第15話 久世の目
コンコンコン
真人と澪の話が落ち着いたところで、部屋のドアが鳴る。
入ってきたのは榊だった。
澪が起き上がっているのを見て安堵した表情を見せる。
「お嬢様、お目覚めになられたのなら一声おかけください」
それと、と榊は言葉を切る。
「お嬢様、申し訳ございませんが、あと30分で恒様――大奥様がお見えになるとのことです」
「お祖母様が?」
「はい、どうやら昨夜のことがすでにお耳に入ったようで」
榊の表情が少しだけ曇った。
◇
30分後ぴったりに澪の書斎には恒がコーヒーを片手に鎮座している。
きっちりと着物を整え、腰は真っすぐ伸び凛とした姿勢は澪の仕事の時の雰囲気を彷彿させる。
真人は壁を背に澪が恒と対面するのを見守った。
ネグリジェ姿からワンピースへと着替えた澪もまた恒と同じように凛とした雰囲気を纏う。
コーヒーカップをソーサーにカチリと戻した恒は澪をじっと見た。
「まだ本調子ではないようですね」
「申し訳ございません、お祖母様」
澪の小さい背中がさらに小さく見える。
「……情けない。『久世の目』は貴女以外にいないのです、その自覚をしっかりとお持ちなさい。
“追憶”を2度も使うことで反動があることもわかっているのでしょう」
恒はため息をつく。
真人は恒の言葉を反芻した。
追憶を2度――。
いつだ?
一度は会食で使っていただろう。
もう1回、どこで使う場面があった?
真人は頭をフル回転させる。
――紅い瞳。
藤堂を真人が取り押さえた時が思い出される。
まさかあの時に藤堂の過去を見たのか?
真人が思い出している間、恒の説教は続いている。
「断るのであれば、相手に付け入る隙を与えてはなりません。何のための“目”を持っているのですか。臨機応変に使いなさい」
「はい……」
澪の声が小さく震える。
「はぁ……。
『久世の目』として貴女が倒れれば、家が回りません。早く体調を戻しなさい」
恒があからさまな落胆のため息をつく。
「まぁ……、いいでしょう。では今の調子で今後も頼みますよ」
15分ほどの説教を終え、恒が立ち上がれば、澪も立ち上がり一礼をする。
恒の視線が真人に注がれた。
「……久世家の護衛として澪を守りなさい。次はないと心に留めておくように」
「っす」
ふん、と鼻を鳴らして恒は部屋を出た。
◇
「おい、言い返せよ。あんなに好き放題言われて悔しくねぇのか」
澪がドアを閉めるやいなや真人は澪に食ってかかる。
「……無理よ、お祖母様には逆らえないわ。それに今回は私が未熟だったせいでもあるもの」
ドアの前で返事をする澪に真人は畳み掛けた。
「んなわけあるか、会食だってうまくいったんだろ?藤堂だってただの逆恨みじゃねえか。
アンタのどこが悪かったんだよ」
澪が振り返り真人を見た。
すべてを見透かすような瞳が、物悲しげに揺れる。
「ごめんなさい、嫌な思いをさせてしまったわ。」
真人の問いには答えず、澪は目を伏せソファーへと戻っていく。
「そういうことじゃねぇ、何なんだよあれは。アンタのこと何も見てねぇじゃねーか!」
「……そういうものよ。これは久世の、私の問題だから」
真人は自分の前を通り過ぎる澪の腕を掴み歩みを止めさせた。
腕をつかみ、少し引っ張ると、澪の体が真人の方へと向く。
澪の顔を真人がみた。
……青い。
否、青白い。
「アンタ……。まだ体調悪いのか?」
よく見れば、冷や汗も額に軽くにじんでる。
「大丈夫よ」
澪が真人の手を振り払おうとするも、その腕にはほとんど力が入っていない。
昨夜もフラつき青白い顔をしていた。
今朝も起きることなく昼過ぎまで自室で休んでいた。
そして今、また青白い顔をして冷や汗までにじんでいる。
そういうことか、昨夜からおかしかったのは異能のせいか。
書斎の窓に梅雨の冷たい雨が打ち付ける音だけが響く。
真人と澪は視線が交わるも、澪は何も答えない。
澪の瞳は相変わらず、強くてすべてを見透かしているようだった。
1つ、小さく舌打ちをすると、澪の腕を引っ張りそのままソファーへと座らせる。
「ちょっと、何?」
「座れ。いや、寝ろ」
真人は有無を言わさない声で言い放つ。
「何が大丈夫だ、冷や汗出てんじゃねえか。
アンタのこういうクソみたいな大丈夫は信用できねぇ」
驚いたように目を見開く澪に、真人はジャケットを脱ぎ無造作に、だけど優しく被せた。
「寝てろ、どうせ自室戻ってもタブレットで仕事すんだろ」
ベッドの上にあったタブレットはきっと仕事だろう。
それなら自分が見張っていたほうが断然いい。
「……じゃあ、少しだけ」
限界を迎えていた体に、真人の真っ直ぐな言葉が染み込んだのだろう。
澪はそれ以上は抗おうとせず、ゆっくりとソファーに身を預ける。
よほど限界があったのだろう、気づけば澪は書斎のソファーで、小さく丸くなって眠ってしまった。
◇
榊を呼びつけようか悩んでいると、榊がちょうど入ってくる。
「眠られましたか」
「おう」
「恒様も今、ご帰宅されました」
榊は澪のデスクに一通の封筒を置いてから、澪を見る。
「あのばーさん、いつもあんな感じなのか?」
「大奥様でございます、真人さん」
敬称を正し、榊は言葉を続けた。
「恒様はお嬢様の教育を幼い頃よりしておりました。それゆえに厳しく当たることが多々あります」
真人が言わんとしていることを榊はすぐに察したのだろう。
「何か思うところはありますでしょうが、この家では大奥様だけでなく旦那様もでございます。
久世家にとってお嬢様は……、お嬢様である前に『久世家の目』なのです」
恒も言っていた『久世家の目』。
人ではなく、異能だけを見ているような言葉だ。
「“目”を持つからこそ、大奥様はお嬢様へ厳しいお言葉をかけられます。それは期待しているからこそなのですが」
榊にも思うところがあるのだろう。
「この屋敷には、お嬢様として見る人間は少ないのです。使用人たちですら『久世家の目』として見ている者も多くいます」
「その『久世家の目』って何なんだよ?」
「異能を持つ“目”のことです。100年に一人ほどしか異能をもって生まれてくるかどうか……。
その“目”を宿したのがお嬢様だったのです」
これ以上、目について榊が語ることはなかった。
ただ真人がわかったのは、この屋敷で澪を澪として扱っているのは榊ぐらい。
血のつながった家族からも異能者として見られていることに違和感を覚える。
口を閉じて考える真人に榊は一言だけつけ足す。
「お嬢様は誰かに頼ることをされていません、苦しいことも言いません。
お嬢さまが話すときがくれば、それはお嬢様ご自身が話そうと思われた日でしょう。
その時のお相手は、私ではないのでしょう。」
真人は榊の言葉の意味が分からなった。
だが、その静かな口調だけは妙に胸に残った。




