第29話 庭園の宴
9月吉日。
天気は快晴。
自分の腕を取り、歩く澪は会場全ての視線を掻っ攫っている。
歩けば、誰かの視線が追いかけてくる。
男たちの息を呑む声。
女たちの羨望の眼差し。
全ての視線をものともせず歩く横にいる澪が誇らしくも思う。
「真人さん、緊張してるの?」
ふふっと自分にだけ聞こえる声で澪は微笑んだ。
「うるせー……」
緊張しないわけがない。
自分の腕に置かれている華奢な手を護るためにいるのだ。
横目で澪を見た。
シャンパンベージュのドレスは、陽光を浴びるたびに繊細な刺繍が淡く煌めき、歩みに合わせてスカートが柔らかく揺れる。
肩から鎖骨にかけては上品に肌を覗かせ、首元には小粒のダイヤモンドとアメシストを散りばめたネックレス。
長い黒髪はゆるやかにまとめられ、左肩へと流されている。
銀細工に淡い紫の花をあしらった髪飾りが、澪らしい控えめな華やかさを添えている。
これほどまでの美貌を見せつけるように歩く澪に気が気じゃない。
「ねぇ、真人さん。やっぱり紫が似合うわ」
嬉しそうな澪の声に少し耳がほてる。
「そうかよ」
「あちらのご令嬢、真人さんをずっと見てるもの」
澪の言うほうへ視線を向ければ、一人の女性と目があった。
「……興味ねぇ」
視線はすぐに外す。
思いの外、周囲からの熱い視線には興味がない。
自分へ向けられる視線などどうでもいい。
それよりも、澪に向けられる羨望の眼差しのほうが、なぜか誇らしかった。
そんな誇らしさも長くは続かなかった。
「久世様、今日はお会いできて光栄です。何ともお美しい」
「久世様、本日はお日柄もよく。ぜひともこの後にお時間をいただけますかな」
「久世様、いつもに増してお美しいですな」
「久世様!」
ようやく澪と話したいと取り巻いていた第一陣が過ぎ去ったとき、真人はようやく息をつく。
真人にも周囲を見る余裕が出てきた。
ガーデンパーティーの入口から全体を見渡せば、色とりどりのドレスを着た女性とタキシードを着た男性が談笑している。
周囲にはコックらが立食パーティー用に肉や魚を調理している。
ウエイトレスは飲み物を運び、ホールスタッフは客の動きに目を光らせている。
一角には弦楽四重奏の生演奏が絶え間なく流されていた。
「すげえな」
周囲を見渡して真人は圧倒されていた。
その言葉に応えるように澪は言葉を返す。
「鳳条の50周年ですし、力を入れられているホテルのパーティーだから、この程度の規模はよくある話よ」
よくある話、そういわれると今までの生きてきた世界と異なるものだと痛感させられる。
現に澪は涼しい顔をしている。
「真人さん、お仕事もだけど鳳凰グランドホテルのお料理は格別なの。せっかくだから食べに行きましょう?」
澪がにっこりと真人の腕を取り、軽く引っ張る。
さっきまで周囲に見せていた久世家の令嬢というよりも、普段の家の中で見せる笑顔だ。
自分がいるから気を抜いているのかもしれない、と自負してもいいのかもしれない。
「わかったから、引っ張んな」
傍から見れば、真人がエスコートしているように映るだろう。
実際には、真人は澪に引っ張られるように料理の並ぶ方へと足を進めている。
料理が並ぶエリアに近付くと肉の焼ける香りがしてきた。
腹が鳴るのは自然の摂理だ。
「ふふっ、もうお腹すいたの?」
澪は国産牛のフィレ肉のステーキを一皿手に取る。
「どうぞ、柔らかくて食べやすいわ」
「サンキュ」
立食パーティーとだけあって、食べやすいサイコロステーキを口に含めば、ジューシーな肉汁が溢れる。
「うま」
澪も同じ皿から一つステーキを取り、口へと運ぶ。
「このホテルの料理長はミシュラン掲載をお断りしたそうよ。そんなものに囚われたくないんですって」
へぇ、と相槌を打つ。
金持ちの考えることはわからない。
ミシュラン掲載なんて喉から手が出るほど切望するものではないのだろうか。
それにしても旨い。
普段、久世家の料理に慣れ始めて、舌が肥えてきてはいるがそれにも勝る。
澪は2口食べると、それ以上は手を付けなくなった。
残りはありがたく真人が食べる。
「本当に食わねえな」
最後の一口をさらえて真人は声をかけた。
「真人さんの食べっぷりが気持ちいいから見ているだけで満足だわ」
澪はいつの間にか、ウエイトレスからサイダーをもらい、飲んでいた。
「酒、じゃねえよな」
はい、ともう1つのグラスを真人に渡す。
「当たり前じゃない。仮にもホテルよ?未成年にお酒を提供してくるわけないわ」
スパークリングを見ると思わず疑ってしまう。
「まだ食べられるの?」
「いくらでも食える」
次に食べたいものを探す。
「私のおすすめに行きましょう。ここではいつも食べているの」
澪が笑顔を真人へ向け手を引き、次の料理が乗っているテーブルへ誘う。
澪が連れて行ったのはローストビーフのカルパッチョ。
前菜でありながら、しっかりと肉が乗っている。
「ソースがおいしいのよ」
澪がまた一皿真人に差し出す。
澪の言う通り、ソースと肉の旨みが何とも言えない。
つい2口目に手が伸びる。
「そういや、アンタって好きなものあるのか?」
「私?何でも好きよ?」
にっこりと笑う。
それが嘘だというのは、この3カ月見てきてわかる。
「嘘つけ」
まずトマトは食べない。
「真人さん」
澪がすっと横に手を添え、距離を詰めてくる。
ふわっと澪のいつもの香水が料理よりも近づいてくる。
「ん、だよ……」
思わず身を寄せられて、心臓が跳ね上がる。
「好きなものを言うと、会食でそれしか出てこなくなるの。だから秘密」
身を寄せられて静かに耳打ちをされる。
なるほど、と納得するも距離の近さに「そっか」としか答えられなかった。
◇
料理を楽しんでいると不思議と周囲は話しかけてこない。
それが鳳条におけるガーデンパーティーのルールらしい。
榊が言うには、食事は静かに楽しんでほしいという気づかいだそうだ。
常にここにいればいいのではないかと考えてしまうが、澪にはそういう考えはないらしい。
そこそこに真人の腹ごしらえに付き合った澪は空になった皿を見て微笑んだ。
「護衛だといつも食べられないものね」
「気にすんな、今日は特別だろ」
「そうね、それじゃあ次に行きましょう?」
澪の視線の先には、すでに何人もの招待客が集まる中央の歓談スペースがあった。
そこには、このパーティーの主催である鳳条家当主、鳳条宗則の笑顔がある。
――休憩時間は終わりらしい。




