第二十話 登山と三人組
翌朝、えるまが玄関の鍵を開けると、既に久米のSUVが停まっていた。
助手席の窓が開き、久米が顔を出す。
「おはよう。準備はできてる?」
「うん」
えるまは背負ったリュックを軽く持ち上げて見せた。中身は着替えと非常食、それから小箱と音叉。山歩き用の装備は、久米が事前に手配してくれていた。
「あきらは?」
「もう向こうで待ってるはずよ。合流地点、確認しておいて」
えるまは助手席——ではなく後部座席に乗り込んだ。久米が片眉を上げる。
「今日は後ろなの?」
「あきらが乗るから」
当然のように答えると、久米は小さく笑って車を発進させた。
◇
合流地点の駐車場に着くと、既にあきらが待っていた。さすがに今日はいつものゴスロリ衣装ではなく、動きやすそうな登山用のウェアに身を包んでいる。ただし、なぜか頭には猫耳のついたニット帽が乗っていた。
「おはようございます!」
あきらが大きく手を振る。えるまが車を降りると、あきらは駆け寄ってきて、まじまじとえるまの装備を見た。
「本格的な格好してますね……なんかこう、プロって感じ」
「仕事だから」
「そうですけど! テンション上がっちゃって」
あきらはくるりとその場で回ってみせる。ニット帽の猫耳が、動きに合わせて揺れた。
「その帽子は」
「可愛いでしょう。山だから、ちょっと気合入れてみました」
「山に、猫耳」
えるまが呟くと、あきらは胸を張った。
「山にこそ、なんですよ。動物と仲良くなれそうじゃないですか」
「熊が出たら危ない」
「え」
あきらの表情が固まる。運転席から降りてきた久米が、その様子を見て小さく吹き出した。
「大丈夫よ、今回向かうエリアに熊の目撃情報はないから」
「な、なんだ、ホッとしました……」
あきらは胸を撫で下ろすと、荷物を確認するようにトートバッグの中を漁り始めた。
「差し入れ持ってきたんです。これ、山用のおやつ」
取り出されたのは、色とりどりの個包装のお菓子だった。ラベルには見慣れない文字が並んでいる。
「ぽっぷんきゃんでぃ、山限定パッケージです」
「限定?」
「ショーバイのコツは、限定って言葉ですからね」
あきらは得意げに笑うと、一粒をえるまの手のひらに乗せた。
「今日のおすすめは激辛カレー味です」
「辛いのは苦手」
「え、意外」
「甘いほうがいい」
えるまが素直に言うと、あきらは慌てて別の一粒を探り出した。
「じゃあ、こっちは……メロンソーダ味。これなら大丈夫だと思います」
差し出されたそれを、えるまは受け取ってポケットにしまった。今すぐには食べない。あとで、休憩の時にでも。
久米は装備をトランクから取り出しながら、二人のやり取りを横目で見ていた。
「二人とも、遊びに来たわけじゃないのよ」
「わかってます!」
「わかってる」
二人の声が重なった。久米は苦笑すると、地図を広げてボンネットの上に置いた。
「今回向かうのは、この座標周辺。あきらが持ってきた情報だと、この一帯に律の乱れの痕跡があるらしいわ」
「はい。山の名前までは伏せられてたんですけど、座標は一致してました」
久米が指した地図の一点を、えるまも覗き込む。険しい稜線が続く、人の手があまり入っていない区域だった。
久米は装備の最終確認をしながら、あきらの方をちらりと見た。
「髙山さん。今日はあくまで検証扱いだから。危ないと私が判断したら、すぐに退避してもらうわ。いいわね?」
「はい、もちろんです」
あきらは今までにない真面目な顔で頷いた。その表情の変化に、えるまは少しだけ意外な気持ちになる。
「意外そうな顔してますね」
「ちゃんとするんだと思って」
「失礼な! こう見えて、ちゃんとする時はちゃんとするんです」
あきらは頬を膨らませたが、すぐにいつもの調子に戻ると、リュックを背負い直した。
「それじゃ、行きましょう!」
「うん」
三人は登山口へと向かって歩き出す。木々の間から差し込む陽の光が、地面に細かい模様を描いていた。
まだ、律の乱れの気配は感じない。だが、この先のどこかに、確かに何かがある。えるまの指先が、無意識に音叉の感触を確かめていた。




