第41話 狂気の黄色
澪は鋭く綾瀬を睨みつけた。
「澪さん、そんな顔も素敵だよ」
綾瀬は澪を押し倒したまま恍惚とした表情で見つめてきた。
時は少し遡る。
◇
真人が半ば強引に夢乃に連れて行かれてしまい、小さくため息をつく。
ついさっき、傍にいて欲しいとお願いしたばかりなのに。
真人を探せば、夢乃に腕をとられて抜け出せそうにもない。
ため息1つついて、澪は来栖の後を歩いた。
今は真人よりも久世家の仕事をしなくてはいけない。
雪代からリークされた綾瀬製薬の名前。
裏取りができるのはこの夜会のタイミングがベストだと判断した。
――綾瀬製薬が異能事業に着手していると情報があります。
異能の旧家ではない綾瀬がどの程度の知識を保有しているのかも把握しておかなければ。
久世家として、異能の旧家の筆頭としての役目を果たさなくてはならない。
急なことで準備もままならないことを懸念しつつも、好機を逃すわけにいかなかった。
来栖は喋ることなく、澪をVIPルームの中へと促した。
後ろのドアはすぐに来栖によって閉められた。
「……み、み、澪さん、来ていただけて、こ、光栄、です」
ソファーに座っていた綾瀬が立ち上がった。
「わたくしもお話したいと思っておりましたの」
相手は警戒しつつもにっこりと微笑む。
「ど、ど、どうぞ!す、座って、くださいッ!」
綾瀬が吃りながらも対面のソファーを勧めてきた。
「ありがとうございます」
一礼し、ソファーへと腰掛ける。
「はぁ……、笑った……ぼ、ぼ、僕に笑って、くれた!」
すみません。と綾瀬は懐から薬を1錠取り出し口に含んだ。
そのまま、センターテーブルに置かれていたグラスで飲み物を煽れば、喉元がゴクリと大きく動いた。
「どこかお加減が?」
「……いえ、貴女を前にすると僕、興奮すると心拍数が上がっちゃうんです。澪さんを見ると理性が飛びそうになるので」
さっきまでの吃りが一切なくなった。
さらには余裕のある笑顔までも見せてくる。
そんな即効薬、聞いたことがない。
「そのようなお薬があるのですか?」
「えぇ、綾瀬製薬が総力を挙げていますので」
吃りがなくなったとはいえ、綾瀬から見えるのは変わらず黄色の喜びばかりだ。
「さすが綾瀬製薬ですわ」
綾瀬は返事をすることなく、うっとりと微笑んだ。
「綾瀬さま?」
返事のない綾瀬に澪は声をかけた。
不気味だった。
表情も感情も言葉も、飲んだという薬も。
頭の中で警鐘が鳴り始める。
「澪さんがこの距離にいるって、すごいことだよね。本当に綺麗だ。あれ? 澪さん、怖い? 怖がっている顔も綺麗だし、きっと泣いても綺麗なんだろうな」
この人は何を言っているのだろう。
普通の精神状態ではない。
危険だ、澪は立ち上がってドアへと意識を向ける。
「綾瀬さま、お加減がすぐれないようですので、本日はこのあたりで失礼いたしますわ」
ドクン、と心臓が揺れるほどの緑の不安の感情が綾瀬から押し寄せてきた。
「ダメだ、ダメ。澪さんを外に出したらダメ。だって、澪さんは名前も呼んでくれた。優しいんだ。特別な人なんだ。
こんな人、外に出しておいたら駄目だ。みんな欲しがる。
奪われる。傷つけられる。……僕が守らないと。」
小さくブツブツと声が聞こえた。
徐々にその声は大きくなり、強い意志の瞳が澪を捉える。
澪はソファーから立ち上がった。
逃げるように早足でドアへと向かう。
ドアノブに手をかけた。
——開かない。
ガチャガチャとドアノブを動かしても鍵がかけられているようで開けることができない。
ドア横にはカードの差込口があった。
カードを探そうと、 振り返れば綾瀬が微笑んだまま近づいてくる。
「澪さん、今は外に出たらダメだ。そんな綺麗なドレスのままだと危険だよ」
逃げ道がなく、ドアを背に澪は綾瀬を見た。
狂っていない……。
綾瀬が、さっきの薬でおかしくなったのかと思ったが、その気配がない。
感情もずっと喜びの黄色があふれているのは、全て善意で動いているから。
「そうだ、澪さんにお渡ししようと思っていたプレゼントがあったんだ」
綾瀬は澪の目の前で足を止め、懐を探り、1つの箱を出す。
「さっきから気になっていたんだけど、そのネックレス……嫌なんだよね。他の男の気配がするっていうのかな……」
パカっと蓋を開ければそこにはダイヤモンドがあしらわれたチョーカーが納められていた。
「綺麗でしょう? 澪さんにぴったりだと思うんだ。大粒のダイヤモンド綺麗だよね。それに、このチョーカーにGPSも搭載させておいた。これで、澪さんがどこに行っても僕は守ってあげられる……」
そう言うと、一歩近づいてきた。
「……冗談が過ぎますわ、綾瀬さま」
綾瀬は澪との距離を詰めて足を止め、ネックレスに指をかけた。
「やっぱり、これは澪さんには似合わないよ」
プチンと綾瀬がネックレスを引っ張れば呆気なく千切れて後ろへと放り投げられる。
「……ッ」
プチン、と音を立ててネックレスが千切れた。
その感触と同時に、胸の奥で何かが軋む。
あの日、真人と選んだネックレス。
「……真人さん」
思わず声が漏れた。
——隣にいてほしかった。
「……ここで他の男の名前を呼ぶんだ、澪さんって。大丈夫だよ、澪さんは優しすぎるから、僕が守ってあげるから。誰にも会わせないことだってできるから」
支離滅裂になっている。
そう思うほど、綾瀬の思考が読めなかった。
首元に綾瀬の手が伸びてきた。
「結構です、わたくしには不要のものですわ」
チョーカーを手にしている綾瀬の手を払えば、チョーカーも床へと落ちていった。
ピタリと空で綾瀬の手が止まる。
「チョーカーはお気に召さない? 一級品のシルクで作っているんだ。だから大丈夫、似合うよ」
綾瀬が足元に落ちたチョーカーを拾うために屈んだ。
その隙に、澪は部屋を見渡し、状況を確認する。
出入口は背後のドアだけ。
来客のプライバシーを守るため、室内に監視カメラは見当たらない。
スマートフォンをカバンから取り出し手にすると、指が止まる。
「スマホは、使えないよ。澪さんとの時間を邪魔されたくなかったからさ。ちゃんと通信できないようにしておいたんだ」
綾瀬は無邪気に笑った。
澪はスマートフォンへ視線を落とす。
画面右上には『圏外』
その二文字が、逃げ道のない現実を静かに突きつけていた。




