貴方に笑って欲しくて。
これはまだ私ことハティも、マーニ様もまだ幼い頃のお話。
マーニ様のお部屋は、大きなベッドと本棚が用意された日当たりのいいお部屋で。
朝稽古を終えると、私は主人であるマーニ様の部屋に立ち寄るのです。
「では、剣の稽古に行って参ります」
「うん、ありがとね。いってらっしゃい」
次の昼の稽古の時間までベッドの上のマーニ様との会話を済まし、部屋に出ていこうとした時です。
ベッド脇のサイドテーブルの本へ、ふと目が行きました。
その本の背表紙は四方の端がもう擦り切れてしまっていて、もう何度も読んだことが伺えます。
「どうしたの?」
私が本に目を向けて立ち止まったことを不思議がったマーニ様に問いかけられて、私は慌てて首をふりました。
「いえ、なんでもありません。行って参ります」
「うん」
私は、あることが気になっていたのです。
マーニ様は読む本に飽きてはいないか、と。
この頃のマーニ様は咳が酷くて外に出るのもままならないものでして。
部屋にあるご本をいつも読んでいるものでした。
けれど、一日中部屋に篭っているマーニ様にとって、部屋に収まるようなご本などあっという間に読破してしまうのも当然で。
ご本だけでは退屈なのではないかと、この頃の私は幼いながらずっと気にしていたのです。
そして、本が擦り切れているところを見兼ねて、やはり何かして差し上げたいと思ったのです。
できうることなら、読書以外の楽しみを用意して差し上げたい。
マーニ様は病弱な方特有のお利口な周りに遠慮する癖があって、あまり周りにそういう退屈を漏らすようなことはありませんでした。
幼い私はマーニ様のためにできることをずっと心の中で考えていました。
父の厳しい武芸の稽古の前後も、マーニ様と一緒にお風呂に入る時も(私はマーニ様の護衛騎士であり童子なようなものでもあったのです)、寝る前も。
なにか楽しげな話でも話す? マーニ様は気を遣って楽しそうに話を聞いてくれるだろうけれど、たくさん御本を読んでいらっしゃるマーニ様が楽しめるような話など話せる気がしない。
ならば、おもちゃなど差し上げる? ……子供の私に買えるものならば、とっくにマーニ様のご両親が買い与えている。
他にできることは──、思いつくことと言えば、武術ぐらいなものでした。
武術、演武でも見せましょうか。
でも、見ていて面白いかというと、どうでしょう。
演武というのは、極めた型を次々と繰り出すもので見ようによっては踊りのようにも見えなくもない。そもそも踊りの中には武の型を失伝しないように踊りとして伝え聞かせるものも多いですが……。
結局、いいアイデアはその日ベッドに入っても見つかりませんでした。
翌日、たまたま父に連れられて城下町に出ていました。
父が剣や防具の新調に色々と見て回る中、私は城下町の広場の方が騒がしいことに気がつきました。人集りができている。
そっと父から離れ、広場の人集りへと歩みを進めて様子を伺うと、どうにも広場の噴水の横で誰かが何かをしているようでした。
その者はシルクハットに燕尾服のような風変わりな格好をして、ニヤニヤと笑顔を張り付けているそんなハイエナの男で。
大道芸の輩でした。
どうもコインなど色んな小道具を使った手品をしているようで。
手にしたコインが消えたり、手からいきなり花を出したり、シャッフルしたカードの絵柄を予言して見事的中させてみたり。
男の一挙手一投足に、観客の歓声が飛ぶ。
これだ! と、私は思いました。
手品ならばマーニ様の退屈凌ぎになるのではないでしょうか。
そうと決まれば。早速、技を盗まねばなるまい。
じっくり父が買い物を済ましてる隙に、私は大道芸人を観察しました。
手品のトリックはパッと見では分からない。
けれど、全体を通して見れば、筋肉の隆起、微細な予備動作、それだけで体のどこの箇所を使用しているかは完全に把握できました。
途中式が分かるのなら逆算すればどうすればいいかは、なんとなく想定できる。
これならマーニ様を楽しませることができる! そう満足した時です。
「何をやっている、ハティ!」
その怒声と共に、ゴチン! と、拳骨が頭に降ってきて。
得も知れぬ痛みに私は頭を抱えて塞ぎ込みました。
気づけば、憤る父が後ろに立っていて。
買い物途中に姿を消した私に気づいて探しにきたのでしょう。
そして、私は発見され容赦なく拳骨を落とされたわけです。
いや、武人の父のことですから本気ならば軽く死ねるので容赦はしているのでしょうが……、とは言え、子供の私には涙が目に浮かぶほどの痛みでした。
「お前の鎧を見て回っているというのに、ほっつき歩きおって……、大道芸なんかに現を抜かしてる暇はないのだぞ」
「……はい、すみません父上」
間違いなく私が悪いので痛みを堪えながら頭を下げると「ふぅ……」と、父は息を吐きました。
「……手品は楽しかったか?」
「え、あ、はい」
マーニ様のための手品を覚えられて、とても有意義でした。
とは言えないものの、私は恐る恐る頷きました。
すると、父は一度深く頷くと踵を返しました。
「……そうか。では、防具屋を待たせている。行くぞ」
「はい、父上」
いまのはなんだったのだろうと思いながらも、父について行きました。
それからは、元の予定通りお買い物です。
勿論、頭の中では覚えた手品の種を忘れないように頭の中で反芻を繰り返していましたが。
文字通り手品のタネを見て盗んだ私は、そのまま内心ウキウキでマーニ様の待つ屋敷への帰路に着いたのです。
屋敷に帰ってからというもの、隙を見ては手品の練習に励む日々が始まりました。
大道芸がやっていた握っていたコイン消してしまう手品などは、すぐに習得しました。
要は、握り込んだ指でコインを弾いて袖の中に飛ばしてしまえばいいのです。
コインを弾いて目的の場所に飛ばす。なんて、暗器の練習と比べてしまえば造作もないものでした。
数日間、念の為練習の期間を設けて。
コインを右から左に移す手品やハンカチから花を出す手品を覚えた私は、マーニ様の元へと勇み足で向かったのです。
ドアをコンコンとノックして。
「ハティです。マーニ様、いまよろしいですか」
「うん、大丈夫だよ」
マーニ様の声が返ってきて、私は部屋に入室する。
マーニ様はいつものように大きなベッドの上で体を横たえて、私が部屋にやってきたからと上体を起こしてくださっていた。
「体調はどうですか」
「大丈夫、今日は元気な方」
マーニ様はコホコホと咳をしましたが、比較的小康状態にはあるようでした。
ならば、手品をお見せしても大丈夫だろう。
早速、手品を披露することにしました。
「お見せしたいものがあるんです」
「見せたいもの?」
マーニ様がキョトンとしている中、私は手品のハンカチをマーニ様に見せびらかしてマーニ様がそれに視線を注目したことを確認すると、ハンカチをクシャクシャに握り込んで──、ぱっと手を開いて一輪の花をポンと出現させました。
一輪の赤いチューリップです。
「わぁ、すごい!」
目をまんまるに大きくさせたマーニ様が、大喜びで手を叩いてくださる。
それを見れただけで手品を覚えた甲斐があったというものでした。
「どうぞ」
そして、チューリップを差し出すとマーニ様は大層大事そうに受け取りました。
「綺麗! ありがとう」
花を愛でるように大事に胸に両手で抱えながら花が咲いたように笑うマーニ様は、とても愛らしくて。胸が途方もなくほっこりしたのをよく覚えています。
それから他にも私はマーニ様に覚えた手品を見せました。
その度に、マーニ様は喜び感動なさってくれて。
誰かを──、いえ、マーニ様を楽しませることができることが、こんなに自分も楽しいことなのかと初めて私は実感したのです。
この日以降、マーニ様に覚えた手品を披露する機会を度々設けるのでした。
手品を覚えて、私はよかったと思っています。
それは武芸だけの私の人生に一種の花を添えてくれました。
それになにより。
マーニ様が喜んで笑ってくださるのなら、それだけで良かったのです。
それは子供の頃からいまに至っても変わることはありません。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
そして、いま。
私の周りではたくさんの刺客たちが、赤い花を大地に咲かせて眠りこけている。
今宵のお花摘みも順調でした。
今回は強者が数人いました。が、どいつも手品を応用した【無拍子】の前にあっけなく死んでいきました。
マーニ様を思って覚えた手品を人殺しに活用するなんて──と思っていた時期もありました。
けれど、いつからかそんな外連味も消えてしまって。
陶酔に浸るようになっていたのです。
マーニ様を思って覚えた全てが私の力になる。
それはそれで、私にとっては幸福なことでした。
幸福感で胸をいっぱいにした私が空を見上げると、そこには大きな青白い満月が私を見下ろしていました。その青さはマーニ様の青い瞳のようにとても澄んでいて。
私は、誓いを捧げる。
「マーニ様、貴方だけは絶対に守り切ってみせる」
死屍累々の血溜まりの上で空に浮かぶ青い月にそう誓ったのです。
マーニ様が真実を知る前の、ある晩の夜の出来事でした。




