第26話 禁忌の一滴
「おいッ——」
澪が飛び出した後、すぐに真人も追いかけた。
ただならないことが起こっているのは確かだ。
あの完璧な澪に何かがあったのは間違いがない。
追いかければ、澪は応接室から近くの書斎へ入っていった。
真人もすぐに書斎の中へと追いかける。
「おいッ!」
部屋へ飛び込めば、澪が書斎デスクの横に蹲っていた。
「大丈夫かッ!?」
澪の横に膝をつき、顔を覗き込めば瞳が大きく揺れる。
「……ッあ、ま、ひとさん、離れて」
目を硬く瞑る澪を見て、異能に何かが起こったことに気づいた。
「……毒か?」
バッと立ち上がり、書斎から真人は飛び出す。
背後から微かに澪の声が聞こえたような気がした。
それでも足は止められなかった。
応接室に駆け込むと、榊やメイドの制止を聞くことなく、来栖の胸ぐらをつかんだ。
「テメェ、何の毒を入れた……」
「何のことでしょう?」
「アイツが苦しんでんだよ……」
自分でも信じられないぐらいドスの利いた声が漏れる。
「何も知りませんよ」
「じゃあ、テメェか……」
真人は顔を隣に座る綾瀬へ向ける。
一瞬、テーブルに置かれたチョコの箱へと目を向ける。
ヒッ……っと震え上がる綾瀬へ凄みを利かせた瞬間、真人は体が後ろへと引っ張られた。
「……っな」
何すんだテメェと言いかけて口を紡ぐ。
今までに見たことのない恐ろしい顔をした榊が真人の襟首をつかんで綾瀬と来栖を見据えていた。
「お嬢様の調子がすぐれませんので、本日のところはお引き取りを」
有無言わせない強い言葉に綾瀬はコクコクと首を動かすだけだった。
「そのようですね、では我々はここで失礼します。また、ガーデンパーティーでお会いしましょう」
来栖は立ち上がり、綾瀬を連れて応接室を後にした。
「お見送りを」
榊が言えば、一人のメイドが二人に付き添っていく。
「真人さん、お嬢様は?」
「書斎で……」
「真人さんは感情を押さえて、お嬢様の横へ」
「私は結城先生を呼んでから向かいます」
榊が真人の襟首を離し、応接室から出ていく。
一人応接室に残され、数秒。
我に返ると一目散に書斎へと向かった。
◇
「入るぞ」
焦る気持ちを押さえつつ、書斎へ駆け込む。
「おいッ」
澪は蹲っていたところに倒れこんでいた。
なりふり構わず駆け寄り抱き起せば、澪の瞳と真人の視線がぶつかる。
——紅い。
「追憶、使ってんのか?」
なぜ今?
使う必要がどこにある?
真人の心の中に不安と恐怖が押し寄せてくる。
俺の何を見ている——
脳裏によぎる、過去の荒んだ生活。
——見られたくない。
我に返り、澪の頬へと手を伸ばし軽くたたき刺激を与える。
「喋れるか?」
「ちが、う……、離れて……」
澪が弱々しい力で真人の胸を押してくる。
その間も澪は眉間にしわを寄せ、苦しそうに紅い瞳を細めている。
間もなくして、廊下からバタバタと足音が聞こえてきた。
「お嬢様!!」
榊の鋭い声と共に3人の使用人が入ってくる。
「すぐにお部屋をご用意します。真人さん、お嬢様をお連れしてください」
テキパキと榊が指示を出し始める。
「ゴミ箱の中身も回収して結城先生へ回してください」
「応接室の手土産の箱も一緒に」
真人はその声を聞きながらゆっくりと澪を抱き上げる。
真人は澪の膝裏へ片腕を差し入れ、もう片方の腕を華奢な背中へと回した。
澪を胸元へ引き寄せるように抱え直すと、苦しげな澪を揺らさないようにしっかりと抱きとめ、書斎を後にした。
◇
自室のベッドへと澪を下す。
後ろからついてきていた使用人たちが真人を押しのけるようにベッド周辺を整え始めた。
そこには点滴の用意もある。
「なぁ、何が起こってるんだ……」
「榊様より説明があるかと思います」
手を止めることなく、使用人は動き続ける。
——んだよ、それ。
自分だけ何が起こっているのかわからない状態に苛立ちが募ってくる。
澪が薄目を開けて真人を見ているのに気づいた。
「おい、大丈夫か」
それでも澪は眉間にしわを寄せるだけだ。
「はいはーい、そこのおにーさんちょっとうるさいね。出て行って」
突如として後ろから声が掛けられる。
気配もなく現われた存在に思わず身構える。
「何者だテメェ……」
今日はわけわからない来訪が多すぎる。
急に現れた存在に、鋭い視線をぶつける。
サンダルに、ヨレヨレの白衣を着ているだらしない男がポケットに手を突っ込んだまま入ってきた。
「勝手に入ってくんな」
「威勢だけはいいんだけど、ちょっとお嬢ちゃんには刺激が強いなァ」
ポリポリと頭をかく白衣の男は、真人を指さした後、使用人に指示を出した。
「コイツ、放り出して」
「わかりました」
使用人2人が真人を部屋から押し出す。
「お、おいッ」
押し出される真人ににっこりと手を振る白衣の男。
あの野郎と2人きりになるのは危険すぎる。
使用人を振り払い、部屋へと引き返す。
「おっさん、何のつもりだ」
「……新しい護衛君は、青いねェ。だけど、うるさいんだよ、感情が」
同じぐらいの身長のはずなのに、どこか見下ろされている感覚になる。
本能が、敵わないと告げる。
「何を言って……」
「うるせえから出て行けってんだ、クソガキ」
「真人さん、ここは失礼します」
使用人たちが二人がかりで真人を羽交い絞めにし、部屋の外へと連れ出していく。
「離せ、まだ話は終わってね!」
無慈悲にも澪の自室のドアはバタンと閉められる。
「っざけんじゃねえ」
真人の怖い顔に震え上がる使用人たちはおずおずと下がっていってしまう。
◇
真人は仏頂面で榊の執務室のソファーに座っている。
目の前には榊が真人をじっと見つめていた。
「んだよ、話って」
澪のことが気になって仕方がない。
「……真人さん、これからお話しすることは他言無用の重大な機密内容になります」
榊が一拍、口を閉ざす。
「このことを知れば、真人さんは久世家から離れることができません。それでもお嬢様に関する重要な内容でございます」
離れられないほどの重要な機密内容。
頭の中で復唱する、さっきの澪が倒れたこととどう関係するのかが全く分からない。
「お嬢様は、現在急性アルコール中毒と同じような症状になっております。さらに、アルコールを摂取してしまったことで、異能の制御ができていない状態でございます」
「異能の制御ができない…?」
視線が絡み合ったときの紅い瞳は、澪が使いたくて追憶をしたわけではないのかもしれない。
「はい、異能の制御ができないとなると、周囲の感情が全てお嬢様の眼に流れ込んできます。普段はご自身で制限をしていらっしゃるようですが、それができないとなるとかなりの負荷がかかってしまいます」
思い返せば、真人は澪が倒れてから気持ちが抑えられていなかった、気がする。
倒れたことによる、不安、心配、苛立ち、焦り……。
さらには白衣を着た男に追い出されるときの怒り。
つまり、真人の揺れる感情全てが澪を苦しめていたのかもしれない。
「先ほど、お呼びしたのは主治医の結城先生です。彼に任せておけば、大丈夫でしょう」
榊が最後に目を閉じて言う。
「お酒が一滴も飲めないこと、今後護衛としてお気をつけください。特にガーデンパーティーでは今日来られていた2人に見られております」
懸念すべきことが、ガーデンパーティーで起こらなければいいが……。
一抹の不安を胸に執務室には日が落ちていく。




