856.魔女の弟子とこの美しき世界
紅星魂体。それは俺の真・魔力覚醒の本来の姿、俺が真・魔力覚醒だと思っていたものはただ待機形態、と言うか未完成の形だった。
その本質は、星の魂を用いて行う魔力覚醒。人の魂を肉体に敷き詰める事で巻き起こるのが魔力覚醒、それを星の魂で行う。エリスみたいに星の魔力は使えないが、その出力は文字通り人の領域に留まらない。
それこそが俺の真・魔力覚醒の完全体にして英雄ラグナ・アルクカースの完成形。それに目覚め、俺は再びイノケンティウスの前へと立ち塞がる。奴は既に臨界魔力覚醒の中で魔力覚醒を行っている。
互いに互い、底を見せた。これ以上先はない、あったとしてもお互いに知らない。ならば後はもう、競るのみである。
「星の魂魄……そのものだと。あり得るのか、こんな事が」
星の瞬きを纏う髪を揺らし、白星の輝きの如く白い衣を羽織り、俺は小さく息を吐く。目の前にはワナワナと震えるイノケンティウス。紫の魔力を放ち、その圧力により自身の体が瓦解する中で奴は震える。
「人の姿を保ったまま、星の魂を使う。こんな矛盾があっていいものか……お前は、どこまでめちゃくちゃなのだ、ラグナ・アルクカース」
「お互いだろ、イノケンティウス。あんたも人の身で魔女の領域に足を踏み入れようとし、そして事実成し遂げている」
「……同じなものか。決して、同じなわけがない」
イノケンティウスは命を賭けている、これが終われば彼の生涯もまた幕を閉じる。その上でのこの事態、まぁ逆の立場ならあまりの理不尽さに涙すると思うよ。
「これが、魔女の弟子か。なんたる理不尽、ここぞの勝負をモノにする天才達か」
だが、彼は戦意を失わない。それどころか……笑って見せる。
「オウマ、イシュキミリ。お前達はこんなものと戦っていたのだな」
歯を見せ、懐かしむように笑う。
「ジズ、セラヴィ、余はお前達を低く見過ぎていたのかもしれん」
瞼を閉じ、思い浮かべるのはかつての同盟達。
「ルビカンテ、マヤ、お前達が傾倒した気持ちも分かるぞ」
そして彼が俺達と戦わせるよう仕向けた者達。自身の対立者として見定め、そして敗れて消えていった者達。
「クレプシドラ、お前は……強かったのだな」
一人残らず、この世にはいない。戦いの中で命を落としていった。そして今、最後の一つが陥落しようとしている。八大同盟と言うマレフィカルムを支える八つの柱が落ちようとしている。
「……ラグナ・アルクカース。八大同盟達は、皆どのように散っていった」
「手前の道に殉じて生きて、そして死んでいった」
「そうか、なら。最後の一人が……彼らの死を穢すわけにはいかんな」
拳を打ち鳴らす、それでも最後の柱は最後まで立ち続けることを選ぶ。故に俺もまた手を抜かないことを覚悟する、これは……終戦の為の戦い。最後の最後なのだ。
長き旅、長き戦い、それに終止符を打つ。
「ッッかぁああッッ!!」
「ッッ!」
一閃、イノケンティウス拳が炸裂する。臨界魔力覚醒による強化をフルで生かした一撃だ、有史以来一人としてこの段階に至った者がいないことから考えて、その一撃は常軌を逸するレベルと言える。
しかし、それは。
「俺も、お前らに報いいるために戦うよ」
「なァッ!?」
避ける、軌跡を残し奴の神速の一撃を避ける。そのまま思い切り拳を握れば、ピシピシと空間にヒビが入る。まるで空間そのものが俺に譲るかのようにガラスのように割れる。
……トラヴィス卿は語った、ナヴァグラハの著書『星因英雄論』なる本を引用し、考察し、英雄の力が完全に目覚めた時。俺に宿る力はなんなのかと。
それは『ドミノを倒す力』だと言っていた。あらゆる事象には因果が存在する、葉を落とす風、風を起こす熱、熱を生む太陽。それらはドミノ倒しのように連なり、そして倒される側は倒す側には絶対に影響を与えないと言う法則が存在する。それが事象というドミノ。
最強の力とは第一のドミノを倒す指であると彼は言った、それこそが最強だと。即ち万象に影響を与え、万象から影響を与えられない『不動の動者』。
それが俺の力の行き着く先だと。
即ち、今俺の『拳』は『指』になったのだ。世界という無限に連なるドミノを倒し事象を巻き起こす指に。
それこそが。
「『紅星一撃』!!」
「っグッ!?」
虚空に叩きつけられた拳は、世界を割る。石を叩きつけられた瓦礫のようにピシピシと大きく亀裂が走り音を立てていく。
それのみに留まらない、先も言ったが俺の一撃は全てに影響を与える、空間も魔力も何も関係なく衝撃は水中のように伝播しイノケンティウスの体すらすり抜け全てを破砕する。世界の修正力にも匹敵するエネルギーが人間一人に叩きつけられ、イノケンティウスの口から血が漏れる。
「もう一発!」
「ガッ!?」
更に加える一撃、足を振り上げ蹴りを放てば再びイノケンティウスに触れることなく空間が割れる。今の俺の攻撃は全てを物理的に捉える事ができる、魔力や魂に物理的に干渉するのみに留まらず、空間そのものを割って射線上にいる全てに同等のダメージを与える事が出来るのだ。
その威力は、まぁ言うまでもない。第四段階に至ったイノケンティウスが一瞬気絶するほどの威力だ。単純な破壊力で言えば今までの俺と比較にもならない。
「ッッこの!!」
しかしイノケンティウスも動く、反撃とばかりに撃ち放つように蹴りを俺に見舞う。爆発するような音と共に放たれた蹴りは殴り抜いた姿勢の俺に向かってきて……。
「よっと」
「なっ!?」
しかし俺は不規則な姿勢から空間を掴み、そこを軸に体を持ち上げ蹴りを飛び越すように回避する。そのまま虚空で逆立ちするように足を持ち上げた俺は……。
「『紅星蹴砲』!!」
「がはぁっ!?」
両足で蹴り飛ばす、ヒビ割れる空間と砲弾のように飛ぶイノケンティウス。俺は今本当の意味で初めてアイツに競り勝てたのかもしれない。
だが、こんなもんじゃねぇ!ガンガンいかせてもらうぜ、イノケンティウス!!
「させて、なるものかぁあああ!!!」
吹き飛ばされながらも、受け身を捨てイノケンティウスは両手を振るう。同時に虚空から無数の鈍色の荊が出現し次々降り注ぐ。一本一本が城のように巨大な荊、気がつけば俺の周囲は囲まれており鈍色の壁が屹立する。
俺を足止めするつもりか、けど。
「こんなもん、今更足止めにも……」
大きく大きく腕を振り上げ、全神経を拳に注ぐ。すると俺の拳は光輝き、内側から発せられる光により血管が、骨が透けて見える程の魔力の塊となり。
「ならねぇよ!!!」
一撃、地面に叩きつける。同時に亀裂が大地に広がり、その隙間から凄まじい勢いの衝撃波が噴き出す。やがてそれは爆発となって辺り一帯を悉く粉砕し、荊どころか地形ごと変える。そしてそのまま。
「フッッ!!」
「なッ、速ッ……!?」
加速、踏み込みが限界を越える。空気抵抗を無視、速度減衰を無効化、そこから放たれる神速は一瞬でイノケンティウスを巻き込み、殴り飛ばしてなおそれに追いつき追撃を放てる程の速度を続け乱打を叩き込む。
「っぐぅぅう!!『ボーン・カッター』!!」
咄嗟にイノケンティウスが手刀を俺に叩きつける。骨断ちの手刀、今のイノケンティウスの一撃はそれこそ城すら引き裂くだろう……しかし。
「あんたの魔力の動きが見える、攻撃の出所が手に取るように分かるんだ」
「ッ!?」
振るわれた手刀は空を切り、俺はイノケンティウスの背後に立つ。当たらない、今の俺は空気の抵抗も重力の支配も受け付けない、速度が落ちる原因がないフルスピードで動ける。その速度は既にイノケンティウスを上回っているんだ。
「ッなんでも出来るのか……!?」
「力で解決出来ることは、大概なッ!」
振り向き様に放たれたイノケンティウスの裏拳を軽く受け止める。同時に俺の背後に爆発が起こり、先程のイノケンティウスの打撃の強さを物語る。既にパワーでもスピードでもこいつを上回っているんだ。……けど。
(力が無限に湧いてくる、だが欲張るな。力の使い方を考えろ)
恐らく、やろうと思えばなんだって出来る。イノケンティウスみたいに高密度の熱源体を生み出す事だって出来る。だが紅星魂体の真骨頂は自己強化、魔女様達が覚醒を身体強化に全て割り振っているように特殊な事象は必要ない。
必要なのは拳と足、そしてそれを扱う技量のみ。
「奥義!『山砕き』!」
「ガッ……」
怒涛の連撃から更に叩き込む肩からの突撃。それはイノケンティウスに直撃すると同時に奴の背後の空間を破る。一撃一撃が世界を巻き込む連撃、それは着実にイノケンティウスから反撃の目を奪っていく。
「これが、星の力か……英雄、その存在を侮っていた」
血飛沫を纏いながら、イノケンティウスは拳を握り。
「だが……だがァッ!!!」
「むッ!」
イノケンティウスの体から噴き出す魔力の量が増大した、まだあるのか、まだ底があるのか!
「余とて!!伊達に百年近くも生きておらんわッッ!!」
「星の力!?マジか!」
イノケンティウスの体から噴き出すのは俺と同形質の力。煌々と燃え上がる奴の体、そして繰り出された拳を顔面で受け、思わず鼻血を噴き出す。
「ぐぶっ……!」
「どうやら、その理不尽な力は防御には適用されていないらしい」
不動の動者は本来万象に影響を与え、影響を与えられないもの。つまりダメージは負わないはずだが、なるほど。まだ俺自身が人の範疇に留まっているから普通に向こうからのダメージは素通りか。
いや、それよりもイノケンティウスの力……これは。
(なるほど、捨て身か)
燃え上がるような魔力が噴き出ていると思っていた、だが違う。実際にイノケンティウスの体が燃えているのだ、事実奴の体は端から炭に変わっている。
太陽だ、アイツが作ってた太陽を魂と融合させて擬似的に俺の状態を再現した。とは言えそれで得られるのは身体能力だし、すれば死ぬ。だがどの道死ぬから……決着に全てを賭けるか。
「ぐぶっ……ラグナ・アルクカース。構えろ、語らうぞ」
「おうよ」
荊の森を作り出し、それが俺とイノケンティウスを囲む。これは闘技場であり、棺桶だ。二人の王が争い、そのどちらを潰す事で未来を得る。そのために必要な最後の戦場。
「ラグナ・アルクカース。余は……魔女を滅する為にこの生涯を費やしてきた。シリウスを滅し、八人の魔女の干渉を消し、人類を自立させるべきだと考えた」
「立派だ、けどな。魔女の干渉を消すったってもその未来を保証出来なきゃそれは混沌を生む」
「それが人の選択により生み出されたものなら、受け入れるべきだ」
「王は、それを受け入れちゃならねぇ」
互いに拳を構え、魔力が滲み出る。最早抑え切れない、抑えるつもりもない。この戦いを終わらせることにのみ、全てを使う。
「きっと、余とお前の意見。この正誤は……我等には決定する権利はないのかもしれない、全ては歩んで、進んで、数千年経った後なのかもしれん」
「だが、世界は一つだ」
「その通り。故に……争うのだ!」
イノケンティウスが踏み出す。大地が焼け付く。俺が踏み込む、空間が割れる。二人の足が交錯し、視線が視線を捉え。拳が振り上げられる。
話し合いで解決出来るならそれ以上のことはない争わず済むならそれでいい。だがそれが出来ない生き物なんだ、人間ってのは。きっと星は人間のサガにまでは干渉出来ない。
醜く争い、酷く傷つけ合い、淘汰を続ける。あまりにも愚劣、蒙昧極まる。されど人は、人間はそうやって決めてきたんだ。
全てを、最後の最後は争い、傷つけ合い、それでも信じた未来に向かって駆け抜けたんだ。そうやって出来上がったのがこの世界。
何よりも美しい、この世界なのだ。
「ぅぐぁああああ!!」
「がぁあああああ!!!」
雄叫びと共に、拳が放たれる。そしてそれらは交わる事なく、入れ違いになり……互いの顔面を打ち、落とされる。火蓋が。
「人の世を、余が作り上げる!!」
「未来を!守る為に俺はここにいるんだ!!」
最早それは意見のぶつけ合いではない。自分を鼓舞する為に叫んでいるのだ。力でも速度でも信念でも覚悟でも同等であるが故に、この場の趨勢を決めるのは唯一、止まらない勢いのみである。
「ここまでの道程を!誰にも否定させない!!」
「うぉっ!?」
そして、その勢いで上回ったのは……イノケンティウスである。奴は俺の胸ぐらを掴み鼻面に頭突きを見舞い、俺の動きを一瞬縛る。
「マレフィカルムそのものを!否定させんッッ!!」
更に吹き上がる、更にイノケンティウスの体が焼け付く、最早漆黒の鬼のような姿になったイノケンティウスは、踏み込みと共に……神速に至る。
「『八魔煉獄乱舞』ッッ!!」
叩き込まれる八連撃。目潰しを起点に切り裂くような肘打ち、掌から放たれる魔術からの紅蓮の魔力を纏う紅爪を交差させ切り裂き、銃弾のような蹴りを放ち、腰を落とした正拳突き……から放たれる絶大な魔力衝撃。そして。
「その身に刻めッッ!!」
「グッッ!?」
右頬に叩きつけられた絶拳。魔力覚醒も、魔法も、魔術も、全部全部乗せたイノケンティウスの魂の一撃。それは俺の頬を打ち抜き脳を……いや、魂を揺らす。
(そんな体でここまでやるかよ、どんな執念だ……)
足が地面から離れる、チカチカと明滅する視界。こっちがどんだけ強くなってもそれに食らい付いてきやがる、蓄えた力などとっくに尽きているのに、こいつは……イノケンティウスという男は底無しか。
だが、だが。
「負けられねぇよな」
浅く笑い、靴を蹴り捨て足の指で虚空を掴み倒れる体を引っ張り無理矢理引き起こすと共にイノケンティウスな頭突きを見舞う。
「ぐっ……」
「やるなぁ、イノケンティウス。正直俺とここまでやれた奴なんか一人もいやしなかった。前戦ったシリウスより、あんた強いぜ」
「そりゃあ、どうも」
イノケンティウスの顔は引き攣っている、今の連撃で終わらせる気だったんだろう。だがまぁ実際かなり効いたよ、だからあんたと考えていることは同じさ。
(次で決める)
二人の拳に魔力が宿る。それはやがて大きく大きくなっていき、体を包み込み、柱のように天まで登り開放される。全身全霊、それをぶつけ合う。
「あんたの技で一番強いやつで来い、イノケンティウス。俺も全開で行く」
「無論だ、では……参る」
そして、二人とも踏み込み─────。
「『仏魔界割……!!」
「『紅星魂魄……」
星の魂を乗せた、全身全霊。それは最も使い慣れた、俺の。
「……熱拳一発』ッッ!!
「……滅神掌』!!」
ぶつけ合う魔力の塊、赤い魔力と紫の魔力、その波動が衝突しビリビリと衝撃が迸る。威力は完全なる互角、今ここに持てる力を全て注ぎ込んだ結果奇跡的に拮抗した瞬間が生まれる。
勢いでも拮抗した……なら、あとは何がある。戦いを定める何かがある、あるはずだ。
それを先に掴んだのは。
「余は、否定させない」
……イノケンティウスだ。
「余の世界を、この世界を……だって、だって!この世界は───」
それは魂の叫び、魂からの叫び、魂が燃える咆哮。この戦いの趨勢を定めるのは一つ……魂の底から守りたい何かを、己の中で定めているか。
イノケンティウスは最早確認の必要もないほどに、それを理解していたのだった。
──────────────────
オレは安易にも旅に出た、親友エースの助言により軽く荷物を纏めて旅に出た。最初は後悔の連続だった。
旅ってこんなに大変なのか、旅ってこんなに不便なのか、恐ろしいものなのかと。
どんな敵が襲ってきても勝てる自信があった。どんな怪物相手でも勝てる自信があった。
だが、そんなオレを挫いたのは……姿すらない敵だった。
食べ物がない、水がない、休む場所がない、心休まる瞬間がない。時に食糧不足から虫を食った事もあったし、水不足に喘ぐ中川を見つけた時は枯れたはずの涙を流したりもした。
明らかに知識不足、明らかに経験不足。そんな中でオレが生き残れたのは奇跡と言ってもいい。
いつしかオレは、傲慢さを捨てた。自然の中では人はあまりにも矮小だと知ったから。そこから世界に尊敬を込めて、なるべく謙虚に振る舞うようにした。
旅に慣れてから、ありがたさを知ったのは人の優しさだ。ボロボロで辿り着いた村で受け入れてくれた人々の優しさ。街の路地裏に座る老父に話を聞いてもらえた時は心が救われる思いだったし、嵐の中で馬車に乗せてくれた商人の顔は今でも覚えている。
人は、こんな過酷な自然の中で生きているんだと知ってからは、我が儘は言うべきではないと思い知った。それと同時に今までの自分がどれだけ愚かだったかを思い知った。
そうやっているうちにいつしか旅に慣れ、景色を楽しむ余裕ができた。するとどうだ?何もないと思っていた草原の青々しさ、夕暮れを飲み込む山の雄大さ、奏でられる川のせせらぎ。
全てが、涙が出るほどに美しかった。こんな素晴らしい世界に生きているのだと知ってからは、旅が楽しくなった。
そうしてオレ……いや僕の顔が髭で覆われる頃、魔女大国へと足を踏み入れた。最初は魔女大国なんてと思いもしたが、ここの人達もまた人だった。恵まれているが、懸命に生きている。一つ一つの街に生活がある。それらがなんとも美しい。
そうしているうちに、僕は益々いろんな景色を見たくなった。ちょっとした野心が生まれ前人未到の地へと行きたくなったんだ。誰も見た事ない景色を見たくなった。そこはどれだけ美しいのかと気になった。
狙うのは、友愛の国アジメクのアニクス山。その中にあるとされる星惑いの森。巨大な山の真ん中にある窪地、その森を目指すことにした。
僕はアニクス山の麓にあるムルク村に立ち寄り、そこの領主に挨拶をし物資の支援をしてもらった。見返りに領主の息子エドヴィン君に僕の旅の話を聞かせ、一晩を明かし。
そして僕は……純白の地獄へ挑んだ。
山を登れば登るほど急になる勾配、足場は殆どなく降り積もった雪でどこに踏める場所があるのか分からない。なにより猛烈に吹く吹雪は僕を拒絶するようで……。
僕は、その極寒地獄の中で再び自然の恐ろしさを思い知り、……そして倒れ伏した。雪の中で前のめりに倒れた時は『まぁこういう終わりも悪くはない』と思いもしたよ。
けど……終わらなかった。寧ろ、これは始まりだったのだ。
「目が覚めたか?」
「えっ!?」
ふと、目覚めると僕は森の中にいた。はたと周囲を見回すと鬱蒼とした木々が映り、そして目の前には。
(なっ!?う、美しい……)
「なんだ、人の顔をジロジロ見て」
そこには、黒髪の美女が切り株の上に座っていた。射干玉の如き黒い髪、宝石のような赤い瞳、どんな自然よりも美しい美女が……僕を見つめていたんだ。
しかし美女は辟易した様子でジロリと僕を見る。
「あ、いや。その……えっとここは」
「星惑いの森だ、運が良かったな。私がムルク村に本を買いに行った帰りに見かけて、全くバカな奴だよ。自殺したいなら他所へ行け」
「別に、自殺というわけでは……僕はただ自然を見たくて。え?星惑いの森!?」
「なんだ、冒険家か」
ここが星惑いの森?前人未到の森?ここが?嫌だとするとこの女性は何者だ?僕を星惑いの森まで引きずってきただと?そんな事、可能なのか?
「おめでとう、君は人類で初めてここに来た人間だ。見るもん見て満足したら帰るんだな」
「あ、貴方は何者ですか?」
「……惑いの賢人、森に住まう魔術師だよ」
そこで僕は考えを巡らせた。こんな事が可能な存在、そして黒い髪に赤い瞳……まさか。
「まさか、魔女レグルス……!?」
「はっ!?いや、違うが」
そうだ、レグルスだ。あの幻の八人目、存在すら不確かな伝説の存在だ。レグルスと言えば詐欺師の別名で使われる名前第一位くらいに考えていたが、マジものを見たのは初めてだ。いや、しかし。
「ほら、魚を焼いておいた。腹減ってるだろ」
(なんて事だ)
僕は、愕然とする。魔女レグルスの美しさにじゃない、その姿だ。……魔女を見たのは初めてだが。
人間じゃないか、魔女も。マレフィカルムの連中が言ってる魔女は人ならざる存在という言葉、あれは魔女を見た事がないから言えたんだ。実物を見たら言えない、彼女も僕達と同じ人間じゃないか。
(僕達は、ゴルゴネイオンは、マレフィカルムは、こんなただの人間を数人殺すために……数100年も使っているのか)
その異様な構造に力が抜ける。魔女排斥、それが途端に陳腐で……とても暴力的なものに思えた。彼女たちを排斥して本当に世の中がいい方向に転ぶのか?たったの八人の人間を排斥して。
それなら、国に対して革命を起こした方が余程現実的じゃないか。
「何を落ち込んでる」
「あ、いや……」
「ん、食えよ。餓死寸前だったんだ、腹が減っていなくても飯を食え」
そう言って僕に焼き魚をくれるレグルスの顔を見て、やるせなくなる。親父はこの人をそこまで恨んでいるのか?よく知りもしない癖をして。そんなので世の中が良くなるわけがない、いやよくなる以前にそもそも世界はこんなにも美しいのだから……。
「……いいところですね」
「ん?」
「この森、静かでとてもいい場所だ。人の喧騒から離れているからかな、木々が自由に育っている」
「野放図と言うんだ、こう言うのはな」
「い、いやいや風情のない」
「実際にそうだ、管理されていない森ほど汚らしいものはない。森もまた管理されてこそ美しくなるもので、自然が良いと言う人間は自然を知りない人間ばかりだ」
なんだか、希望のない言葉だな。僕は自然を知っているつもりだが、それでも美しいと思う。なのにレグルスはあまりこの森を見ていないように思える。彼女の感性の問題か……いや。
「まぁ、管理され切った世界が美しいかは分からんし、管理されていない世界が美しいかも分からんがな」
(……目が曇っている)
レグルスの目は曇っていた、光を映していない。まるで世界そのものに絶望しているような、いや事実しているんだ。彼女はこの世界に絶望している、美しさの向こうにある地獄を知っているから。
「……レグルスさん、この世界は美しいですよ」
それは僕にとってせめてもの抵抗だった。そう信じたいが故の言葉だった、しかしレグルスは。
「だといいな」
そう答えるだけだった。それだけがレグルスの答えだった。八千年この世界で生きてきた人間達の答えは、それなのか。
いや違う、彼女達は……彼女達は。
(彼女達は、厄災から世を守り、そしてその後の世も背負っている。彼女達にはないのだ、世を美しいと思える時間さえ)
それはあまりにも残酷な話だ。
「まぁ、私は表には出られん人間だ。世の美しさを説くにはやや引きこもり過ぎだな」
「…………」
人類は、今も彼女達の庇護下にいる。きっと人類は知らない、彼女達の景色を。僕が世界を見てその美しさに気が付けたのは世界を知ったから、だが美しいと思えたのは全て魔女の庇護下にあったから。魔女大国も非魔女国家も全て彼女達の庇護下にある……彼女達なしでは生きられない。
人類がぬるま湯のような美しい世界で生きている間、魔女達は残酷な世界に晒されている。人類は……魔女に依存しすぎているのだ、魔女肯定も否定も。
八人に背負わせて、笑って生きている人間が多すぎる。彼女達だって人間だ、自由に生きる資格だってあるはずなんだ。
「……レグルスさん、もし貴方が魔女でなくなったら、魔女という肩書きがなくなったら、どうしますか?」
「あり得ん話だな」
「もしもの話です」
「……ふむ、そうだな」
彼女は焼いた魚を食べながら軽く視線を上に向け。
「また旅がしたいかもな。最後にしたのは一千年前だ、その時もまぁ酷い目にあったがな。他の魔女に迷惑をかけるわけにもいかんから、ここから出るわけにはいかんが」
そう、言ったのだ。旅がしたいと……そうか。
その時、僕はどこかで決意した。魔女を解放してやりたいと、魔女排斥組織の身分でありながらそう思ってしまった。いや、それよりも更に……。
人類は、世界に向き合うべきだ。魔女だけが見ている残酷な世界を人類全員が共有すべきだ、でなければ……本当の意味で世界が美しいとは言えないから。
「ん、今日は風が強いな」
その時僕の決意に呼応するかのように、風が吹く。木々が揺れ、葉に隠されていた天が晒される。
そこにあったのは、満天の星海。そしてその真下で座るレグルスと言う存在、その全てにやはり美しさを感じた、いや今まで感じたどの美しさよりもずっとずっと、美しかった。
(……魔女も人類も、等しく人間なら。残酷な世界も美しい世界も、どちらも受け入れるべきだ)
魔女にも美しい世界を見せてやりたい。人類にも残酷な世界を乗り越えてほしい。美しくも残酷なこの世界、それはきっと……人間にとって、なによりも尊ぶべきものなのだから。
(目的は、定まった)
やるべきことが決まった気がした、やるべき事というより心の底からやりたい事、と言った方がいいのかもしれないが。それでも僕は誓う、この星空に、星海に臨むが如き膨大な夢を。僕は……。
「そう言えばお前の名前を聞いていなかったな。聞いてもいいか?」
「……イノケンティウスです、イノケンティウス・ダムナティオ=メモリアエ」
「ふむ、そうか。お前、魔女排斥の人間だろ」
「え!?」
ギョッとする、いきなりそんな事を言われて命の危機を感じる。いやなんでなんでバレた!?と言うかやばいだろ!?え!?なんでそんな、え!?
「そう慌てるな。ただ、私を魔女だと疑ってからの挙動から推察しただけだ。別になんとも思ってない」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、特に。で?組織の名前は?」
「ゴルゴネイオン……」
「ふーん、カッコつけた名前だな。魔女ぶっ殺し団の方が分かりやすいんじゃないか?」
……これをゴルゴネイオンの人間が聞いたらショックを受けるだろうな。まるで興味を抱かれていないとは。
「ゴルゴなんたらはどうでもいいが、お前の覚えておこう」
「え?なぜ……」
レグルスは食い終わった魚の骨を捨て、こちらに顔を近づけニヤリと笑い。
「お前は旅好きの目をしてる、もし旅をするならお前みたいな奴とがいい。或いはいつか、私達が魔女の座から解放されるその時が来たら、お前のおすすめの場所を教えろ。イノケンティウス」
「……けど、僕は……ゴルゴネイオン一員ですし」
「まぁ、いいんじゃないか?魔女じゃなければ」
そうあっけらかんと言うレグルスの言葉に、なんだか救われた気がした。そうか、そうだな。
やはり魔女もまた人間なのだな。
(魔女が人類を救ったなら、魔女のことは誰が救うのだ。それは人類の役目じゃないのか?……どうすればいいかは分からないが、やってみよう)
星空に誓う。魔女の救済を……どうすればいいかは、この旅の中で見つけていけばいい。
─────それが、僕にとっての分岐点となる出会いだった。
それから僕はレグルスに送ってもらい、アニクス山を下山した。一応人類未到の地に辿り着いたが……僕自身の力で行ったわけじゃないから功績として誇ることは出来ないが。
それより明確な目的を得てからの僕は、とにかく各地で色々探った。とにかく色々探った、オライオンに向かい、アガスティヤに差し掛かっても、何も見つからなかった。そりゃそうだ、魔女を解放する方法なんて見つかるわけがなかった。
あの日、雪山で出会ったレグルスの顔。彼女がまた世界の美しさを知れるようにするには、どうすればいいのか。
結局、何も見つからないまま途方に暮れていた僕は……。
「え!?マレウスが崩壊の危機!?」
アガスティヤでそんな話を小耳に挟んだ僕は驚愕した。なんでもキングフレイムドラゴンなる怪物が現れ、マレウスが滅びかけていると。本当はもう少し調べたかったが、それでも故郷だ。故郷を守るためになんかしなくては。
幸い、この旅でかなり強くなった僕はそのままエトワールを超え、コルスコルピに向かい、そのままマレウスへと帰ることとなった。……この時はなんとも思ってなかったが、奇しくも僕はこの時ディオスクロア一周を成し遂げていた。
けど、それを喜べる状況ではなかった。だって久々に帰ったマレウスは傷ついていたから。既にキングフレイムドラゴンはガンダーマンという冒険者に打倒されていたが、エースはいないし、街も復興の兆しがようやく見えたくらいだったし、なにより。
「父さん……」
「い、イノケンティウスか……」
ゴルゴネイオンの本部フォルミカリウスに戻ると、そこには体を半分以上包帯で巻いた父がベッドの上で寝ていたからだ。曰くキングフレイムドラゴンと戦い父とゴルゴネイオンは半壊し、滅亡の危機にあったようだ。
「……お前が戻ってきてくれてよかった、私はもうダメだ。お前が神王となるのだ、お前が……」
「……………」
そんな傷ついた父を前に、僕は何も出来なかった。ただ、神王を継ぐ事しかできなかった。いくら嫌悪しても育った場所だったから。
故に僕は……いや、私は神王となった。父が死ぬまでの僅かな時間を使い、父を見殺しにしてても力を蓄えた。ジョバンニとバティスタを配下にして、私は神王となり。
ゴルゴネイオンの再興に時間を使うことになった。魔女を解放するという目的もこの頃にはもはや叶わぬ夢と諦めていた。
……そんなある日だった。
「シリウス様復活の為、貴方には肉体になってもらいます」
(シリウス?)
私は、マレフィカルム本部でケイト……いやガオケレナと話をするウルキという女の話を盗み聞く機会があった。その時だ。
「シリウス様が再臨すれば、再び大いなる厄災は巻き起こる。魔女も警戒していますが……無駄ですね」
ウルキが話していたのは、大いなる厄災の真相。この世の悪の根源の話。
即ち、魔女が今でも魔女でいる理由。シリウスがいる限り魔女は魔女でいるしかない。この時だったんだ、私が全てを知ったのは。
マレフィカルムはシリウスを復活させるための組織、シリウスがいる限り魔女は自由にならない。世界は今のままだと。
……そうか、そうだったのか。ああ、そういう事かと全てに納得した。
そして、私は……いや、余は望んだ。
神王として君臨し、魔女を……魔女シリウスを打倒するべきだと。
全ては、魔女を解放し人類を解放し、世界を取り戻す為。
だって、だって。
───────────────────
『世界はこんなにも素晴らしいのだから』
それが余の中にある全て、余は信じている、人類は残酷な世界でも生きていけると。魔女は解放され美しき世界を見ると。その為なら……その為なら!!
「星さえ!!砕いて見せる!!!!」
「ぐっっ!!!」
押す、押し込む。渾身の力でラグナの魔力を押し込み拳を握る。これで終わりだ、ラグナ。
お前は魔女を継ぐものだ、ならばお前もまた残酷な世界を見ることになる。余はそれも受け入れられない。だから……だから!!
オレは、僕は、私は、余は!この生涯を持って!天蓋を砕き世界を解放する!!!
「ぐぅうぅううおおおおおおおおお!!!」
「ッッ大したもんだよ、イノケンティウス!!!」
ラグナはそれでも笑う、笑うのだ、この窮地にあってそれでも笑う……いや。
「それでも、俺ぁな!!魔女の弟子なんだよ!!!この世界を!!師匠から!仲間から!配下から国民から!!任されてんだぁあああ!!」
瞬間、ラグナの体から魔力が溢れ出す。まだこれだけの力が?いや……いや!違う!!
「鯤鵬の手、金剛の拳、振るいしは灰燼を生み、払うは塵芥。昇りし陽光を掴み、月光を砕き、世界すら割破さえ儘に為す」
「これは」
ラグナが唱える、言葉を……いや、詠唱を!!
「我が五体神を宿し修羅となり非想非非想天へと足を踏み入れん」
「古式付与魔術!!!」
「『燈迦八垓天璽緋衣』!!!」
瞬間、ラグナの体が光を放つ。星の力に加え魔女の技。受け継いだ魂と受け継いだ技……!押される、押されていく、我が全霊が……!!
「俺は!受け継いでいく!この世界を!師範から、そして……お前から!!」
(受け継いでいく力と意志。そうか、そうか……それが、お前の────」
割れていく、我が魔力が。終わっていく、我が全てが。
無念だ、無念だが……ああ、なんとも心地よい。
(お前は、私の意思も受け継いでいくというのだな……ならば)
力は込める、だがそれでも抗えない力に完全に余の魔力は砕かれ────。
「『熱拳一発』!!!!!」
「ぐっ、ごぉおお……!?」
叩き込まれた拳の衝撃で世界が割れる、我が背後の世界が崩れていく、臨界魔力覚醒が崩れていく。完膚なきまでの敗北。
だが、それでも。
この美しき世界。お前が守ってくれるのだな。この残酷な世界、受け入れて進むのだな。
受け継いで進むというのなら、私は……それで。
(良い)
そうして私は……静かに。
目を閉じた。




