第192話 『鮮やかな上船』
プリシラはグングンと鉤縄を伝って上っていく。
上から銃撃を受けたり矢を射掛けられたりするかもしれない。
重い物を落とされたり熱い湯や油をかけられるかもしれない。
一番手の最も危険な任務だ。
だがアーシュラはプリシラを信じて任せてくれた。
その期待に応えたい。
そしてエミルや従兄妹たちが乗るこの船を逃すわけにはいかないという執念がプリシラを突き動かす。
幸いにしてネルが下から矢で援護してくれている。
船の上で鉤縄を外そうとしたり、プリシラを攻撃しようとしたりする海賊らは、ネルの矢によって次々と倒されていった。
そのおかげでプリシラはついに船の縁に手をかけて身軽に船上に着地する。
すぐ目の前には3人の海賊がいた。
彼らが動くよりも早く、プリシラは長剣を抜き放ち、3人を次々と斬り捨てる。
(迷わない。情けは捨てる。殺さなきゃ……殺される!)
プリシラの深い斬撃によって3人とも首や腹を斬り裂かれ、昏倒して動かなくなった。
それを見た周囲の海賊らが険しい顔でプリシラを取り囲む。
その数、十数人。
だがプリシラは船縁に引っ掛けた鉤爪を背後に守りながら、そこを動かない。
この鉤縄は仲間たちを船上に呼び込む大切な道だ。
一番乗りを果たしたプリシラは、仲間たちが上がって来るまでここを死守する責任がある。
鉤縄は1人分の体重しか耐えられず、上って来るのも1人ずつ。
その間、プリシラはここで耐え続けなければならない。
そうした危険な任務だからこそ、アーシュラはプリシラに任せたのだ。
そのことを意気に感じ、プリシラは気合いの声を放つ。
「死にたい人からかかってきなさい!」
群がってくる海賊らと戦いを始めるプリシラが守る背後、鉤爪から船の下に垂れた縄を次に上って来るのはハリエットだ。
彼女は重厚な斧をしっかりと体に括り付けて背負い、縄をグングンと上っていく。
自分が早く上るほど、1人で戦うプリシラへの援護が早まるし、次に上るエリカもいち早く上って来られる。
ハリエットは歯を食いしばり、縄をしっかりと握って上へ上へと急ぐ。
プリシラが上で敵を引きつけてくれているおかげで、ハリエットを狙う者はいない。
部下たちが上っていく様子を下から見上げながら、アーシュラは小船の上で祈った。
(プリシラ。どうか無事で)
エミル、ヴァージル、ウェンディーを助けることは共和国とダニアのために、どんな犠牲を払っても成し遂げなければならないことだ。
だが、そのためにプリシラが死んでいいはずがない。
プリシラは次の女王たる第8代ブリジットになる唯一無二の人物だ。
本来ならばこんな危険な任務に就かせるべきではないだろう。
だがダニアの女王になる者は勇猛であり、万難に打ち勝つ胆力を持たねばならない。
箱入りの姫というわけにはいかないのだ。
そしてアーシュラはこの短い旅の中で、プリシラに女王の器を見出していた。
ブリジットとクローディアという2人の女王を間近で見てきたアーシュラは、その2人と同じ器をプリシラから感じているのだ。
それはこの苦難に満ちた旅でさらに鍛え上げられ、きっと大きく強固な器となるだろう。
だから今、プリシラにこの危機に打ち勝ってもらいたかった。
彼女ならばきっと成し遂げるとアーシュラは信じている。
(神よ……今までダニアのために散った多くの仲間たちよ……どうかプリシラをお守り下さい)
そうしてアーシュラが祈りながら見守る中、ハリエットが鉤縄を上り切って船に上がる。
それを見たエリカが長槍を背負い、さらにその上に大盾を3枚重ねて背負うという荒技を見せて鉤縄を上っていくのだった。
☆☆☆☆☆☆
「プリシラ!」
ハリエットは船に上がると息を飲んだ。
プリシラの周囲に斬り殺された数名の海賊の遺体が転がっている。
一方のプリシラはハリエットの声にも気付かぬ様子で一心不乱に剣を振るっている。
その流れるような動きがあまりにも速いため、周囲にいる海賊たちがゆっくり動いているように見えるほどだ。
だがプリシラの強さを見て取った海賊らは迂闊に近付こうとしなくなった。
そして海賊の1人が声高に叫ぶ。
「蜂の巣にしてやれ!」
それを聞いた海賊たちがその顔に残酷な笑みを浮かべる。
彼らはその手に持つ武器を、短剣や手斧などの小型の刃物に持ち替えた。
そしてプリシラたちから一定の距離を取り、手にした武器を投げつけようと振りかぶる。
プリシラとハリエットは息を飲んだ。
これは己よりも圧倒的に強い相手を、多人数で確実に倒すための、卑劣だが合理的な戦法だった。
一斉に投げられたらどんな強い者でも全てを防ぐことは不可能だ。
だが……。
「ちょっと待ったぁ!」
唐突に女の大きな声がして海賊たちが一瞬だけ動きを止める。
同時にエリカが船上に上がってきて、プリシラたちの前に身を躍らせた。
それを見た海賊の1人が弾かれたように声を上げる。
「構うことはねえ! 3人まとめてやっちまえ!」
海賊らは一斉に短剣や手斧をプリシラたちに向かって投げ付けた。
その数、十数本。
だが……その瞬間にエリカが背負っていた大盾3枚をサッと横に展開した。
プリシラとハリエットはすばやくその真後ろに身を隠す。
小ぶりな刃物が大盾の表面に突き立つドカンドカンという衝撃に3人は耐える。
大盾は樫の木を重ね合わせ、間に鉄板を挟んだ重厚な造りであるため、表面に傷はついても刃物では貫けない。
「これ3枚も持ってくるのメチャクチャ重かったんだから」
エリカはそうぼやきつつ、大盾の裏で小さな袋をいくつも取り出した。
事前にアーシュラから預かった物だ。
その袋の薄い切れ込みに指を入れて表面を少しだけ破ると、敵の投擲が終わったことを確認してエリカとハリエットが立ち上がり、それらを敵に次々と投げつける。
それらは海賊らの顔や体に当たって真っ赤な粉を噴き上げた。
「うわっ!」
毒草や毒虫を乾燥させ、砕いて粉状にした目潰しで、アーシュラがよく使うものだった。
それらを浴びた海賊たちは涙を流し、激しく咳とくしゃみを繰り返しながら苦しみ始める。
その間に今度はオリアーナが、続いてネルが鉤縄を辿って船上に上ってくると、プリシラは鉤爪を外して下に落とした。
あらかじめの打ち合わせで、エステルと負傷しているアーシュラは小船に残ることになっている。
プリシラたちが無事にエミルたちを救い出した際は、海に飛び込んで逃げることになるのだ。
そんな彼女らを小船で救出する役割の者が必要だった。
プリシラは仲間たちと顔を見合わせる。
海賊たちはまだ苦しみながらも、顔を拭ってプリシラたちに向かってこようとしていた。
プリシラは短く皆に声を掛ける。
「1人も死んではダメよ!」
ここからは5人が3手に分かれて行動する。
単独でも生き延びられる可能性の高いプリシラは1人で、エリカはオリアーナと、ハリエットはネルと共にそれぞら2人1組で行動することになる。
気心の知れたエリカとハリエットを組ませなかったのはアーシュラの案だ。
オリアーナとネルは互いに嫌い合っており相性が悪過ぎるため、分けることにしたのだ。
最も常識的で状況判断の出来るエリカをおとなしいオリアーナと組ませ、口と態度の悪いネルとは負けずに応酬できるハリエットを組ませる。
こうすることで各組の均衡を取った。
「行くぞ!」
赤い粉まみれの海賊たちを無視して、ネルとハリエットは船首方向へ向かう。
一方のエリカとオリアーナは船尾方向へ向かい、残ったプリシラはこのまま船体中央で船室を目指す。
この海賊船には船室が前方、中程、後方と3ヶ所にあり、姿の見えないチェルシーらはそのどこかにいるはずだ。
(エミル、ヴァージル、ウェンディー。今行くからね)
プリシラは長剣を素早く振るうと、荒れ狂う突風のごとく海賊たちの間をたった1人で駆け抜けていくのだった。




