第38話 苛立ちと笑顔
「すみません」
人の間を縫うように、真人は澪へと足を進める。
澪が話しているのは、どこかの男。
その横には年配の女性がいることから親子であることが伺えた。
――チッ。
澪と話している母親の横で息子の鼻の下が伸びているのも気に食わない。
「そうですわね、ご子息も大学をご卒業してこれからの活躍が楽しみですわ」
澪が微笑むと、母親は目を細めた。
「まあ、お嬢様にそう言っていただけるなんて! この子は昔から本当に優秀でございますの。成績も常に上位で、海外留学のお話もいただいておりましたのよ」
「母さん……」
「遠慮することありませんでしょう? 久世様にはちゃんと知っていただかないと」
息子は照れたように笑いながらも、母親の言葉を否定はしない。
「おほほ。澪様のようなお嬢様に見初めていただけたら、この子も幸せですこと。あとは若い二人でお話しなさいな。この子、とっても誠実ですの」
母親がその場を離れた途端、残された息子は澪との距離を半歩詰めてきた。
その姿は面白くはなかった。
夢乃とのやり取りがまだ胸に引っ掛かっている。
そのくせ澪は一度もこちらを見ない。
さらには相手の男からの下心も見て取れる。
「澪さん、ここに……」
相手の男が手を伸ばして澪の髪の毛を触ろうとしてきた。
思わず後ろで控えていた真人がとっさに前に出る。
「時間だ」
触らせるつもりはない、鋭い目で相手を睨みつければ、男の手はそのまま宙で止まってしまった。
「あら、真人さん。もうそんな時間なの?」
真人に声をかけられた澪の瞳が真人をとらえた、わずかにいつもの焦げ茶よりも赤みが帯びている。
「……いくぞ」
その瞳が物語るのは、“追憶”を使ったという事実。
澪の手を取り、相手の男から離す。
「ちょっと、ご挨拶できてないわ」
「いらねぇだろ、あんな奴に気ぃ使う必要ねぇ」
ムスッと真人は人の少ない壁際へと澪を連れて行く。
途中でミネラルウォーターを持っているウエイトレスから雑にグラスを受け取った。
「お前は一人ひとり丁寧にしすぎだ、あんなのテキトーにあしらえ」
どうみても久世家に媚びを売りたい格下でしかない。
ほら、とミネラルウォーターのグラスを手渡す。
「あと、また目を使ったろ」
「……軽くよ、ちょっと気になったのよ、あの家が寄付金を渡しているらしいの」
真人から視線をそらすようにいう澪に対して、真人は澪の額をごつく。
「バカ、それで倒れちまうんだろうがよ」
「痛いわ」
ムスッと澪が真人を見れば、瞳に自身が映る。
「……何をそんなに苛ついているのよ?」
「苛ついてねえ」
分かっている、何かには苛ついていし面白くない。
その原因がさっきまで話していた夢乃なのかすらもわからない。
ただ、ムカついている。
それに、澪には苛つきの色が視えていることすらも癪に障る。
「……視んじゃねぇよ」
真人は自分の苛立ちを視られたくなくて、澪の目を片手で覆った。
「ちょっと、真人さん?」
「うるせぇ、少し休んでろ」
澪の眼を休ませるというのは口実だ。
自分の感情の色を見られたくなくて真人はまた舌打ちをする。
「……倒れられたらこっちが困るんだよ」
1カ月に一度は目を使いすぎて倒れていると聞く。
真人が会場を見渡せば、澪が次に話すべき対象である雪代家が近くに来ていた。
「いけるか?」
昨日までに確認した参加者名簿の重要リストの一番上にいた四大名家の1つの雪代家次期当主、雪代慶介が近くを歩いていた。
「大丈夫よ? 真人さんが近くにいてくれるのでしょう?」
顔から手を外せば、澪はまた次の相手である、雪代慶介を見据えて真人ににっこりと完璧な笑顔を見せる。
「次は近くにいる。それにどっか行っても、すぐ見つけてやるよ」
ニヤッと笑って手を差し出せば、澪が手をそっと添えてくる。
夢乃に邪魔はされたくない、夢乃の位置を確認すれば他の令嬢と楽しそうに会話をしていた。
「朝倉さん、真人さんのこと気になっているのね」
「いい迷惑だ」
さっきまでの夢乃との会話を思い出してげんなりしてしまう。
それでも気持ちは切り替える。
◇
「雪代さま」
澪が声をかけると、男性が振り向いてきた。
「久世のお嬢様、久しぶりです」
雪代慶介。
代々政治家を輩出している四大名家の1つであると、榊が言っていた。
真人は頭の片隅にあるこの40代ぐらいの男、雪代慶介の情報を思い出す。
「まもなく政界進出と伺いましたわ」
「さすが、久世ですね。情報が早い」
「お父様に代わって、防衛大臣の任につくように取り図られているとか」
にこやかにする内容ではないのは確かだか、気にすることなく攻めていく澪。
いずれは総理大臣の地位も狙う一家だとかも榊が言っていた。
物腰柔らかそうな人ではあるが、裏では何を考えているのかわからない。
政治家とはそういうものなのだろう。
「私はまだまだですよ。それよりも、久世家が私に何か御用事が?」
謙遜と同時に相手も踏み込んでくる。澪と雪代の間の空気が変わる。
「祖母からの伝言を預かっております、例の件で何か情報があれば知りたいとのことですわ」
雪代の目が細くなった。
「久世のお嬢様は何をご存じで?」
「祖母の仕事を全て引き継ぐように言われておりますの。例の研究所は雪代家の管轄でございましょう?」
「恒様は何故、あなたに?」
「祖母はもう目が見えておりませんから」
「世代交代ですか」
雪代が息を吐き一歩、澪に近付いた。雪代がボソボソと澪に耳打ちをすると、一礼して離れていった。
澪もその背に一礼し、何事もなかったかのように喧騒へと戻る。
「おい、何の話を……」
真人は思わず言葉を止めた。
あまりにも澪の顔が険しかった。さっきまで誰に対しても崩さなかった、あの完璧な笑みが消えていた。
そこには、真人が一度も見たことのない表情があった。




