第25話 甘い罠
ガーデンパーティーまで残り10日。
ドレスとタキシードもそろい、準備は整っていた。
真人が渡した翌日からタイピンを付けていることに気づき、嬉しくなる。
真人からも黄色い喜びの感情が見える。
それでも顔には出さないところが真人らしい。
連日の榊のマナーレッスンにもある程度の評価ももらえているとも聞いた。
「これに目を通して、覚えられるだけ覚えておいてくれる?」
「んだよこれ」
マナーレッスン以外にも覚えることが増えるということに眉間にしわが寄っている。
「ガーデンパーティーの参加者リストが届いたの、話すべき人には印をつけているからそこは抑えていておいて」
真人がパラパラとめくると手が止まった。そこには「綾瀬智秋」に印がつけられている。
レセプションでどもりながら二度も話しかけてきた人物。
その者が、昼過ぎにまさか来訪してくるとは思ってもいなかった。
◇
応接室に通されたのは、綾瀬智秋とその友人と名乗る男。
突然の来訪ということもあり、屋敷中は歓迎ムードとは程遠かった。
応接室で待たせている間、澪は榊と話しながら準備をする。
「友人という人の身元がわかりました。来栖アキラ、どうも、新薬を開発している研究者のようです」
「綾瀬様の会社の方なのね」
「お若いながらかなり優秀な人材のようでございます」
カーディガンに袖を通しながら澪は応える。
「なぜそのような方をここに連れてこられたのかしら?」
「その真意は定かでは……」
澪も珍しく眉間にしわが寄る。
「お嬢様、“追憶”だけはどうか……。来週末にはガーデンパーティーが控えております」
「知っているわ、万全ではない状態でパーティーに出たくはないもの」
澪は小さくため息をつく。
「行きましょう、真人さん」
榊と澪の話をドアのそばで聞いていた真人は、寄りかかっていた壁から背中を離す。
「おう」
榊は一礼して、二人を見送っていた。
◇
「お待たせいたしましたわ、綾瀬様。レセプション以来ですわね」
澪は優雅に応接室のソファー、綾瀬と来栖の対面へと座る。
真人は応接室の出入り口で控えるように立った。
鋭く双眼を綾瀬と来栖に向ける。
「あ、あ、あの、お時間、ありがとう、ご、ございます!!」
「私は来栖アキラと申します。綾瀬製薬会社で研究員をしております。急な来訪でもお会いできて光栄です」
綾瀬とは対照的に落ち着いている来栖。
年齢も20代後半で綾瀬と同年代だろう。
来栖は名刺を懐からだし、差し出してきた。
「お初にお目にかかります、久世家長女の澪と申します」
澪も丁寧に頭を下げ、「頂戴いたしますわ」と手を伸ばす。
名刺を受け取ろうとしたとき、わずかに来栖と手が触れた。
——ピリッ
わずかに静電気がパチンと来た。
思わず、動きが止まってしまうが澪はすぐに名刺を受けとる。
「その若で研究員とは、きっと優秀な方なのですね」
「ははっ、ありがとうございます」
来栖も気にしていないのか、差しさわりのない会話に返答する。
それに、謙遜しないところを見ると、よほど自信があるのだろう。
「こちらよろしければ、お口に会えばよろしいのですが」
来栖が綺麗な小さめの紙袋を応接室のテーブルへ置いた。
来栖は中に手を入れ、小さな箱を出す。
「銀座で人気のチョコレート専門店のものになります」
箱を開けるとつややかな茶色に金箔が施されたトリュフが顔を出す。
「まぁ、お気遣いありがとうございますわ」
「ぜひ、今日のお話に花を添えようと思ってのチョコレートですので、お召し上がりください」
来栖はそのままテーブルにチョコレートを置いた。
「ふふっ、ありがとうございます。ところで、今日はどのようなご用件でいらっしゃったのですか?」
チョコレートには手を伸ばさず、澪が本題へと切り込んでいく。
「あ、あ、あのっ、僕と、ガーデンパーティーに…」
あぁ、エスコートの打診にまた来たのかと内心ため息が出る。
「いかがでしょうか、澪様のエスコート役にわが社の智秋は?綾瀬製薬も今は右肩上がり、そこに久世家の支援があるということも悪くない印象を与えることができると思います」
なるほど、この男を連れてきたのはどもる綾瀬の橋渡し役なのか。
「レセプションでもお伝えした通り、すでにエスコートは決まっているのです。申し訳ございませんわ」
レセプションの時はハッタリだったが、現在は真人と行くことになっている。
嘘はついていない。
あからさまに落胆する綾瀬。
「どなたにエスコートをお願いされたのですか?」
来栖はずかずかと踏み込んでくる。
「それは、当日のお楽しみですわ」
にっこりとそれ以上踏込まないように牽制をする。
護衛に頼んだなどといったら、付け入る隙を与えるだけだ。
「お相手の方は、綾瀬よりも名家なのでしょうか。エスコートを頼むのです、澪様の品格を落とさないものがするべきかと思いますが」
なかなかしぶとい男だ。
後ろから真人の嫌悪感の紫がひしひしと伝わってくる。
「家柄では決めませんわ。その程度で久世の品格が落ちることもございません」
澪は手元のカップに口を付けた。
喉が渇く、この来栖という男と話すのは気を遣ってしまう。
「さすがは澪様だ」
距離が近い物言いに澪はわずかに眉を寄せる。
「来栖さまもガーデンパーティーに参加をされるのですか?」
「ええ、智秋と一緒に」
「では、会場でお会いできますわね」
ガーデンパーティーでの立ち回りを考え直さなくてはと来栖を見て思う。
綾瀬からは常に濃い黄色の歓喜が見えている、よほど澪に会うのが嬉しいのだろう。
対して、来栖からはオレンジ色の関心とわずかな黄緑と緑の服従の感情が見える。
——久世家への興味が強いのかしら?
久世に対して優位に立ちたいと思っているのだろうか。
「そうですね。では、一曲目のダンスを智秋とはいかがでしょうか?」
エスコートは引き下がるが、他の代案を出してくるあたり引く気はなさそうだ。
「ダンスですか……。綾瀬さまはお得意でいらっしゃるのでしょうか?」
「え、あ、いや……そんなには……」
「それなら無理になさるものでもありませんし、会場でお話しできるのを楽しみにしておりますわ」
何とか回避できただろうか。
来栖を見ると、苛立ちの淡い赤が綾瀬に向かっている。
そんなことに気づかないのか、綾瀬は話しかけられて頬を赤く染めている。
「あ、あ、あの、チョ、チョコレート……召し上がって、くださいっ」
さすがに手土産を断るわけにはいかない。
「ありがとうございます、ではおひとつ頂きますわ」
澪は金箔のあしらわれたトリュフを一つ手に取った。
本来なら、応接室で持参されたものを食べるのはあまりしない。
口に運び、トリュフを口に含む。
滑らかな甘いチョコがほんのりと溶け出す。
カリッと表面を割れば中からトロッと蜜が溢れてくる。
甘い……、次の瞬間だった。
「——ッ!!!!」
澪は勢いよく立ち上がる。
綾瀬と来栖がいるにもかかわらず、口元を押さえ、すぐさま応接室を飛び出した。
「おいっ!!!」
後ろから真人の緊迫した声がするが気にしていられない、急く足で自室へと急いで向かった。




