第8話 初仕事
「じゃあ、真人さん。早速で悪いのだけれど、今日の13時にお客様が来られるの」
と、澪が言う。
真人はちらりと自身の腕時計を視れば現在は午前10時を少し過ぎたところだった。
異能の話を聞き、契約を終わらせたらすぐに仕事になるとは、思わず笑ってしまう。
「わかったよ、お嬢サマ。護衛として仕事させていただきます」
ソファーから立ち上がり、わざとらしく敬語を使って頭を下げる真人に思わず顔をしかめる澪。
「普通でいいわ、急によそよそしくて嫌だわ」
「でも一応、お嬢サマなんだろ?」
「ここまで敬語なんて使ってこなかったじゃない、気にしないわ」
「ん、りょーかい」
分かったとでも言うように手をヒラヒラさせて再びソファーに座る真人。
そして、首だけを回して澪に「なぁ」と声をかける。
「頭痛は?」
異能の負荷の話を聞いたからか気になって仕方がない。
「大丈夫よ、頭痛薬は飲んでいるわ」
澪は書斎のデスクの上にある書類を探しながら答える。
「……それでも仕事をするのか」
ぼそっと思わず口から洩れる。
澪はあえて返事をせず、書類を一つ真人に渡す。
「今日の午後から来られる方の書類よ。目を通しておいて」
真人はソファーから腕を伸ばして紙を一枚受け取る。
そこには1枚の顔写真と【坂井拓也】という人物の経歴がまとめられていた。
「坂井卓也、坂井商事の長男」
書類を読み上げながら頭に入れていく。
海外の大学で経営を学び、次期社長として頭角を現している人物らしい。
年齢は32歳で父親の秘書として学んでいるところだそうだ。
「なんでこんな奴がくるんだ?」
「久世家との事業提携の話を数カ月前から持ってきているの」
「ジギョウテイケイ?」
澪は書類から顔を上げ、真人を見る。
「一緒に仕事をするということよ」
真人のわかっていないことを把握したのだろう。
「……お前、18歳だったよな?」
「そうよ」
「18なのにそんな難しいことしてんのか?」
「私にはこれが当たり前だから」
「いや、普通の18歳ってジギョウテイケイとか言ったりしねえんだけど」
俺の知る限りでは、と付け加えるのは澪の視線が気になったからだ。
「じゃあ、この世界に慣れて。
次期当主だし、当主のお父様はほぼ海外にいるから家のことは私が全てしているのよ」
「苦労してんだな」
18歳で仕事をバリバリこなすなんて信じられなかった。
18と言えば普通に学校に行ったりしている年齢だろう。
自分が18の時なんて家から飛び出してフラフラしていた時期でもある。
「そうかしら?」
澪は書類から目をあげずにサラッと流してしまった。
真人はもう一度書類の男の顔写真に目を向ける。
昼からこの男が話をしにくる、自分の初仕事だとゆっくりと実感がわいてきた。
12時を過ぎる頃に書斎のドアがノックされる。
「お嬢様、お食事をお持ちいたしました」
榊が入ってきてサンドイッチをデスク横に置く。
「ありがとう、榊さん」
榊は真人を横目で見たのちに、机の上に置かれている契約書も見る。
ただ何も言わない。
「柴田さんのお食事もすぐにお持ちいたします」
それだけを言う。
「ねえ、榊さん。坂井商事の書類を見て欲しいのだけれど船舶数はこれで合っているの?」
と、澪は書類を榊に渡す。
「失礼します」と榊は受け取り、目を走らせる。
「船舶数が少ないように感じるの、確認をお願い」
「かしこまりました」
榊は書類をもって書斎を後にした。
「すげえな、あの会話だけでお前が言いたいことがわかってたみたいだな……」
思わず先ほどのやり取りを見て感心してしまう。
「真人さんも見てみてくれる?」
澪が書類を渡してきた。
「船舶数の数に対して、営業利益が異様に多い気がするのよね」
「……何か悪いのか?」
利益が多いならいい会社ではないのか?と素人ながらに思う真人。
「もし、その利益が違法な方法を使っていたら?」
「違法だったら警察に捕まるな」
「まぁそれもあるのだけれど」
思わず笑いがこぼれる澪。
「違法な会社と提携すれば、久世家まで信用を失うわ」
それだけは避けたいと澪は丁寧に説明をしてくれる。
あっ、と警察が怖いわけではないことを理解する真人。
澪が考えているのは常に『久世家』という箱なのだということもなんとなく理解する。
「つか、船舶数と営業利益の額なんてよくわかるな」
俺にはさっぱりだとでも言うように、書類を返しながら真人は眉間にしわを寄せる。
「サンドイッチは食わねえの?」
真人は話を変えるように、デスク横に置かれたサンドイッチを指さした。
「……真人さんが食べてもいいわよ」
「お前、朝から何も食ってねえじゃねえか」
「言ったでしょ、昨日使ったから食欲がないって」
「スープは昼に飲むって言ってただろ、飲め」
澪はデスク横のサンドイッチとスープのカップを見る。
「……食わねえから異能でぶっ倒れるんじゃねえの?」
「それは関係ないわ。何度か因果関係を試したけど関係なかったわ」
フイっと横を向く澪。
「んじゃ、どうでもいい。飲め」
真人は澪の手元の書類をサッと取り、スープを置く。
「あ、ちょっと!」
「飲んだら返してやるよ」
ニヤッと意地悪く口角を揚げる真人。
澪はしぶしぶスプーンを口に運んだ。
澪がスープを飲み終わるころには、真人によって榊が運んできたサンドイッチと真人用の昼食もきれいに平らげられている。
真人は空になったスープ皿を満足そうに見て、書類を返す。
「そろそろ時間だろ?」
「えぇ」
むすっと不機嫌そうな澪を気にすることなく、真人は自分の平らげた皿を片付けていく。
そうしているうちに、書斎のドアがノックされ、榊が入ってきた。
「お嬢様、ざっと計算したところお嬢様の見立て通り船舶数が少ないようでございました」
「やっぱりそうなのね、ありがとう榊さん」
榊は恭しく一礼し、次の話へと変える。
「坂井さまがお見えです。応接室へご案内しております」
「わかったわ、すぐに行きます」
不機嫌な澪はそこにはいない、凛とした久世家として対応するべく気持ちを切り替える。
「真人さん、行きましょう」
「おう」
真人は澪の後ろについて部屋を出て応接室へと向かっていった。
榊が応接室のドアを開ければ、緊張した面持ちの男性が一人立ち上がる。
「坂井商事の坂井拓也と申します。この度はお時間をありがとうございます」
「坂井さま、初めまして。何度も書面でのやり取りをありがとうございました。
久世家長女の澪と申します。
お父様とは何度かお話をさせていただいておりますわ」
澪はにっこりと微笑み、坂井に椅子をすすめ自分も腰掛ける。
真人は壁際に立ったまま、静かに二人を見守る。
それが、自分の護衛としての最初の仕事だった。




