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第二十二話 風切り音と煙幕

 ――キィン。


 降ってきた矢を、えるまは音叉の一振りで弾いた。金属同士がぶつかるような、澄んだ音が響く。

 矢は地面に突き刺さり、震えながら止まった。


「久米さん、あきらを連れて下がって」

「わかったわ!」


 久米はあきらの腕を掴むと、素早く木の陰へ引いた。あきらは何が起きたのか分からないまま、ただ目を見開いている。

 えるまは音叉を構えたまま、木々の上へ視線を向けた。

 枝葉の間、高い位置に人影があった。灰色がかった装束に身を包み、弓を構えている。表情までは見えないが、こちらを見下ろす気配だけははっきりと伝わってきた。


「弓音流」


 えるまは短く呟いた。矢の軌道、風切り音の質——弓音流特有のものだった。ただし一如の梓弓とは違う。もっと荒っぽく、殺気を隠す気もない構え。

 人影が、すっと姿勢を変えた。


 ――静寂。


 風の音すら止む、一瞬の無音。それが、次の矢が放たれる予兆だった。


(聴く)


 えるまは目を閉じるまでもなく、その静寂の質を感じ取った。相手のリズムは荒く、単調。強者特有の「間」の長さはない。


 ――ヒュンッ。


 二射目が放たれる。えるまは音叉を軽く一鳴らしすると、矢の軌道へ正確に割り込んだ。


 ――キィン。


 弾かれた矢が、木の幹に突き刺さる。


 人影が舌打ちをするのが聞こえた。木の上から飛び降り、地面に着地する。近くで見ると、意外にも若い男だった。目つきは鋭く、獲物を品定めするような視線をえるまへ向けている。


「へえ、聞いてた通りだ。特A級」


 男は矢筒から新たな矢を取り出しながら言った。


「あなたは?」

「蛇塚伊吹。名乗るほどの間柄じゃねえけどな」

「蛇塚伊吹、破音の危険度ランクB」


 久米の呟きに、蛇塚が愉快そうに口の端を上げた。


「さすがエリート様。よく知ってるじゃねえか。今日は尾行するのが仕事だったんだがな」

「どこが尾行なの? 攻撃してるじゃない」

「噂の特A級とちょっと遊びたくなっただけさ」


 蛇塚は矢をつがえると、狙いをえるまへ絞った。


「どれだけのもんか、確かめさせてもらうぜ」


 ――ビュッ。


 放たれた矢が、風を切り裂いて突き進む。


(合わせる)


 えるまは音叉を鳴らし、矢の軌道と同調させるように振るった。金属音が空気を裂き、矢の勢いをわずかに逸らす。


 ――キィン。


 矢が、狙いを外れて地面に突き刺さった。


「器用なもんだな」


 蛇塚は矢継ぎ早に次を放つ。二射、三射と連続する矢を、えるまは音叉一本で捌いていく。金属音が山中に響き渡るたび、蛇塚の眉間の皺が深くなっていった。


「そろそろ、飽きてきたぜ」


 蛇塚が矢を番える速度が上がる。狙いも一箇所ではなく、久米たちのいる方向へも散らし始めた。


「久米さん!」


 あきらが叫ぶ。久米は素早く木の陰へあきらを庇いながら、腰の得物に手をかけた。


 だが、矢が届く前に――


(ずらして壊す)


 えるまが音叉を強く一鳴らしした。澄んだ高音が、山の空気を切り裂くように響き渡る。


 ――キィィン。


 放たれた矢の軌道が、空中でぶれる。蛇塚の弓を握る手のリズムそのものに、えるまの音叉が正確に噛み合い、そしてわずかにずらした。


「なっ——」


 蛇塚の手元が狂う。次の矢が、明後日の方向へ飛んでいった。

 えるまは音叉を鳴らしながら、一歩踏み込む。


「終わり」


 もう一度、鋭く音叉を打ち鳴らす。


 ――キィン!


 蛇塚の弓を握る指先が、痺れたように震えた。弓が手からこぼれ落ちる。


「くそ……っ」


 膝をつく蛇塚。えるまはゆっくりと近づくと、その眼前で音叉を止めた。


「誰に言われて尾行してきたの、目的は何?」

「……さあな」


 蛇塚は苦々しく笑うと、懐から何かを取り出した。小さな煙玉のようなものが、地面に叩きつけられる。


 白い煙が一気に視界を覆った。


「煙幕?!」


 久米が声を上げるが、煙が晴れた頃には、既に蛇塚の姿は消えていた。

 しん、と静けさが戻る。木々のざわめきが、少しずつ元の音量を取り戻していった。

 えるまは音叉をしまうと、小さく息を吐いた。


「逃げられた」

「大丈夫、えるま?」


 久米があきらを連れて駆け寄ってくる。あきらは腰が抜けたように、その場にへたり込んでいた。


「こ、こわかった……」

「怪我はない?」

「な、ないです……足が、震えて……」


 久米はあきらの肩に手を置くと、周囲を警戒するように見渡した。


「尾行って言ってたわね。ということは」

「うん」


(誰かが、私たちがここに来ることを知ってた)


 えるまは音叉の感触を確かめながら、山の奥をじっと見つめた。

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