第十九話 許可と懸念
えるまからのメールに気がついたのは、デスクに戻ってすぐのことだった。
『埼玉の山、要石の情報。あきらも同行希望。歪みを感じられるようになったかもしれないと言っている』
文章は簡潔を通り越して、要点だけを箇条書きにしたような簡素なメール。相変わらずと言えば相変わらずだが、内容そのものは看過できない。
久米は椅子に深く座り直すと、コーヒーを一口含んだ。豆を挽く手間を惜しまなかった甲斐あって、香りだけは仕事の疲れを少しだけ和らげてくれる。
(要石の情報、あきらの体質変化、同行希望——)
3つの要素を頭の中で並べる。どれも単独でなら判断は容易い。だが、重なり合うと厄介のレベルは跳ね上がる。
髙山あきら。前回の要石事件での被害者。その時も本物を掴んでいるのは確かだ。
今回の情報についても、写真、座標らしき数字、地形の記述——素人がでっち上げたにしては、要点を押さえすぎている。直接話しをしたえるまが正しいと判断したのなら、まず間違いはないだろう。どこでそんなコネを掴んでいるのかは分からないが、少なくとも嘘やでまかせで動く人間ではなさそうだというのが、久米の率直な評価だった。
問題は、あきらの申告する「歪みを感じられるようになった」という一点だった。
異律遭遇者が、その体験を経て歪みへの感度を得る——前例のない話ではない。深度の異律遭遇者の中には、一般人としての生活が困難になるほど過敏になる者もいると聞く。別域が非公式に協力を仰いでいる人材の中にも、そうした経緯を持つ者が数名いたはずだ。
だが、その話が本当かは検証しなくてはならないし、だからといって同行させるかもまた別域の判断を仰がねばならない。
久米はコーヒーカップを置くと、内線を取った。
「橘さん、少しお時間よろしいですか」
二言三言のやり取りの後、久米は資料室へと向かった。
◇
「――というわけで、髙山あきらという人物について、正式な適性検査を実施したいのですが」
橘管理官は、老眼鏡越しに久米を見た。異律遭遇者の追跡調査を長年担当している、別域内でも数少ないベテランだ。
「久米くんが個人的な便宜を図りたいわけじゃないんだね」
「もちろんです。今回、彼女が独自の伝手で持ち込んだ情報の精度は無視できないものでした。それが単なる幸運か、実際に歪みへの感度を得た結果なのか、公式に見極めておく価値はあると考えます」
橘は資料をめくりながら、しばらく黙っていた。
「検査という体であれば、稟議も通しやすいだろうね。ただし」
橘は老眼鏡を外し、久米をまっすぐに見た。
「あくまで検査だ。チームへの正式な加入とは切り離して考えること。危険度の判断は現場責任者――つまり君に一任する。彼女の安全については、調律師本人と同等以上の責任を負ってもらうことになるが、構わないね」
「承知しています」
久米は迷いなく答えた。あきらのことを、まだ完全に信用しているわけではない。だが、あの押しの強さと、時折見せる的確な情報網は、無視して良いものでもなくなっていた。
「では、正式な文書を用意しよう。名目は『異律遭遇後の感覚変異に関する現場検証』だ」
「ありがとうございます」
橘は口元に、微かな笑みを浮かべた。橘はそれ以上追及せず書類仕事に戻り、久米は敬礼すると部屋を後にした。
久米はすんなり事が進んだことに、やや拍子抜けしながらもどこか腑に落ちないひっかりりを感じていた。
◇
自分のデスクに戻ると、久米はスマホを取り出し、えるまへ返信を打った。
『同行の件、正式な検証扱いとして許可が出ました。ただしあくまで検査目的。危険な局面では即座に退避させます。あきらにもその条件、伝えておいてもらえる?』
送信ボタンを押すと、久米は小さく息を吐いた。
窓の外はまだ明るい。埼玉の山、か。久米はコーヒーを飲み干すと、次のスケジュールを確認するべく、デスクの端末を立ち上げた。




