、最後まで残った。
正妻にはなれない。
名も与えられない。
並ぶことすら、許されなかった。
分かっている。
責める気持ちはなかった。
時代がそうであっただけ。
それでも。
ほんの少しだけ。
願ってしまった。
皆に認められて、隣に立ちたかった。
堂々と、同じ景色を見たかった。
声にならない息がこぼれる。
……せめて。
せめて。
側にいられたなら。
瞼の裏に、別れの日の姿が浮かぶ。
静かに微笑む敦姫――
きっと、優しさだったのだと、今なら分かる。
だから――
次があるなら。
叶えるためでなくていい。
逃げなくていい場所で。
理由なく、隣にいられる世界で。
もう一度。
同じ人の側に。
その願いは、祈りではなく、胸の奥に静かに沈んでいく。
涙が、頬を伝う。
呼吸がほどける。
音もなく。
夜は続き、灯は揺れ、風が窓辺を撫でる。
人は生きていく。
ただ。
二つの願いだけが、光と影に運ばれるように、行き場を失わず、同じ流れへ重なった。
記憶ではない。
約束でもない。
未完のまま共有された想い。
そして、どこか遠くで、
時間の重なりが、微かに揺れる。
光と影が、ふたりの魂をそっと結ぶように。
――まだ、終わらない。




