表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/37

お花摘み②

 マーニ様と出会ったのは、まだマーニ様が幼少の時でした。

 マーニ様は私より三歳年下で私は八才でしたから、マーニ様が五歳の時です。よく覚えています。

 父に連れられ赤い絨毯の長い廊下を私は緊張した面持ちで歩いておりました。

 壁にはさまざまな絵画、廊下の折々にも壺が飾られていて、どれだけの価値があるかも分からないまでも高価なものであることは幼い頃の私でも十二分に察せます。

 ある居室の扉の前。

 父はしゃがみ込み私と目線を合わせながら、肩に手を置いてよくよく言い聞かせてきました。


「いいか。これから入るこの部屋にお前が仕えるべき主人がいらっしゃる。お前よりも幼い子だ。お前がその方を命を賭してでも守るのだ」


 最初、私は父の言葉が嫌でしょうがありませんでした。

 どうして他者のために命を賭けなければならない?

 幼少の私は当然の疑問を胸の内に抱いていたのです。

 父や母など親族であれば、命を賭して守るというのも分かる。

 けれども、主人とやらを命を賭して守る意味が幼い私には分からなかったのです。


「失礼いたします」


 父に背中を押され促されるように部屋に入ると、そこは立派な部屋でした。

 本が多く目につくのもそうですが、まず何よりも目につくのが大きなベッド。

 そこにはベッドとは対照的に小柄な子が、上半身を起こしてこちらを見ていました。

 脇にはその子の父親と思われる立派な髭を蓄えた男──マーニ様のお父君が椅子に座っていて、私と父が室内に入るや否や立ち上がり父と挨拶を交わし始めました。

 これが私とマーニ様の出会いです。


「ケホッコホッ」


 口元に軽く握った手を当ててコンコンと止まらない咳を続ける幼いマーニ様を見た時、まるで細枝のようだと思ったものでした。

 同じ人でも私は狼の獣人でしたし、マーニ様は人間で。

 種族という違いもありますが、マーニ様はおそらく人間の中でも虚弱な方でしょう。

 この子が私の主人となる人……? と、不躾なまでに私がまじまじと見つめていると、いつの間にやら父とマーニ様のお父君の間でそういう流れになったらしく「ほら、自己紹介をなさい」と、肩を父に小突かれた。


「あ、えと、ハティと申します!」


 焦って余計な「あ、えと」という声が出てしまって、父は眉を顰めました。

 マーニ様のお父君はそれを気にする素振りもなく「マーニをよろしくね」とおっしゃってくださりました。

 あの子はマーニと言うのかと思いながらもこくこくと頷くと、父は顔に手を当てて呆れておりました。

 この晩、父から「目上の者にきちんとした受け答えをしなさい!」とこっぴどく叱られたことをよく覚えています。

 マーニ様のお父君は愉快そうに笑うと、父に向かって、


「じゃあ、私たちは別室でこれからの話をしようか」


 と、おっしゃっるものですから、え!? と私は思ってしまいました。

 つまり、私はマーニ様のいるこの部屋に二人きりにされるということで。

 主君となる子となにを話せばいいか見当もつかなかったのです。

 父はマーニ様のお父君に頷くと、焦る私に向かって人差し指を立てました。


「失礼のないように」


 父は念を押すようにそう言い残して、大人二人はそのまま部屋から出ていってしまいました。

 唐突にマーニ様と二人きりにされてどうしていいか分からなかった私は、とりあえず部屋を見渡してベッド脇のサイドチェストの上に水差しの乗ったトレイを見つけたものですから、水差しから水をコップに注いで「どうぞ」と渡したのでしたね。

 咳をしながらも幼いマーニ様は私からコップを受け取って、ゆっくりと口に含みました。チビチビと飲みます。

 一度に飲み干してはきっと咽せてしまうのでしょう。

 嚥下えんげすらまともにできない。

 それは生物として欠陥があると思わざるを得ませんでした。

 なるほど。これでは誰かの助けがなければ生きてゆけない。

 妙な納得感を覚えながらマーニ様の様子を眺めていると、マーニ様が止まらない咳を我慢して息を止めながら私に顔を向けてくる。

 なんだろう? と思っていると、


「ありがとう」


 私に微笑むのでした。

 幼い頃の私は驚いてしまいました。

 息をするのもやっとなこの生物が、礼をするためだけに無理をおしてでも笑顔を作った! と。

 ……そうですね。私が笑顔を作るようになったのは、この時がキッカケです。

 マーニ様の微笑みに私が呆気に取られていると、すぐにまたマーニ様の咳が始まって我慢した分も相まって余計ひどく咳き込むものでしたから、私は必死になってその背中を撫でたのでした。

 もうこの時にはすでに他人を命を賭してでも守るなんて嫌だという疑念はどこかに行ってしまっていて、ただただこのか弱い生物を守ってやらねばならないと義務感を抱いていました。

 それが心からの忠誠へと変わったのはいつからだったでしょう。

 それはきっと、あの時のことです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ