追撃。そして、謎の集落。
渓谷を埋め尽くすような黒い波が、俺たちを追っていた。
「速度を緩めるな! 目的地は目前だぞッ!」
リュートが叱咤する。
アボイドの追手は刻々とその数を増し、俺たちとの距離を縮めていた。
「団長! ダメだ! 追いつかれちまうよ!」
俺たちの後ろで殿を務めていたアルベルトが叫ぶ。すると、
「〈スターレイン〉!!」
フラウタの声が響き、頭上から無数の矢がアボイドの先陣に降り注いだ。
箭雨に晒されたアボイドが怯み、僅かに距離が開いた。
「〈スターレイン〉……! 〈弓術〉の超上級技術よ!?」
〈弓術〉スキルを身につけているミアが、驚愕の声を上げる。
しかし、フラウタは「ちっ」と舌打ちをすると長弓を背中に背負い直した。
「この程度じゃ足止めにもならない。リュート! じき追いつかれるぞ!」
「分かっている!」
騎士たちが技を使えば足止めは可能かも知れないが、〈騎士道〉を有効的に使うには鹿の脚を止めないと行けない。
それに、〈レファリーゲート〉で押し留めたとしても、あの数を相手ではすぐさま破られるだろう。
すると、リヒャルトの後ろに乗るマールが前方に向かって声を張り上げた。
「皆さん後ろを向かないでください! リヒャルトさん、最後尾に!」
「オールライト! アルベルト氏、殿を代わるよ!」
リヒャルトが鹿を最後尾に付ける。
マールは背中に背負った杖を手に取ると、詠唱を開始した。
「──魔を退けよ……! 〈ホーリーライト〉!!」
高く掲げたマールの杖の先端から強力な光が迸った。
神聖術の上位魔術だ。
『グキュァァアッ!?』
目も眩むような神聖な光に焼かれ、アボイドたちの脚が止まる。
俺たちの前方の景色も光の中に溶けていき、自らの長い影だけが白い世界に伸びていた。
「むうっ……!」
リュートが顔を腕で覆う。
「走りを緩めないでください!」
マールの叫びとほぼ同時に〈ホーリーライト〉の効力が消え、辺りに元の景色が戻ってきた。
振り返れば、アボイドを大きく突き放すことに成功している。
「うっ……」
「マールくん!」
マールの身体がぐらりと崩れ落ち、危うく落鹿しかけたところをリヒャルトが片手で抱きかかえる。
「すみません、大丈夫です……!」
強力な魔術を行使したマールの額には流れ落ちるように汗が浮かんでいた。
「外界人が目にもの見せたぞ! 後少しで目的地だ! 全員、頑張れ!!」
「おおおおおっ!!」
リュートの叱咤が飛び、騎士たちが吼える。
そして、さらに速度を上げて走り続けた鹿たちがいよいよ限界を迎え始めようという頃、俺たちは前方を真っ白な濃霧に遮られた。
「何だあれは……!?」
驚いた騎士たちが鹿の脚を緩める。
「あれが〈翠玉迷宮〉なの!?」
ミアが叫ぶ。
「いや、あんな霧は今まで見たことが……!」
リュートが狼狽えながら言った。
「団長……!」
団員が判断を委ねるように叫ぶ。
後方からはアボイドが迫っていた。
「……迷うべくもない! 〈翠玉迷宮〉はこの先だ! 全軍、進めッ!」
リュートが騎士剣の切っ先を濃霧に向ける。
俺たちは蒼穹の騎士と共に、得体のしれない濃霧の中に突っ込んでいった。
◆
何も見えないほどの濃霧の中を、前の人の背中だけを追って突き進んでいく。
「はぐれるな! 霧を抜けるぞ!」
リュートの声が前方から聞こえた次の瞬間、光が溢れて、忽然と濃霧が姿を消した。
「……っ!」
急な太陽の光に目を細めながら辺りを見渡す。
周囲には、肩で息をしながら鹿を歩かせる騎士たちがいた。
一様に、不思議そうな様子で前方の景色を眺めている。
「ここは……?」
前に広がるのは、のどかな田園風景だった。
金色の麦の穂が、そよ風に波打っている。
遠くには農家や村落の建物も見えた。
「渓谷沿いの農村って感じだけど……。この中に〈翠玉迷宮〉が?」
アフェットが前方の景色を眺めて怪訝そうに尋ねる。
すると、尋ねられたリュートは狼狽えた様子で首を横に振った。
「こんな場所のはずでは……。このような場所、見たこともない」
蒼白にすら見える表情で言う。
振り返ると、背後には霧に包まれた大渓谷の出口が聳えていた。
「アボイドはどうやら、追ってこないようだよ」
リヒャルトが言う。
確かに、先程までの邪悪な気配は一切感じられなかった。
リュートや騎士の面々が兜を脱いで汗を拭う。
「道を間違えたとか……?」
俺が言うと、リュートはそれを強く否定した。
「それこそ、ありえん。大地の裂け目は完全な一本道だ」
「リュート、どうする……?」
リュートの横に鹿を進めてきたフラウタが厳しい視線を田園風景に送りながら尋ねた。
「行くしかあるまい。こんなところに、なぜ集落が……?」
リュートを先頭に、警戒を強めつつ集落の方へと向かう。
しばらく行くと、農作業をしていた男が麦わら帽子のつばに指をかけながらこちらに手を振った。
「あれー。どうしただね? 騎士様が、こげなところにー」
人懐っこい笑顔で近づいてきた。
リュートは俺たちと顔を見合わせると、農夫に小さく頭を下げて一人で農夫の方へ駒を進めた。
「鹿上から失礼。この村は一体……? 私の知る限り、ここに村落は無かったはずですが」
「はあ。そう言われても、ずーっと昔ぃからあるもんだから仕方ないわな。騎士様。ここは〈カーバンクル・ヴィレッジ〉っちゅー村でございます」
「……!」
農夫の口から出た〈カーバンクル〉の名に顔を見合わせる。
リュートは「失礼。少々、お待ちを」と農夫に告げると、俺たちの方へ戻ってきた。
「〈カーバンクル〉に縁のある村のようだが……。やはり、どこかで脇道にそれたのか?」
「しかし、こんな場所に村があることなど、〈ガラドニア〉の誰も知らなかったわよ?」
フラウタがいまだ疑り深い目で農夫をちらりと見る。
「何かの拍子で渓谷の地形が変わったのかも知れぬ」
「本当はどこに出る予定だったんですか?」
俺が尋ねると、リュートは顎に手を当てて答えた。
「うむ……。本来であればエメラルドに輝く晶石の森が広がっているはずなのだ」
「それが、〈翠玉迷宮〉?」
リュートが無言で頷く。
「とりあえずよー、飯や飲み水があるなら世話になろうぜ? 相手も〈山神の民〉で、敵なわけじゃないんだし」
アルベルトが脳天気な声で言う。
リュートはしばし思案した後、再び農夫の元へ向かった。
「お聞きしたいのですが……。〈翠玉迷宮〉はご存知で? 我々はそこに向かっております」
すると、農夫は破顔して手を打った。
「あれまー! カーバンクル様にお会いに? こりゃ、うちの村で歓迎せねば!」
そう言うと、農具を放り出して俺たちを先導し始めた。
「こつらへどうぞ! 宴会の準備をさせていただきますんでよ! おいー! みんなー!」
村の方へ呼びかけながら、一本道の農道を駆けていく。
「っひょー! 宴会だってよ! こりゃ、ご相伴に預からねば騎士の恥ってやつだぜ!?」
「おい! アルベルト!」
リュートが止めるまもなく、アルベルトが農夫の後を追っていく。
なんとは無しに、他の団員たちもぞろぞろとその後を追った。
今までの凛とした規律が、そこはかとなく緩んでいるような気がする。
「様子を見るしか無い、か……」
「の、ようですね」
リュートやフラウタと頷き合うと、俺たちも集落の方へと鹿を歩かせた。




