第三十八章
スピーカーから聞こえる声は柔らかく、人間味があって電子的なものではなかった。その声が『アリア』のものであることは、みんなすぐに分かっていた。キキは思わず柱に繋がれている『アリア』の本体を見たが、本体は目を閉じたまま、唇をピクリとも動かしていなかった。天井から降ってくるようなその声に、ドクトルは天を仰いで大きく両腕を開くと「アリア」と感嘆の声を出した。
「意識を獲得したんだね。素晴らしい。実に素晴らしい」
ドクトルの言葉に『アリア』は何も返さず、ドクトルはヒートアップするばかりだった。ドクトルはその場で小さな楕円を描きながらぐるぐると忙しなく足を動かすと、言葉を発するたびに握った拳を小さく振っていた。
「分かっていたんだ。キキのデータだけでここまで完成度の高い自我を形成することが出来た。あとはチップとその他の部品さえあれば、もっともっと人間に近づける。アリア、君はようやく人間になれるんだよ」
「パパ、わたしはそんなことは望んでいないわ」
饒舌なドクトルが話し終わるのをしっかりと待ってから、『アリア』はゆっくりと告げた。落ち着きなく動いていたドクトルはその言葉にふと足を止めると天井を見、まったく聞こえていなかったとばかりに「なんだって?」と白々しい声を出す。『アリア』は再び少しばかり沈黙してから、「わたしは人間になりたいとは思えないの」と諭すように、一句一句をはっきと区切って言った。ドクトルは『アリア』の言葉が終わるが早いか、とてつもなく面白いことを聞いたとでもいうようにお腹を抑えて大声ではっはっはと笑い始めた。「何を馬鹿なことを言ってるんだい」とドクトルは近くの機材にもたれながら、笑いを堪えて言う。
「また一緒に暮らせるんだよ。また一緒に遊んだり、買い物に行ったりできるんだ。そのうち、ママだって戻ってくる。私たちはもう一度やり直せるんだ。そのどこがいけないんだい?」
周りに自分以外の人間がいることを、ドクトルはすっかり忘れているようだった。キキたちはその様子を固唾を飲んで見守るしかなかったが、『アリア』は「いけないところはたくさんあるわ」と読み聞かせでもしているかのような声で言った。
「わたしが生きることで、キキは死ぬのでしょう? どうしてわたしには生きる権利があって、キキにはないの?」
突然自分の名前を出されて、天井を見ていたキキは目を丸くした。ふと、こちらを見てにっこりと笑う少女の幻影を見たような気がして目を擦る。ドクトルは『アリア』の言葉に――というよりキキの名前が出されたことに――少しばかり苛立った様子でちらりとキキを振り返ると、「キキのチップの解析と複製が終われば、キキは元通りにするよ」と天井に向かって言ったが、「嘘はやめて」と『アリア』はそれをばっさりと切り捨てた。「わたしにはキキのデータがあるの。パパがキキにどんなことを言ってきたのか、全部分かってるわ」と続けた『アリア』に、ドクトルは後頭部をがしがしと掻いた。
「パパの気持ちがわからないわけじゃないの。わたしだって、もし生きているときにママが帰ってくると知ったら、きっと喜んだわ。でも、そのために誰かが死ななくてはいけないのだとしたら、わたしは喜ぶことができなくなる」
「アリア、お前は混乱しているんだよ。自分の意識にキキの意識と記憶が紛れ込んでしまっているから、そんなことを言い出すんだ」
落ち着きを失わない『アリア』に比べて、ドクトルはどんどん感情的になっていった。ドクトルは『アリア』をなだめようとしながら、憎しみに満ちた目でキキを見、すぐに天井に視線を戻すと、「意識の調整をしよう。必要のないデータは削除しなくては」と早口に、それでいてなんとか楽しそうなトーンを保って言った。
「ここまで言われても何も分からないのか」
そうガラス越しに口を挟んだのはケルビンだった。意気揚々とパソコンに向かおうとしていたドクトルはぴたりと止まると、体ごとケルビンに向き直る。「お前に何が分かる」とドクトルは怒りを露わにして唸ったが、ケルビンは凛としていた。「わかるさ」とケルビンは短く返し、「それでも、俺の娘も同じことを言ったはずだ。自身が生きるために誰かが死んだと知ったら、きっと一生そのことが頭から離れないだろう」と『アリア』の落ち着きを引き継いだかのように言った。「でもこいつは人間じゃないんだ」とドクトルは顔を真っ赤にしてキキを指差した。
「こいつは人間じゃないんだよ。アンドロイドを分解したって殺したことにはならない」
「それは論理的に破綻しています。あなたが今作ろうとしているものも、キキと同じアンドロイドです。あなたは『アリア』が破壊されたら、殺された、と認識するのではないですか」
次に口を開いたのキャシーで、ドクトルはキャシーに視線を移すと、「アンドロイド風情に何が分かるんだ」と吐き捨てるように言った。そしてドクトルはパソコンに向き直ろうとしたが、「キキは人間よ」というアンジーの言葉に、再び大きなため息をついて振り返った。
「感情を持って、意志を持って、自由に生きていくことが人間なら、キキは人間だわ。キャシーも、アンダーソンも。それを破壊することは『アリア』ちゃんの言う通り殺人よ」
アンダーソンについて思い出したところで、アンジーは少し泣きそうになったが、なんとか堪えていた。ドクトルはビートルにもきつい視線を移したが、ビートルもドクトルに怯えることなく、「それに、代わりなんて作れないと思う」と視線を伏せて言った。
「たとえば記憶も振る舞いが一緒でも、おれの父さんと母さんは死んでしまって、もう戻らないんだ。『アリア』を見て分かったよ。おれは父さんと母さんに帰ってきてほしい。父さんと母さんの形をした人形じゃなくて」
「君たちは私をどこまで侮辱すれば気が済むんだ?」
ドクトルはついに爆発すると、声を大きく荒げた。「これはアリアだ。アリア本人になるべきものなんだ」とドクトルは自分に言い聞かせるように喚いたが、『アリア』はそれでも静かな声で、「もう分かったでしょう」と天井から声を出す。その直後に、キュイーンという起動音とともに、レイダーボットたちが一体一体意識を取り戻し、目に当たるところの赤いセンサーに灯りを灯していった。ドクトルはその様子に慌てふためき、「何だ、どうした」と立ち上がったレイダーボットたちを見る。『アリア』が「パパ、キキたちを逃してちょうだい」と冷静な声を降らせる。レイダーボットたちはもうキキたちを狙っておらず、すべてのレイダーボットがドクトルに向けて方向転換していた。「アリア、やめなさい」とレイダーボットに追い詰められつつあるドクトルはじりじりと後退したが、すぐに機材にぶつかってそれ以上下がれなくなってしまった。キキは柱に繋がれた『アリア』のすぐ傍で事態を見つめていて、『アリア』を探すように天井を見た。
「これは君の意志なんかではないんだよ。このアンドロイドの不純物が混ざっただけなんだ。今すぐ調整をさせてくれ」
叫びだしたドクトルに『アリア』は「必要ないわ」と即答したが、その言葉に冷たさはなかった。「キキたちを解放してあげて。それができないなら、お父さんはお父さんじゃない」という『アリア』に、ドクトルは天井を見ると「お前まで私を見捨てるのか?」と絶望的な声を出す。『アリア』は沈黙していたが、キキはその後に続くように、「今ならまだやり直せる」と諭すように言った。ドクトルはそれでもキキのことなど眼中になく、ただ天井を見ている。
「キキたちを解放しないなら、わたしは自己破壊プログラムを起動します」
一ミリも揺らぐことのない『アリア』の声が、ドクトルの上に無情に降っていた。




