第27話 無色の男
重たい、瞼が重たくて上がらない。
もう少しだけ……もう少しだけ眠りたい。
「……きろ、まだ寝てるのか?」
……真人さんの声がする。
部屋に入ってきたのかしら?と気になり、ゆっくりと重たい瞼を持ち上げれば、いつもの自室の天井が目に入った。
その横にぼんやりと点滴スタンドが目に入り、左腕に違和感がある。
点滴が左腕に入れられていた。
「目が醒めたか?」
ゆっくりと声の方へ顔を向ければ、そこにいるのは真人ではなかった。
無精髭、ボサボサの髪、くたびれた白衣、気怠そうな態度の男。
「……ゆう、きセンセ」
「お、今回は記憶がしっかりしてるな」
結城からは何の感情の色も見えない。
「覚えているか?」
……覚えている。
綾瀬がエスコートの打診に来栖という男を連れてきた。
そこで手土産のチョコレートを食べた。
「お酒の入ったチョコだったわ」
結城は満足そうに口元を緩めた。
「今回は記憶の混濁はなし」
ただな、と口を噤んだ。
「周囲の感情にやられたな、酒の直後に」
周囲の感情、思い当たるのは真人の強い不安と恐怖。
真人の強い感情が流れ込んできたのを制御できなかったことを思い出す。
さらに、真人の過去の断片まで見てしまった。
少しずつ頭が覚醒してくる。
また、彼に迷惑をかけてしまった。
「真人さんは?」
「そいつは後回しだ」
結城は床に置いてある鞄から無造作に聴診器や血圧計を引っ張り出す。
「その前に、様子見るぞ」
結城が慣れた手つきで診察を行っていく。
澪は診察をされながら、窓の方へ顔を向けた。
綾瀬が来たのは昼過ぎ、今はもう日が沈んでしまっている。
夏は日が長く、空は夜なのに薄明くどこか不気味な色をしていた。
澪は視線を動かし結城を見た。感情の色が見えない。
「ねえ、センセ?今隠してるの?」
「当たり前だ」
結城は診察を終えて手元のタブレットに入力している。
「あー、たく、最近は便利になりすぎて風情がないわ。まぁ、使うんだけどよ」
文句を言いつつ、入力をしていく。
「センセの便利な異能よね」
「それは嬢ちゃんに対してだけだろ」
結城はタブレットから少しだけ視線を上げて澪を見てきた。
「そんじゃあ、感情を出すからしんどくなったら言え」
澪はコクリとうなずく。
結城の視線が澪の瞳をとらえる。
「んじゃ、30%から上げていく」
そう言うと、結城からわずかに淡いオレンジが見え始めた。
いつも通り、結城から見えるのはオレンジ色の関心ばかり。
相変わらず研究対象として自分を見ているのだろうと考える。
昔から結城からは興味関心以外の感情を向けられたことが無い。
「視えるわ」
「次、50%」
さらにオレンジ色の量が増えていく。
結城は澪の変化を観察している。
「65%」
「75%」
感情の量を刻み始める。
本当に便利な異能で羨ましくなる。
結城の異能は『隠遁』。
本人の意思で気配を隠すことができるらしい。
気配を隠せば、澪は感情も自ずと見えなくなる。
ただ、本人自身を消すことはできないから視覚でとらえてしまえば異能の効果はないらしい。
「90%」
ズキ……と目の奥に違和感が走る。
顔を軽くしかめたのだろう、結城からの感情が減っていく。
「85%だな、まだアルコールの影響が残ってるのは間違いないが、明後日には元に戻るだろうよ」
結城は椅子にどかりと座り込み、片手でだるそうに手元のタブレットへ入力し始めた。
「よかったわ、ガーデンパーティーには間に合いそうね」
ほっと安堵の息を吐く。
ガーデンパーティーに間に合わないことが何よりも許されない。
「大変だな、嬢ちゃんは」
ふぃーと診察を終えて、結城は澪の部屋にある一人がけのソファーに体を鎮める。
「センセだって、呼ばれているのでしょう?」
一気に嫌悪感の紫を出してくる。
呼ばれていても結城が行かないのは百も承知だ。
「感情だけで返事をしないで欲しいわ」
紫を見て真人を思い出す。
「真人さんは?」
「さぁな、今頃榊さんにどやされてるだろう」
「叱られているの?」
「そりゃ、来客の胸ぐらをつかんだらアウト」
起きてすぐの報告に頭が痛くなりそうだ。
相手にはお詫びをしなくてはいけない。
ちょうどいいタイミングで、ノックがあった。
榊と仏頂面をした真人が入ってきた。
色を見なくてもわかるぐらい不機嫌だ。
淡くも強い紫色が溢れんばかり出ているのは、よっぽど榊に絞られたのだろう。
「お嬢様、お目覚めになりましたか。肝が冷えました」
「ごめんなさい、軽率だったわ」
「ご無事で何よりです」
ようやく表情が和らいだ榊は澪のベッドへと近づいてくる。
真人は出入り口のドアに静かに立つ。
「結城先生、お嬢様の容体は?」
「アルコールは体内に微量に残っているが、8割ぐらいの回復。ただ、強い感情にだけは気を付けろ、頭痛が起きやすい」
チラリとドアに控える真人へ視線を向ける。
「かしこまりました」
「9年前みたいにならなくてよかったな」
結城は立ち上がり、腰をグーっと伸ばす。
「ちょーっと、一服してくるわ」
ヒラヒラと手を振り部屋を後にする。
「お部屋のご用意もしておきます」
結城の背に向かって榊が一礼する。
部屋には3人が残された。
「お嬢様、よくアルコールに気づいてくださいました」
榊が肩の力を抜くかのように息を吐く。
「私もよく気づけたと思うわ」
口の中からトロリとあふれ出たアルコール入りの蜜を思い出す。
相手には失礼だったが、すぐに吐き出せてよかった。
前のように半月も寝込むわけにはいかない。
「榊さん、この情報が洩れているわけではなく、たまたまなのよね?」
そうであってほしい、そんな願いからの確認だった。
「今、情報部が精査しておりますが、おそらく偶然かと」
偶然が起こるから恐ろしい。
「それでも二十歳が来ていないお嬢様への手土産にお酒入りはお相手の品性を疑いますが」
榊も何か言いたいことはあるのだろう。
「綾瀬さまはともかく、あの来栖という男からはあまりいい感情が見えなかったわ。久世家を手玉にしたいような、優位に立ちたいと思っているような感情がみえたの。警戒人物として共有をお願いするわ」
何かを考えるように澪は顎に手を添える。
「かしこまりました」
澪はこれ以上考えても答えは出ないと顔を上げて榊、そしてドアのところで仏頂面をしている真人を見た。
「榊さん、かなり絞ったのね」
真人の色を見て、フフッと笑いがこみあげる。
「はい、久世家へのお客様に手を出すことなどもってのほかですので」
さらに真人の不機嫌な淡い紫が強くなる。
「本人は、反省はしていないようよ?」
「ちょ、余計なこと言うんじゃねぇ!」
あからさまに慌てる真人に、榊の目が細められる。
「ほう…」
「かなりウンザリしている感情が溢れているもの。榊さんのお話がよほど長かったのね」
真人の反応が面白くてつい追い打ちをかけてしまう。
「それは……、いや、榊さん大丈夫っす。心にしっかり刻んだんで……」
「明日から久世家としてのマナー講習を1時間追加いたしましょう。あとは、感情を露わにしない練習も」
また真人から淡い紫の不機嫌な感情が溢れてくる。
ズキッ……、思わずこめかみに手を添えた。
目の奥に痛みが軽く走った。




