第三十九章
『アリア』の言葉に、ドクトルは呆然と口を開いたまま真っ白で照明の眩しい天井を見ていた。今のドクトルには「…なんだって?」と小さく呟くのが精一杯だったが、『アリア』にはそれもよく聞こえていたようだった。「言った通りのことよ」と『アリア』は透き通るような純粋な声で言った。
「わたしは今、この施設のすべての機能に繋がれているの。だからそこにあるパソコンを使って、自分を破壊することが出来るわ」
「アリア、落ち着いてくれ」
ドクトルは『アリア』の言葉が終わるのを待たずに焦った声を出す。ドクトルは完全に錯乱していて、今度は頭を両手で引っ掻き回しながら、次の手を必死で考えているようだった。ドクトルはしばらくそうしていたが、そのうちに閃いたとばかりにキキの方を見ると、隠し持っていたらしい拳銃を素早く腰から引き抜いてキキに向ける。「お前さえいれば、アリアは何度だって作り直せるんだ!」と叫んで引き金に指をかけたドクトルに、レイダーボットたちは緩慢な動作で銃口を上げたが、ドクトルの一連の動作にはまったく間に合わなかった。ダン、という音がする直前にキキは目を瞑ったが、目をぎゅっと瞑ったままその場に棒立ちしていても、特に何も感じなかった。自分がアンドロイドだからだ、とキキは恐る恐る目を開いて自身の身体を確認したが、胴体と足は少なくとも無事だった。続けて両腕を見ても、やはり問題はない。そこでようやく、片腕を抑えて目の前にへたり込んでいるドクトルが目に入った。ドクトルの腕からは血が流れていて、キキが銃弾が飛んできたであろう方向を見ると、アンジーがライフルを構えて立っていた。アンジーは眉を吊り上げて眉間に皺を寄せていた。
「もういい加減にして」
そう言いながら、外周と部屋の境目である開いたドアのところに立っていたアンジーは部屋の中に入り、残りの三人もアンジーを援護するように中に入った。レイダーボットたちは全員銃口をドクトルに向け終わっていて、ドクトルは数多の銃口に狙われる形になっていた。アンジーの狙撃した腕を掴んだまま、痛覚を失ったようにただぼんやりと俯いていたドクトルに、『アリア』は優しく声をかける。「お父さんほどの技術者なら、きっともっと人の役に立てる道があるはずよ」と言う『アリア』の笑顔を、キキはなぜかまざまざと想像することができた。ただ、『アリア』の言葉にもドクトルはぴくりとも反応しなかった。「もうおしまいだ」とドクトルが消え入るような声を出したのは、かなりの沈黙のあとだった。「もうおしまいだ」とドクトルは再び少し大きくなった声で言い、狙撃されていない方の腕で拳銃を握り直すと、がたがたと震える手を上げて銃口を自身の即頭部に当てる。その瞬間、「早まるな」とケルビンが叫んだが、ドクトルはケルビンの方に絶望に満ちた顔を向けるばかりだった。
「私は、アリアの元へ行くんだ」
そしてアンジーのライフルよりもずっと小さな音で、パン、と拳銃が鳴った。ドクトルはその場にすぐに崩れ落ち、キキとビートルは息を呑み、アンジーは叫び声を上げてキャシーにすがりついた。ケルビンは頭を振りながら目線を逸らし、目を覆うように手を上げた。キキはしばらくドクトルの生気のなくなった身体を見つめていたが、思い出したように天井を仰ぐと、「これでよかったの」と『アリア』に話しかけた。
「わたしの演算では、これがもっとも起こりやすいシナリオだった。だから驚かないわ」
『アリア』の声には、寸分の狂いもなかった。キキがその言葉に「そう」とか細い声で返すと、「心を傷めないで」と『アリア』は天使のように言った。同時に、レイダーボットたちが一台、また一台と銃口を下げていき、続々と部屋から出ていく。ドクトルの声が消えてしまった部屋はいやに静かだった。全員がどうしたものか困っていた中で、キャシーは丁寧にアンジーを腰から離してから、機材の一つにかけられていた布を持ってくると、横たわるドクトルを隠すように布をかけた。それでようやく、他の三人も息が出来るようになった気がした。『アリア』の「ありがとう」という言葉が天井から聞こえた。
「施設のすべてのドアを解錠します。皆は逃げて」
「あなたはどうするの」
ドクトルの遺体が目に入らなくなり、少しだけ落ち着きを取り戻したアンジーが恐る恐る天井を見る。『アリア』は「この施設を破壊するわ」とどこまでも揺らぐことのない声で言った。「でもそれじゃあ、君はどうなってしまうんだ」と同じように天井を見上げてビートルも聞いたが、『アリア』は「元々、わたしは存在するべきではないのよ」と子供に語りかけるように返した。
「わたしたちと一緒に来るべきよ」
アンジーは尚も食い下がったが、『アリア』は実体があれば恐らく首を横に振っただろう、とキキは思った。「その提案はとても嬉しいけれど、わたしはデータでしかないの」と『アリア』は優しげな声でアンジーに言う。「それに、お父さんの元に帰らなくちゃ」と付け足したところで、更に何か言おうとしたアンジーをビートルが止めた。アンジーはビートルを見て何か言いたげな表情になったが、すぐに俯いて「わかった」と自分に言い聞かせるような声をこぼした。『アリア』はきっとにっこりと笑ったに違いなかった。
「キキ、お父さんの代わりに謝るわ。言葉では足りないけれど、ごめんなさい」
「アリアが謝ることじゃない。それに、ありがとう」
キキがしっかりとそう返すと、『アリア』は「それじゃあ」と少し無邪気そうに言った。「キキなら、この施設の出口は分かるわね」と『アリア』が確認し、キキは頷くだけで応える。続けてピーッという電子音が様々なところから響き渡り、それは施錠されているドアロックが順番に解除されていく音だった。最後のロックが開いて、施設が再び沈黙に包まれたところで、『アリア』は「皆、無事でいてね」とこれまでの落ち着きよりも年相応そうな声音で言う。
「さようなら」
という『アリア』の挨拶に、ケルビンは居心地が悪そうな顔で一同を見ると、「行こう」と短く言った。「行きましょう」と続けてアンジーの手を引こうとしたのはキャシーだったが、アンジーは天井に釘付けになったまま、引っ張られないと動かなくなっていた。「アンジー」とキャシーが諭すように言って初めてアンジーは動いたが、それでも視線は天井に向けられたままだった。ビートルも一度天井を見てから、そそくさとあとに続く。残されたキキもまた天井を凝視したままだったが、最後に硬く拳を握ると「さようなら」と返して部屋を出た。『アリア』はもう何も言わなかった。
そこから、キキの先導の下、五人は施設の中を抜けた。急ぐ必要は特になかったが、皆がここから出たがっていたのか、一同は終始早足で出口を目指していた。『アリア』の言うとおり、すべてのドアロックは解除されていて、キキたちは博物館に繋がるドアから階段を上って外に出る。そこは初めて一同がドクトルと対峙したところで、博物館の隅には無造作にランバートが捨てられていた。キキはそれを見るなり、誰に断るでもなくランバートのほうへゆっくりと歩みだすと、ランバートを拾い上げて抱きしめた。残りの四人はその光景を急かすことなく見守っていたが、キキはすぐに振り返ると、ランバートを抱きしめたまま「家に帰ろう」と微笑んだ。振り返ったキキのその顔は、キキが今まで見せたどんな顔よりも柔和で、慈愛に満ちたものだった。




