深山の怪異
◆
ドゥラメンテ連山の奥深くへ入ると、濃密な木々の香りと強い気配が俺たちを迎えた。
「奥に行けば行くほど、冒険者も滅多に入らない場所よ。秘境、といってもいいかも」
ミアが額の汗を拭いながら言う。
「リヒャルトさん、暑くないの?」
いつもどおり真っ赤なローブを身にまとうリヒャルトにアフェットが問いかける。
すると、リヒャルトは両手を広げながら空を仰いで、
「わたくしから情熱の赤をとったら、一体何が残るというのかね!? コレがわたくしの無二の正装ッ! たとえ、太陽がこの身を焼かんともッ!!」
汗だくで宣言する。
「そ、そっか……。ごめん」
顔を引きつらせるアフェット。
リヒャルト以外は、今回の旅用に用意した探索者向けの上質な装備を身につけていた。
軽く非常に丈夫で、実用性が素晴らしく高い。
それもそのはず、この旅には『ゲイルズ・ドレスアンドアーマリー』がスポンサーになってくれているのだ。
マールは揃いの装備の上から白いフード付きのマントを羽織っていた。
「コージ、待って」
俺の横を歩いていたリヴィアが不意に行軍を制止した。
「この感じ……。近づいてきてる」
「…………」
何が、とは言っていない。
言っていないが、俺たちは全員、薄暗い森の奥を見つめて息を呑んだ。
草がガサガサと揺れる。
風じゃない。今は無風だ。
だとすれば……何かしらの生き物。
猛獣か? モンスターか?
全員が静かに戦闘態勢を取る。
やがて木の間から顔を覗かせたのは──大きな牝鹿だった。
黒い瞳がクリクリと俺たちを観察している。
「……なんだ。脅かすなよ」
俺たちは気が抜けたように息をついた。瞬間──
『汝らが纏いしは〈森の神氣〉……。人間よ。この幾万の精霊が宿る霊山に、いかなる用か』
鹿が喋った。
「あ……え……」
唐突すぎる出来事に全員が言葉を忘れている。
すると、リヴィアが一歩鹿に近づいて語りかけた。
「山神〈ルフ〉。あたしは始原の海神リヴァイアサン。あなたに異変を感じ、〈森の女王〉の頼みを受け会いに来た」
『始原の海神……。数千の年月を隠匿地におわされた方が、何ゆえかような地に? にわかには信じがたい』
鹿が俺たちの前に進み出てリヴィアを見上げる。
「コージ、ちょっと魔力を使うよ」
「ああ」
俺が頷くと、リヴィアが魔力を開放した。
木々が大きくざわめき、鳥たちが一斉に羽ばたく。
森の景色なのに、紺碧の海深くに沈み込んだかのような幻覚が俺たちを包む。
「うわっ……!」
まだ慣れていないアフェットが思わずたたらを踏んだ。
『おお……おおぉ……。これはまさしく……』
リヴィアが魔力を再び抑えると、ルフの使いの牝鹿はリヴィアに頭を垂れた。
『出迎えにあがりたいが、我が身は白龍山脈に縛られている。海神……そして、人間たちよ、銀月山の大渓谷へ向かえ。今、我が力衰え、山河命脈の流れは淀みつつある。しかし、満月の光が谷を照らす間だけは〈天つ森のはじまり〉への扉をひらけよう』
「〈天つ森のはじまり〉……」
女王がいた〈森のまんなか〉と同じ、自然の内側、というやつだろうか。
「銀月山というと、ここから白龍山脈に入った一つ目の山ですね」
マールが記憶を辿るように言う。
『満月の夜だ。必ず、時をたがわれるな』
牝鹿はそう言い残すと、木々の中に飛び込んですぐに姿を消した。
「次の満月は二日後……。急ごう!」
アフェットの言葉に頷くと、俺たちは牝鹿の消えた方向に歩き出した。
◆
森深いドゥラメンテ連山の峰々を越えて白龍山脈に差し掛かると、いよいよ標高は高く、急激に下がる気温に俺たちは厚手のマントを羽織った。
白龍山脈の南端に位置する銀月山。木々は背の低い高山性の物に植生を変え、ごつごつとした岩肌が目立つ。
俺は登りながら、銀月山の山腹から見下ろす天上のような景色にたびたび息をついた。
元の世界ではろくに登山なんかしたことがなかったものだが……これは悪くない。
「ドゥラメンテ連山では危険なモンスターには遭遇しなかったけれど、ここからは一体どんな生物やモンスターが巣食っているかも分からない。まさに未知のエリアだわ」
前方は見晴らしのいい崖。後方には急斜面の岩山が立ちふさがっている。
「大渓谷は北だ。今夜中に着かないと」
アフェットが近くの大岩の上から遠見をしつつ言った。
「よし、すこし休んだら北へ──」
俺が言いかけた時、
──ぴょう。
俺の足元に短弓の矢が突き刺さった。
「……っ!? 敵だ!!」
叫んだ瞬間、俺たちの背後の岩山から次々と矢が降り注いでくる。
「うおっ……!」
「コージ!」
俺に向かってきた矢を、リヴィアが手で叩き落とす。
「休んでる暇は無さそうだよ!」
アフェットが剣で矢を切り落としながら叫んだ。
「リヴィア! 〈炎尖牙〉!」
「ほいっ!」
俺のイメージをトレースして、リヴィアが岩山にむけて炎の槍を放つ。
爆炎が岩石を吹き飛ばし、炎がちりちりと肌を焼く。
『ギャアァァァァ!』
岩山から猿のような悲鳴が無数聞こえてきた。
同時に、岩の影や地面の穴から黒く小さな人影がわらわらと湧いてくる。
一見して人間のようだが、背は低く腰は曲がり、全身の肌は薄汚れたような黒に変色している。
粗末な革の服を身に纏っているようだ。
「山の亡者……! 噂には聞いたことあったけど……!」
「山の亡者……!?」
〈観察〉で詳細なステータスを探る。
【山の亡者 Lv:43
HP:323/706
AP:60/60
攻:176
防:176
スキル:弓術 剣術 体術 窃盗
装備品:革の服 短弓 歪んだ山刀】
個々の戦闘力は大した事がないが、この数で来られると非常に厄介だ。
炎尖牙に蹴散らされた〈亡者〉たちは体勢を立て直して、再び矢を放とうとしている。
「──〈フレアボム〉!」
リヒャルトの魔術による小爆発が亡者を吹き飛ばす。
『ギェェェェェェ!』
しかし、蜂の巣をつついたように次から次へと亡者はその数を増していっていた。
いつのまにか、岩山は黒い〈山の亡者〉の姿で埋め尽くされようとしている。
「なによこの数!? キリが無いわ!」
鋭い矢鳴りが耳元を掠める。
「走るぞッ! 北の道へ……!」
「こっちだ! 早く!」
リヴィアが放った〈炎尖牙〉の爆炎を合図に、俺たちは左右を断崖に囲まれた北の山道に駆け込んだ。
うねうねと続く山道を〈山の亡者〉の群れはどこまでも追ってくる。
恐慌した猿のような雄叫びが背後から迫ってきていた。
「リヴィア!」
急停止してリヴィアと共に振り返る。
「〈濤波〉!」
俺のイメージする動きにリヴィアが追従した。
「──〈氷葬結界〉ッ!」
生み出された怒涛の水流が〈氷葬結界〉により瞬間凍結。
巨大な氷柱のファランクスが、左右にそびえる断崖を突き崩した。
『ホキャキャキャキャキャ!?』
地鳴りとともに無数の岩石が崩れ落ちてきて、細い山道を塞いだ。
「時間は稼げるはずだ! 行こう!」
うず高く積み上がった岩石と土砂の向こうからは、まだ亡者たちの喚く声が聴こえてくる。
断崖に日を遮られ昼なお薄暗い山道を、俺たちはさらに北へ急いだ。
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