第14話 覚悟の先に
翌朝、真人は普段よりも少し早く目が覚めた。
スマホを見ればアラームが鳴るよりも15分ほど早い。
疲れていたはずなのに、寝起きでも体が重たいのは考えすぎていたからだろう。
昨日のことが頭から離れない。
「……チッ」
昨夜の会食後に起こった襲撃で、護衛対象である澪に守られた。
腕に傷を残してしまった。
自分の未熟さに舌打ちが漏れる。
ベッドから起き上がり、シャワーを浴びる。
頭からシャワーを浴びながらも、思考が止まることはない。
(なんで助けた……)
アイツはなんで俺を引っ張った?
気にせず一人逃げればいい。
護衛にまで気に掛ける必要はないはずだ。
そして、あの紅い瞳——。
あの紅い瞳を見た瞬間、世界が一瞬止まった感覚を思い出す。
アレに魅せられていた——。
あの瞳が常に真人にまとわりついてくる。
あれはなんだ?
異能なのか?
この屋敷に住み込みで護衛を始めて1週間。
真人自身のルーティンも出来上がってきていた。
朝シャン、筋トレ、食堂で朝食、その後澪の書斎。
思考は止まらなくとも、無意識に体は日々をこなしていく。
何を食べたのかも覚えていないが、足は書斎へと向かっていった。
書斎のドアの前に着く。
ノックしようとした手が止まった。
なんて声をかけたらいいんだ……。
まずは怪我の具合を聞いて、謝らなければ。
自分のせいで怪我をさせたのだ。
そのあとは?
あの紅い瞳のことを聞いてもいいのだろうか。
◇
「真人さん、おはようございます」
ドアの前で固まっていると、廊下の奥から榊に声をかけられた。
「榊さん、……っす」
「お嬢様は、今日はまだお休みになられていますので」
つまり、ここにはいない。
「そっすか」
ノックしようとしていた手を下す。
「何か気になることでもございますか?」
真人の気持ちを汲んで聞いてくるのは、長年久世家に仕えるベテランの気遣いだろう。
「……アイツの腕の怪我」
あぁ、と榊は表情を少しだけ和らげた。
「問題ございません。おそらく傷も時間が経てば目立たなくなります」
そうか、と真人はそれだけを答える。
「真人さんもお疲れでございましょう。
お嬢様は自室で、お昼過ぎまでお休みになられると思いますので、ゆっくりなさってください」
まだ何か言いたげな真人の横を榊は一礼して通り過ぎて行った。
真人はその背中を見送り、重い足取りで自室へと戻った。
時間と言うものは、思いのほかゆっくりと進んでいくものだ。
度々、時計に目を向けるも針はのろのろと進んでいくばかり。
ようやく、針が14時を指したころ、真人は澪の書斎へと向かう。
意を決してノックをするも返答はない。
「いるか?」
ガチャと開けてみれば、いつもの椅子に澪はおらず持ち主のいない寂しげな部屋が広がっていた。
「……自室か」
ポツリと口から言葉が漏れる。
ドアを閉め、澪の自室へと向かう。
いつも書斎で会うため、プライベートな空間に足を踏み入れるのは初めてだった。
少しだけ、訪ねてもいいのかと悩む。
榊から大丈夫だとは聞いた、それでも心の中にしこりが残っている。
——顔が見たい。
私室の前に控えていたメイドに声をかけると、彼女は少し驚いた顔をしたが、すぐに部屋の中へ確認を取りに行ってくれた。
「お嬢様がお入りくださいとのことです」
メイドに促され、少しの緊張と共にドアをノックする。
「どうぞ」
真人がドアを開ければベッドから上半身だけを起こしている澪がドアを見ていた。
ベッドの上でタブレットを見ていたのだろう。
布団の横に置かれている。
「真人さん、どうしたの?今日ぐらいゆっくりしていたらいいのよ」
普段通りの澪が真人へ声をかけた。
思わず、目を背けてしまう。
女性の自室。
主寝室に入ったうえ、相手はネグリジェにカーディガンを羽織っているのは背徳感がある。
「座ったら?」
澪は手で真人に椅子をすすめてきた。
真人はその腕を見た。
前腕に白色のパッドが貼られていた。
「……腕、見せろ」
「この程度問題ないわ」
「俺が納得いかねぇんだよ」
真人は華奢な澪の手首を取り、傷を見る。
パッドに血もにじんでいないことから、しっかりと手当てがされているのだろう。
ほっと安堵の息をつく。
座れば?と、手を引っ込めた澪が再度椅子を進めてくる。
真人は手を離し、大人しく椅子に腰掛ける。
そのまま重たい沈黙が流れた。
真人は澪を直視できず、目を伏せてベッドの端を睨みつけてしまう。
「何をそんなに自責の念に駆られているの?」
きっと真人の色を見ているのだろう。
「……悪かった」
ポツリと声をこぼす。
真人は顔を上げ、言葉を続けた。
「それだけじゃねぇ。なぁ、アンタは何で俺を引っ張った?」
悔しさを隠そうともせず、真人は澪をまっすぐに見据える。
「真人さんが怪我をしないためにはあれが一番と考えたわ。私は――」
「二度とすんな」
真人は澪の言葉を、強い声で遮った。
真人の目は本気だ。
真人の頭のどこかではわかっている。
あそこで澪に引っ張られなければ、自分はきっとナイフで腹部を刺されていただろうということも。
「俺の仕事はアンタを守ることだ。
守られるために、ここにいるんじゃねえ。
お嬢サマは俺の後ろで、守られてりゃいいんだよ」
傲慢ともとれる言葉に澪は小さく息を呑む。
「ねぇ、真人さん」
澪がベッドから身を乗り出し、その顔を近づけてきた。
思わず、目を見開きたじろぐ。
優しく微笑む澪は口を開いた。
「気にするなとは言わないわ。でも、次は完璧にこなしてくれるのでしょう?」
真人はその言葉にハッとする。
次……。
見えていなかった未来を提示される。
そうだ、専属護衛なのだから次があるに決まっている。
「当たり前だ、次は怪我をさせねえ。
――俺が守る」
「期待しているわ」
澪がにっこりと微笑んだ、部屋に入って初めて真人は澪を正面から捉える。
敵わない、この依頼主に俺は当分敵わないだろう。
たった一言で悩みが吹っ飛ぶほどの力を持つこのお嬢サマを守らなくてはならない。
意を決して前を向けば澪と視線が交わる。
アーモンド型の強い光を宿す瞳に思わず、目をそらしてしまう。
……やはり、焦げ茶色。
それでも、昨夜見たあの紅だけは、どうしても見間違いだったとは思えなかった。




