第2話 久世家現当主
この数日は屋敷の中が慌ただしかった。
澪の父の部屋がきれいに整えられ、家中を使用人たちが掃除をしている。
父親であり、久世家現当主が帰国するとなると一大イベントであることが真人にもわかる。
そんな状況でも、相変わらず淡々と仕事をこなす澪に脱帽する。
事務処理だけでなく、会議や会食に真人も連れまわされていた。
ようやく一息ついた翌日、父親が帰国する日を迎えた。
「お嬢様、今回の帰国には、潤様がご同行されていないとのことです。どうやら、エジプトでトラブルが起きたと」
「あら、お兄様と今年は会えないのね」
「はい、お手紙を預かっております」
「捨てといて」
「捨てるのかよ!!」
思わず、口を挟んでしまう。
仮にも兄からの手紙だ、一読もせずに捨てることに真人は信じられない。
「毎月同じ内容での手紙だもの、読む必要はないわ」
榊が真人に一通の手紙を差し出してきた。
真人は受け取ると、ずっしりとした重みが感じられる。
開くと、びっしりと文字が敷き詰められていた。
『愛する澪へ
久しぶりにお前から手紙が届き、兄はこの上ない喜びに包まれています。
お前は昔から筆まめな子ではありませんでしたから、こうしてお前の文字を目にするだけでも、離れて暮らす寂しさが幾分か和らぐというものです……』
真人は3行で読むことをやめた。
というよりも澪の素晴らしいところを延々と語っているだけの手紙にお腹がいっぱいになる。
「すげえ兄貴だな……」
それ以上の感想が出てこない。
「お嬢様を誰よりも大切にしておられますから」
真人は手紙を榊に返した。
「帰ってこないとなると、プレゼントが届くわね。ホールを開けておいて」
「かしこまりました」
澪の言った通り、その2週間後にはエントランスホールを埋め尽くすほどのプレゼントが届いたのはまた、別の話。
◇
翌日、澪は軽く着飾り、エントランスホールで待機をしていた。
真人もその斜め後ろに控える。
「どんな親父さんなんだ?」
「そうね……、仕事に関しては厳格な方よ」
含みのある言い方に真人は気を引き締める。
護衛となって数ヶ月、澪の家族に対して疑問を持ったことが無いわけではない。
祖母である恒の厳しさもあり、正直なところいい印象はほとんどない。
18歳の娘を日本に残して仕事をする父親も信じられない。
その上、仕事を澪に任せていることすらも。
「仕事に関しては、って」
「そのままの意味よ。会えばわかるわ」
澪の言葉にかぶせるように、使用人の声が響いた。
「旦那様のご到着です」
屋敷の中に緊張が走る。
玄関の外に車が停まる音がした。
重厚な玄関扉が開く。
榊を従えて入ってきたのはスーツを着こなし、鋭い目をした男だった。
「お父様、お帰りなさい」
澪が近づき、声をかける。
「今戻りました、こちらの問題は何もなかったと」
「はい、つつがなく」
澪が微笑む、あの外向けの仮面をつけた微笑みだ。
「さすがですね」
一言、やさしく微笑みを見せた顔を見て、親子だと真人は感じた。
この父親もまた仮面を付けるのだと。
父親と澪が歩く後ろを真人はついて行く。
真人は父親の書斎の前で足を止めた。
ここからは親子の時間だろう、護衛である自分が入るべきではない。
「真人さん、入らないの?」
澪が振り返り、真人を見てきた。
「気にすんな」
「君も入りなさい」
久世家の当主に言われると断るわけにはいかない。
「っす」
小さく頭を下げて二人の後に続いて入った。
部屋の中は澪の部屋よりも広いが、たいして変わらない。
仕事用のデスクがあり、中央にはソファーとソファーテーブルが置かれている。
壁には本棚があり、難しい本がびっしりと並んでいた。
親子だな、似たような部屋を見て、真人は口角が上がる。
澪はソファーに座り、父親は荷物を片付けていた。
「変わりはありませんか?」
「ええ、特には」
「結城先生から一度倒れたことが報告に上がりました。その後の体調は定期的な検査で問題ないとも聞いています」
「浅はかでしたわ、チョコレートにお酒が入っているなんて」
「それは私も気づかないでしょう。ただ、綾瀬家には一報入れておきましたので」
「ありがとうございます」
何とも事務的な会話だ、真人はそう思わざるを得なかった。
ドアがノックされ、榊がお茶を運んできた。
「雅臣様、長旅ご苦労様でした」
「榊さんもお変わりなさそうで」
榊が父親——雅臣と澪の前にそれぞれ好みの飲み物を置く。
雅臣も澪の対面のソファーに座り、飲み物を手にする。
「さすが榊さんですね、このコーヒーが一番です」
「お褒めに預かり光栄です」
「さて、澪さん。本題に入りましょう。鳳条家との会食ですが1週間後に設定させていただきました。私もそんなに長くここにとどまる予定ではありませんので」
澪が軽くうなずく。
「そして、会食の内容ですが。表向きは将来のビジネスについてとのことですが」
一口、雅臣がコーヒーを口に含んだ。
「澪さんと蓮くんの婚約の話に移るでしょう」
婚約。
真人はその言葉を反芻する。
名家なら、婚約はあり得る話だろうとは思っていたが、相手があの蓮だとは。
1ヶ月ほど前に夜会で手を貸してくれた蓮を思い出す。
澪を昔から知っている蓮だからこそ、両家とも前向きに検討することができるのだろう。
「澪さんはどう返事をされますか?」
雅臣が澪を見た。
この部屋にいる3人の視線が澪に向けられる。
「……久世家として、お父様の判断に従いますわ」
淡々と感情の籠らない声で澪が答えた。
それ以上でもそれ以下でもない。
自分の意思はないのか。
それとも、意思を伝えることすら許されていないのか。




