第12話 “追憶”
「では、私の方からいくつかお聞きしたいことがございますわ」
澪はタブレットをスライドさせる。
現れたのはややこしそうな数式だった。
「こちら、船舶数と航路の距離、さらに燃料と積み荷から純利益を導き出したものになります」
3人の目がきょとんとするのは間違いない。
まさか数学の授業のようなものを見せられるとは思ってもいなかったのだろう。
「こちらの計算では純利益は3億から5億程度の純利益しかありません。
坂井商事の5年前までの利益と照らし合わせますと、そう大差はないかと」
社長がふむと頷く。
坂井商事の5年前までの純利益は確かに平均3.4億円。
「ですが、この2年ほど急激に利益が大きく跳ね上がっております。それでいて、船舶数の数に変わりはありません」
社長が腕を組み、澪をじっと見た。
「社長はもちろんお気づきでしたわよね?この2年で利益が1.6倍にまで大きくなったことは。
―――それは何故ですの?」
澪はにっこりと微笑を絶やさすことなく、社長を見据えた。
「それは、息子と専務がいい取引先を見つけたからでしょうな」
澪は拓也と専務へと目を向ける。
「え、えぇ!!そうです!中国にある会社との取引がうまくいっているのです!!」
……これじゃない。
澪は焦る拓也の発言は華麗にスルーする、必要なのはこの情報ではない。
中国との取引がうまくいっているのは知っている。
「拓也、落ち着きなさい。中国との利益ではそんなには上がらない」
澪の内心を代弁するかのように社長は息子を制す。
「専務、そこはどう考えている?」
社長は自身の弟である専務に目を向ける。
「私は全ての取引先との間で利益が数%ずつ上がり、塵積もった結果だと思いますが」
専務の口角が上がる。
とても強い紫と黄色が入り混じる皮肉をはらんだ優越感。
――――感情、見つけた。
澪は静かに優越感の感情へ意識を重ねる。
走馬灯のように優越感の感情と過去がリンクし始める。
歓喜。
優越。
嫉妬。
無能な甥……
『やはりご長男は違いますな』
『弟さんも優秀ですが……』
『次期社長は専務で間違いない』
『社長の息子が頭角を現してきたな』
『次期社長は卓也さんがいいだろうな』
……違う、違う!
俺が社長になるべきなのだ!
バカな甥が社長になれるわけがない!!!
常に誰かの2番手でいる専務の悔しさがあふれる。
そして3年前、リスクの高い投資をして成功する。
その成果を甥に奪われた。
否、美味しいところをたまたま持っていかれただけだ。
絶望に心を飲まれていく専務の感情が渦巻いていく。
『いいお話をしましょうよ、専務』
『この話がうまくいけば中国との取引は莫大な損失になるでしょうな』
『すべて私ども、野倉運送にお任せくだされ。
5年後には専務を社長にまでしてあげましょう』
甥の取引先をつぶし、新たな取引先を自ら作れば甥を追い出すことができ自分が次期社長へとなれる。
全ての布石はそろった。
優越感、攻撃、歓喜
全ては自分の思うまま運んでいる。
久世もひとつのコマにしか過ぎない。
◇
ゆっくりと澪の意識が感情から離れていく。
時間にして10数秒。
相手から見れば澪が何かを考えあぐねているようにしか思わないだろう。
後ろに控えている真人からも「どうしたんだ?」と不安そうな感情を目の端でとらえる。
「久世もひとつのコマにしか過ぎない……、でしょうか?」
澪の言葉に異議を唱える拓也の声を澪は聞いてもいなかった。
その声の強さに真人から「なんだ、何ともないのか」という安堵の息遣いもかすかに感じた。
それでも、ただ澪は専務を見るだけだった。
「……いったい何のことでしょう」
専務が澪へ初めて正面から敵対の表情を向けてきた。
澪は静かにグラスを傾けた、最後の追い込みだ。
「運航スケジュールにかなり無理をさせていますね?すべては拓也さまのせいにして。
従業員からの不満やヘイトが全て拓也さまに集まるように差し向けているのもなかなかの手腕ですわね」
澪は止まらず、続ける。
「その裏で専務と取引していらっしゃる野倉は裏稼業でも有名な会社ですわ、今後ともまだお付き合いをするおつもりですの?」
相手方3人からの笑みはもう既に無くなっている。
社長からは余裕すらも見受けられない。
「……どういうことだ。説明をしてくれ、本当の事なのか?」
社長は専務へ向けて言葉を絞り出した。
「……兄さん、若者の戯言ですよ」
乾いた笑いの専務。
「坂井商事に損害はありませんし、契約も合法、利益も正当、税務上何も問題ありません」
「……そういうことじゃないんだ」
社長は静かに言う。
「野倉とはそういう……会社なのか?」
「……。ええ、そうです、港湾関係者との調整も荷役の優先権、通常では取りにくい案件も全て。
利益のためならば使えるものは使うべきです、兄さん」
「……嘘だと、言わないのか」
社長はただ息を吐いた。
「久世様、ご指摘ありがとうございます。この件に関しては、一度持ち帰らせていただいて……」
「いいえ、今お決めください。わたくし、あまり待つのは好きではないのです」
何とも無慈悲なことを言っている自覚は澪にもある。
それでも今後のためにも目の前で後回しにはされるのは非効率的だ。
社長は考えあぐねているのか口を紡ぐ。
それは澪にもよくわかる、ともに会社を大きくしてきた兄弟だ。
すぐに弟を切れなんてできるわけがないだろう。
「では、こちらからの条件だけ」
澪は救済の手を差し伸べた。
3人の顔がまたもや澪を見る。
澪は一口、飲み物を含んだ。
喉が少し重いのは、この空気感からだろう。
カップを静かに置き、社長を見据える。
「野倉と手を切ることは第一条件です。久世家の資産がその会社へ流れることだけは避けたいので。
さらに、久世とのやり取りの場に専務は2度と関わらないことを条件にさせていただきます。
そして、やり取りは次期社長である拓也さまとだけ行います」
つまり実質、久世との橋渡しをするのは次期社長になりうる拓也。
「久世と契約をするというのならば、久世が保有するヨーロッパとの船舶ルートを2つお貸しします。
いかがいたしますか、拓也さま?」
全ての判断を拓也に委ねる澪。
拓也は父を見た。
そして、専務を見る。
家族を取るか、久世との契約を取るか。
家族を取れば、専務は仕事を続けることはできるだろう。
久世を選べば、専務は表立って出ることはなくなってしまう。
「わたしは、」
拓也は言葉を詰まらせる。
社長は何も言わない、息子の成長の場とも取れるこの場。
それを見越して難題を突き付ける久世の令嬢に感服する視線をも送る。
(いったいどこまで見越しているんだ、この若い女は)
自分よりも年配の男に引けを取らず、全て手のひらで操るような久世家令嬢。
敵には回せない名家とはまさにこのこと、わずか18そこらの小娘に社運を賭けられるとは。
息の詰まるほど時間が長く感じる。
拓也は重い口を開いた。
「私は、久世家との契約を結ぶべきと考えます」
ぽつりと、拓也の口からこぼれた言葉は残酷でもあり未来を見据える返答だった。
専務は座椅子の背に体を預けて天を仰ぐ。
坂井商事の時代が次世代へと動き出した。
「それが坂井商事としての返答でよろしいでしょうか?」
「はい」
拓也がしっかりとうなずけば、社長もしっかりとうなずいた。
「いいお取引になりましたわ。では、久世の船舶ルートを10年間、坂井商事のルートを使用して得た利益の2割でお貸しします。
10年後にはまた利用料についてはご相談させていただきますわ。」
拓也は目を丸くした、利益の2割。
破格の提示に思わず言葉が詰まる。
「2割だけですか……?」
「本来なら4割ほどいただきますが、専務を切るという大きな損失を考えればこのくらいが妥当でしょう。
利益を大きくしてくだされば、何も問題はございませんわ」
「お心遣い、感謝します」
深々と頭を下げる社長。
拓也も慌てて頭を下げる。
やはり、まだ青い。
「今後とも寄り寄り関係が続くことを願っていますわ」
デザートが運ばれ、会食はお開きとなる。
坂井商事は久世という後ろ盾を手に入れた代わりに、家族経営の根本を揺るがされたのかもしれない。
坂井商事は久世という後ろ盾を得た。
代わりに、一つの時代を失ったのだった。




