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第二話 要石と異律遭遇者

 ——えるまの平衡感覚が狂いはじめ、視界が滲んだ。

 

 素早くコートのポケットに手を入れると、指先が細い金属に触れる。

 そこから取り出された金属は音叉だった。

 えるまは手首のスナップを効かせ鋭く鳴らす。

 澄んだ音が、部屋に満ちる。

 その清廉な響きに耐えかねたのか、脈動が乱れ始めた。

 えるまはその隙間に割り込むように、音叉をもう一度、また一度と鳴らす。

 リズムをずらし、周波数を食い違わせ、狂った律に不協和音を叩き込んでいく。

 壁の震えが揺らぎ、床の感触が乱れた。

 

 ——押せている。

 

 そう思った瞬間、脈動が逆襲の唸りを上げた。

 まるで嫌がる子供が駄々をこねるように、リズムが一段と激しく暴れ、澄んだ音叉の音を塗り潰そうとする。耳の奥ではなく、頭の芯に直接叩きつけてくるような重い律動。えるまの視界が一瞬、白く濁った。

 

 ——ああ、これは。

 

 本物だ。

 

 音叉を握る指に、無意識のうちに力がこもる。

 えるまは分厚い手袋をはめ、細かい文字が刻まれた木製の小箱を取り出す。床に置いて蓋を開けると、箱の内側にまで細かい文字が隙間なく刻まれていた。

 音叉を鳴らし続けながら手袋ごしに石を掴むと、拒絶の意思を示すかのように脈動が強まった。

 

 再び音律が歪む。音叉の音がわずかに淀み、足元が揺らいだ。

 

 噛み締めた奥歯が軋む。

 いつもの気だるげな瞳の奥に、真剣な光が宿った。

 

 えるまは音叉を鳴らしつづけ、息を止めると、石を箱の中に押し込み、蓋を閉じる。

 

 次の瞬間、辺りを乱していた脈動が途切れた。

 

 肩の力がふっと抜ける。

 いつもの気だるげな表情が、何事もなかったかのように戻ってくる。

 

「……残り5つ」

 

 えるまは小さく呟いた。

 

 その直後、部屋の中央で空気が裂け、この部屋の住人であろう人物が何もない空間から吐き出されるように現れた。


 ゴスロリ姿の少女は床に膝をついて、肩で息をしている。目の焦点が定まるまで少しかかった。

 えるまが箱に刻まれた文字の上を指でなぞると、脈動は完全に止まったのが感じられた。

 

「なにが……」

 

 少女が掠れた声で言った。

 

「いったい何が起こったの?」

「あなたにはわからない。知るべきではないことです」

 

 えるまは小箱をカバンにしまうと。空になったトンボ柄の巾着を手に取った。

 

「それ、動画で紹介しようとしてたやつ——」

「紹介できませんね。もうありません」

 

 えるまは熱のこもらない声で告げると、少女を見下ろした。その目は眠たそうで、しかし声は硬かった。

 

「ひとつだけ覚えておいてください。素人が手を出してはいけない領域というものがあります」

 

 少女は口を開いたが、何も言えなかった。

 

「ネタが欲しいなら」

 

 えるまは扉に向かいながら言う。

 

「本物に触れるのではなく、本物を知っている人間に話を聞きなさい。それが賢いやり方です」


 外に出ると久米警視と二人の警官が壁際に並んで待ち構えていた。

 

「片付きましたか」

「はい、中に深度異律(いりつ)遭遇者がいますので、ケアをお願いします」

 

 それを聞いた警官たちが、急ぎ足で部屋の中へ入っていく。

 ひとり残った久米警視に、えるまが囁いた。

 

「今回はアタリでした」

 

 カバンの上から小箱にそっと手を当てた。

 その答えを聞いた久米警視の眉がピクリと動いた。

 えるまは、黙ってカバンからサンドイッチの続きを取り出す。

 

「お腹が減りました」

 

 えるまは、そう言ってサンドイッチにかぶりつく。

 普段と変わらぬ様子に、久米警視は安堵した表情で微笑んだ。

 

「おつかれさま」

 

 えるまは、ひらひらと手を振ると、サンドイッチの残りを齧りながら階段を下りていった。


 ◇


 翌日。

 遅めに起きたえるまのタイミングを見計らったかのように、久米警視からメッセージが届いた。

 

『昨日はおつかれさまでした。今日、時間あるかしら?』

『今日はゆっくり休む予定があります』

『特大パフェがオススメの、おしゃれなカフェを見つけたんだけど』

『行きます』

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