第9話 令嬢の仕事
真人は澪の背中とその向こうに見える坂井卓也を見た。
この応接室の雰囲気には、澪の自室で感じていたような柔らかな空気は一切ない。
ビジネスの場であるということが嫌でもわかる。
「以前、送ってくださっていた事業実績にも目を通させていただきましたわ。
近年、坂井さまの手腕で大きく成長されているようで」
澪から話し始めた。
坂井は嬉しそうに頭を下げて礼を伝えると、待っていましたとばかりにプレゼンを始める。
「ありがとうございます。事業拡大を考えており、国内だけではなく海外への流通も視野に入れ始めようと思いまして」
新たな書類をカバンから取り出してきた。
「主にアジア圏を対象とした流通です」
澪は書類を手に取り、目を通しては質問をし、さらに返答を聞く。
真人には二人の口から紡がれる内容がさっぱりだったが、澪が前向きに検討しているのだろうということは、その真剣な横顔から薄々感じていた。
「ところで、船の管理や動きは坂井さまご自身で管理をされているのですか?」
「いいえ、わたしは主に取引先との交渉をメインでしております。船の管理等は専務である叔父に任せています」
澪が午前中に気にしていた船舶数。
その核心へ、自然な流れで静かに切り込みはじめた。
「そうなのですか。ここ数カ月に大きく伸びているので上手に船を動かされているのですね」
澪の目が鋭く相手を値踏みするように見据える。
「ありがとうございます、叔父も久世様に認められると伝えるときっと喜びます」
そういう意味じゃねえだろ。
と、内心毒づく真人。
予め違和感があると澪の方から聞いていたからそう思うのかもしれない。
それでもこの坂井という男は、良く言えば素直、悪く言えばおめでたすぎる。
皮肉が伝わっていないようだ。
「えぇ、本当に」
にこりと澪も完璧な社交辞令の微笑で同調する。
「事業を預かる方とも一度ご挨拶しておきたいものですわ」
「ほ、本当ですか?叔父も喜ぶと思います」
「えぇ、ぜひお会いしてみたいものです。いかがかしら、今回の事業提携のお返事は会食の場でどうでしょうか?」
坂井はパァと顔を明るくする。
「せびとも、よろしくお願いします。会食会場はこちらで探してご連絡をいたします!」
食い気味に捲し立ててくるのは、この美味い話が無くならないうちに既成事実にしておきたいのだろう。
「まぁ、坂井さまお勧めのところでお食事ができるなんて楽しみですわ。
ぜひ、坂井さまだけでなく、社長のお父様と専務の叔父様ともお会いできればと思います」
坂井はこんなにも大きな話になるとは思っていなかったのだろう、びっくりしながらも了承をし、日時は改めて連絡すると頭を下げてきた。
その様子を、真人は底知れないものを見る目で眺めていた。
坂井が頭を下げているのはたった18の少女だ。
つい数時間前までスープを飲むことを拒否していて頬を膨らませていたヤツ。
対してペコペコしている相手はよく見ても30代。
書類には32歳と書かれていた気がする。
その光景だけで、久世家という家の格がどれほどのものか思い知らされる。
坂井は上機嫌でお礼を言い、久世家を後にする。
◇
坂井を見送った瞬間、真人はすぐに「なぁ」と話しかける。
「なんで叔父まで呼んだんだ?船舶数の話ならアイツだけでもいいだろ?」
「……そうね、あの人本当に何も知らなさそうだったから」
澪は小さく肩をすくめ、張り詰めていた空気を解いて自室へと歩き出した。
「次期社長だろ?知らないわけないだろ」
「船舶数の話を出したときに、知っているなら感情は少しぐらい焦ってもよさそうでしょ?」
まあな、と納得する真人。
「それが、全く動かなかったのよ。
それどころか専務である叔父に対して誇らしさの感情の色まで見えたわ。
つまり、船舶数と利益の異常に気付いていないのよ」
ふーん、と真人は澪の横を歩きながら横顔を見る。
改めて便利な能力だなと感心した。
◇
自室へ戻った澪に榊がお茶を持ってきた。
「お嬢様、お疲れ様でございます」
榊は無駄のない動きで一礼する。
真人はその様子を朝と同様にソファーに座り、ぼーっと見ていた。
「いかがでしたか、柴田さん」
不意に榊が真人へと向き直る。
「へ?…なんつーか、仕事モードになると人が変わるな、お嬢サマ」
「そうかしら?」
ふぅ……と深い息を吐いてお茶を一口飲む様子は、どこにでもいるただの18歳だ。
「ここにいる時は年相応なのに、仕事になると急に大人びて見える」
素直に思ったことを言う。
榊は目を細めて真人と澪のやり取りを見た。
「お褒めの言葉として受け取っておくわ」
満更でもなさそうに微笑む澪。
「あ、そうだわ。榊さん。専務の方の交友関係とか取引先を重点的に見ておいて」
「かしこまりました」
視線を澪に戻し、榊は一礼する。
「社長も一応調べて欲しいけど、専務の方を優先で。」
「そのように伝えしておきます」
榊は仕事へと戻るため部屋を後にする。
「なぁ、調べるって榊さんそんなことできんのか?」
ソファーから顔だけを澪に向けてペットボトルを手で遊びながら何の気なしに聴く。
「榊さんはしないわ、調べるのは『久世の情報部』よ」
「情報部?」
「えぇ。久世家には専用の情報部というものがあって、基本的にはその部署が必要なことを隅々まで調べてくれるわ」
「部署って、会社なのか?」
「そうね、久世ホールディングスという会社として運営しているから会社になるのかしら」
「てことは、アンタが社長?」
ニヤッとからかうように冗談めかして言った。
「いいえ、社長はお父様よ。私は……取締役、と言うところかしら」
真人は思わず、遊んでいた手をピタリと止めた。
冗談が、冗談じゃなくなる瞬間。
人間とは本当に動きが止まるのだと、真人は身をもって知る。
「まじか。18で取締役とかなれるのか」
「今その仕事をしているからなれているみたいね」
澪はA4の書類を片手に持ち、もう片手で優雅にティーカップを扱いながら、さらりと答える。
「それにお父様はほぼ海外だから私がするしかないもの」
「それはオヤジさんが帰ってくるとか…」
「ないわね」
スパーンと、あまりにも迷いなく言い切る澪。
「普通、自分の子供にそんなこと任せないだろ」
思わず眉間にしわが寄る真人。
「どうなのかしら?
昔から日本にはいないし、海外で会社を大きくする方が好きみたいよ」
開いた口が塞がらないとはこのことだった。
真人は衝撃のあまり、次の言葉が出なかった。
自分の生きてきた家族という形とかけ離れすぎていて次の言葉が出なかった。
だが、澪は気にする様子もなく、デスクの椅子にちょこんと三角座りをして、淡々と書類を読み始めた。
坂井が帰ってから1時間経たないうちに澪のパソコンに坂井からメールが届く。
5日後に会食を設定したようだ。
「仕事は早いわね。真人さん、5日後に夜に会食が入ったからそのつもりでいてくださいね」
「俺も行くのか?」
「当たり前でしょう、私の護衛なのだから」
はいよ、と真人は返事をする。
今日護衛になったばかりだというのに、このお嬢サマは人使いが荒いようだ。
ソファーに深く背を預け、椅子のうえで小さく三角座りをしながら書類を睨む澪を、薄暗い部屋のなかで見つめる。
(18のガキが、取締役、ねえ……)
自分の常識が一切通じない、とんでもない場所に足を踏み入れてしまった。
そんな厄介な自覚がうっすらと残った。




