〈天つ森のはじまり〉
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焚き木がぱちぱちと音を立てながら燃えている。
地の果てまで続くような銀月山の大渓谷は、沈み始めた太陽に紅く染められていた。
日が傾くにつれて重い霧が漂い出し、大地の裂け目の底を満たしていく。
〈山の亡者〉の追撃を撒いた俺たちは、渓谷の岩棚でキャンプを張って休息をとっていた。
「〈山の亡者〉は、元々は冒険者だったらしいね」
焚き木を見つめながらアフェットがポツリと呟いた。
「なに、怪談? やめてよ」
ミアが笑う。
「満月の夜だけは正気に戻って、自分の家に帰ろうと山を彷徨い歩くとか──いてっ」
ミアがアフェットの肩をげんこつで打って止めた。
「ろくでもない話するんじゃないわよ、もう」
「おや? 〈紫電のミア〉ともあろう方が、怖いのは苦手なのかい?」
リヒャルトがニヤリと笑う。
「私も、その話は苦手です。怖いし……なんだか悲しいから」
マールが呟くように言った。
地平線へと沈みゆく太陽は、あと少しでその身を全て隠してしまいそうだ。
大渓谷に漂う霧を、濃いオレンジの光が矢のように貫いている。
「もう月が出るな……」
俺は誰に言うでもなく呟いた。
全員が無言のまま日没を見送る。
やがて太陽が完全に姿を隠すと、満月の光が辺りをさめざめと照らし始めた。
霧が濃い。
渓谷の底を満たし、俺たちの足元にまで漂い始めた霧の中に、月の光がまるで道を作るように射し込んでいる。
「すごく……綺麗です……」
マールが息をつく。
「待って。霧が……!」
アフェットが声を上げた。
俺たちの前方で、月の光を浴びている部分の霧が渦を巻き始めた。
「……!?」
「落ち着いて。大丈夫」
身構える俺たちにリヴィアが言った。
霧は渦を巻くほどに濃密になっていく。
やがて、ざわざわと木々の葉がざわめくような音がすると同時に、渦の中心に空洞が出来た。
月の光を辿って延びる、霧のトンネルだ。
「これが、〈天つ森のはじまり〉への扉……?」
「だろうね。山神殿は、ずいぶんなロマンチストのようだ。その意気やヨシッ!」
リヒャルトが何のためらいもなくトンネルへと足を踏み入れる。
「お、おい!」
「何をためらう、マイロード。タイガーホールに入らずんばタイガーキッズを得ずだよ! はっはっは!」
「あ、あいつ、またわけの分かんない事を……」
トンネルの中から振り返ってポージングと共に高笑いを上げるリヒャルトに、ミアが顔を引き攣らせる。
『主。山神ルフ殿のお導き。危険はありますまい』
「行こう、コージ」
ランスロットとリヴィアの言葉に頷くと、俺はミアたちと共にトンネルに突入した。
トンネルは俺たちが横並びで歩けるくらい広い。
「どこまで続いているんでしょうか……」
マールが呟いた。
トンネルの出口は消失点の先に消えていて見えない。
少し歩いたところで俺たちはふと足を止めた。
「この先って、たぶん……崖だよな?」
俺の問いかけに、ミアが小さく頷く。
俺たちの足元は霧に包まれていて、感触も不確かだし、今なにが俺たちを支えているのかも分からない。
ただ、数十分前までの光景を思い起こすと、いま俺たちが霧の中で底の見えないような崖の端に立っていることだけは何となく予想できた。
「山神を信じる者だけが渡ることが出来る、ってことかな」
アフェットが言う。
「これは……なかなかクレイジーな試練だね」
さすがのリヒャルトも二の足を踏んでいた。
すると、リヴィアが一歩前に出て、俺に手を差し出した。
「…………」
俺は無言でその手を握ると、二人で並んで見えない崖へと足を踏み出した。
「コージ……!」
後ろでミアの声がしたが、振り返る余裕もなかった。
不確かな足元の感触を踏みしめる。
背中を、つっと汗が伝う。
隣のリヴィアを見ると、リヴィアは俺を見て『大丈夫だよ』と言うように微笑んだ。
一歩、また一歩と二人で足を進める。
気がつけば、俺とリヴィアは最初の地点から十メートルほど進んだ場所でしっかりと霧の上に立っていた。
振り返ってミアたちに手を振る。
ミアたちも顔を見合わせると、恐る恐る足を進め始めた。
緩やかに上行を始めた霧のトンネルをひたすら歩く。
もはや、自分たちが崖の上にいるのか地上にいるのかどうかも分からない。
ただ、白い霧と月の光に導かれるまま、空へ向かうトンネルを歩いた。
やがて、向かう先にまばゆい光が溢れ始めた。
「出口かな!?」
アフェットが眩しさに目を細めながら叫んだ。
出口に近づくにつれて光は強さを増していく。
トンネルを抜ける頃には影すらも無くなるような光に満たされて、俺たちは歩いているのか止まっているのかすら分からなくなった。
気がつくと、俺たちは果てしない草原の中にいた。
薄もやのたなびく草の大地に、微かに風がそよいでいる。
空には、月も、照りつける太陽も無く、なのにどこまでも柔らかな光に溢れていた。
「ここは……」
「〈天つ森のはじまり〉。ルフがいる、山脈の内側だよ」
俺の呟きにリヴィアが答えた。
全員が、ただ黙って悠久の草原を眺めていた。
霧に霞む草原は緩やかにうねり、ここそこに大きな奇岩が転がっている。
遠くに、高い四本の柱に支えられた建築物のようなシルエットが見えた。
「建物……? 誰か人がいるんでしょうか?」
「いや、あれは──」
マールの問いにリヴィアが答えようとするのを、ミアの声が遮った。
「ちょっと待って。あれ、動いてない? こっちへ向かってるような──」
言う間に、その建物は四本の柱を脚のように動かして、こちらへ移動してきていた。
緩慢に見えるが速度は速い。
「隠れろ!」
俺たちは近くにあった岩の影に飛び込んだ。
巨大な影はすでに至近距離に迫っている。
俺は間近に迫った、その『建物だと思っていたモノ』を見て腰を抜かしそうになった。
「生き物だ……」
吐息のような声が漏れる。
俺たちが隠れる岩をまたぐように通過していくそれは、四本の長大な脚を持った灰色の巨獣だった。
脚の上には円盤状の胴体が乗っていて、その底面に一つの大きな眼があった。
その瞳は穏やかな色を湛えていて、不思議とそれほど恐怖は感じない。
体表には古の遺跡のように苔がむし、蔦が絡まっていた。
巨獣が脚を踏みしめるたびに大地が揺れる。
近くのくぼみから青い毛色の野うさぎのような生物がちょろちょろと走り去っていった。
「…………」
俺たちが唖然として見上げている内に、巨獣はゆっくりとした足取りで俺たちの上を通り抜けて草原の向こうに霞んでいった。
上空の胴体から鳥が飛び立っていくのが見えた。
「な、なによあれ……」
ミアが呆然と呟く。
「〈自然の外側〉にはいない生き物だよ。今はもう外側にいる生物なんてほんの一部だからね」
リヴィアが言う。
「ここに生きるものたちは他者を襲うことをしないから、心配いらないよ。大地が全てを生かし、生物も命の循環の中で互いを育みあっているから、『奪い合う』という概念が無いんだ」
ふと辺りのもやの先を見てみると、同じ様に不思議なシルエットが大小様々蠢いているのが見えた。
『〈天つ森のはじまり〉……か』
ランスロットがぼんやりと呟く。
「ランスロット、どうした?」
『いえ、何でも。すみません』
ランスロットはそれだけ言って、また黙りこくってしまった。
「……?」
この旅が始まってから、彼は妙に口数が少なく、様子もどことなくおかしかった。
「なぁ、何か──」
俺がランスロットに尋ねようとした時、上空から一羽の小鳥が舞い降りてきて近くの岩の上に止まった。
『よくぞ来られた。我が玉殿は北の双蒼山。疾く、参られるがいい』
小鳥が喋りだす。
『よいな。待っておるぞ』
俺たちが驚いていると、小鳥は言い残して飛び立とうとした。
それを慌てて止める。
「ま、待ってください! 北の双蒼山というのは──!?」
『あの果てに見える、二つの頂。あれこそが双蒼山』
小鳥はそう言うと北の方に飛び上がって小さく旋回し、そのまま空の向こうに消えていった。
「あれこそがって……。えらい遠いんだけど……」
ミアが、小鳥が消えていった方角を眺めながら呟く。
北の果て、地平線に横たわる山々のさらに向こうに、天を衝くような二つの白い頂きがミニチュアの様に見て取れた。
「あそこまで歩いていったら、一ヶ月近くかかりそうだなぁ……」
アフェットも顔を引き攣らせて言う。
「ふむ……。マイプレシャス。わたくしに、グッドアイディアがあるのだが?」
「……っていうと?」
不敵な笑みを浮かべるリヒャルトに嫌な予感を覚えつつ、俺はその『グッドアイディア』の中身を聞いてみた。
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