第11話 揺れた水色
食事が少しずつ運び込まれ始め、座敷は穏やかな空気に包まれている。
格式ある和室であることは一目瞭然だ。
床の間には季節の掛け軸が飾られ、その足元に鎮座している伽羅が食事を邪魔しない程度にかすかに香る。
「先日はうちの愚息がお邪魔させていただいて、いいお話ができたと喜んでおりました」
社長である坂井誠が嬉しそうに口を開く。
オレンジ色の楽観の色が澪の目に飛び込んでくる。
——事前資料に記載されていた通りの人物だ。
澪はあらかじめ用意されていた資料を思い返す。
坂井誠(71)
坂井商事の創業者。
温厚で人当たりの良い性格。
決断に関しては慎重で堅実だが、近年は息子である坂井卓也に委譲予定。
また弟に厚い信頼を持っている。
「えぇ、ご子息から事業提携のお話をいただきましたので、前向きに検討をさせていただいておりますの」
ニッコリと微笑み、澪は先付を口にする。
口の中にナスの甘みとポン酢ジュレが爽やかに広がる。
「それはうれしいお返事で。久世家の提携を頂けるとなると仲間内でもずいぶん鼻が高くなりますな」
はははっと豪快に笑う社長はお酒が止まらないほど上機嫌になっている。
先付の時点で日本酒が既に1合は空けられていた。
「そう言えば、最近は久世のご当主はパーティーには参加されておりませんな」
坂井社長は前菜を口に運びつつ雑談を投げかけてくる。
まだ本題にはいるよりも場を温めたいのだろう。
「ええ、最近はどうも海外での事業拡大をすることに専念しているようで。
国内のことはわたくしに任していただいておりますの」
「お若いのに久世家を任されるなんて、大変ですなぁ」
「いえ、父も私の成長のいい機会だと思っているのだと思います。
それに次期として勉強しなくてはいけないものが多いものでして、ねえ?」
澪は同じ立場であろう拓也に笑いかける。
「そのお気持ち、わかります。一生勉強とはよく言ったものですが、日々勉強だらけです」
先日真人が思っていた通り、素直な人柄がよくわかる。
「ご令嬢の爪の垢を煎じて飲めば、お前ももっと広い目で世界を見れるやもな」
父である社長からの横やりで拓也が困ったように笑う。
「あら、ご子息の拓也さまは十分な業績をお持ちではないですか。
現にここ数年右肩上がりで」
澪は坂井拓也を見る。
「もったいないお言葉です」
謙遜するように頭を掻く拓也。
似たもの親子だ、飾らない笑顔までよく似ている。
本当に人柄がよさそうな二人だと二人を見る澪。
「そのお話もぜひお聞きしたかったのです。拓也さまが他の会社との橋渡しをされていらっしゃるとか」
澪は体の向きを拓也へと向ける。
「えぇ、国内だけでなく海外との関係を作ろうとアジア圏をメインに契約先をさがしております」
「アジア圏というと、インドのあたりまでも行かれるのですか?」
「追々は。今はまだ中国台湾を中心として営業をしていますが、いずれはインドも。さらにはヨーロッパとも繋げられると嬉しいのですが」
「さようですか、それで海外との繋がりがあるからと、久世へお声をかけて頂いたのですね」
「えぇ、まさにその通りです。坂井商事だけの力ではインドやヨーロッパとの契約はなかなか難しいもので」
「私としてはわざわざ海外に目を向けなくてもとは思うんですがねぇ」
坂井社長が割り込んでくる。
本心なのだろう、わざわざ危険を冒す必要がないと考えるのは経験故か、年齢故の堅実さだからだろう。
澪は目の端に不満の色が見えた。
拓也かと目を向ければ、拓也ではない。
さらに下座に座る、社長の弟である専務からだった。
ここまで一言も声を発していないことにも気になるが、社長と甥を立てるためなのか。
澪は目の端で専務を捕らえつつ、視線をまた社長へと戻していった。
◇
それでも和やかな空気は変わることなく、業績の話や家の将来の話を差し障りのない程度に言葉が交わされていく。
焼き物が運ばれ、続いて湯気の立つ椀物が並び、そろそろ料理も終盤へと差し掛かる。
本題へと移るときが来たと澪は改めて座り直し、相手をまっすぐ見据える。
「では、そろそろ……」
対面の3人も雰囲気が変わったことを感じ取ったのか自然と姿勢が正されていった。
「久世といたしましても、頂いておりました書類をみる限りではよいお話でご縁を結べるかと思っております」
そう、言えば対面の3人から肩の力が抜けたような、安堵の感情が柔らかくつつみ込んでくる。
「ありがたいことです」
社長として頭を下げる坂井誠。
専務の方もここまで一言も喋ってはいないが、頭を下げてくる。
「久世様、ありがとうございます、今後ともよろしくお願いします」
余程嬉しかったのか、思わず立ち上がり、頭を下げてくる拓也からは喜びの黄色の感情があふれていた。
「ただ……」
澪はその気持ちを無視するかのように言葉を続けた。
「船舶数の問題が解決するならば……、ですが」
「船舶数ですか?」
間抜けな声を出したのは拓也だった。
空気が変わったのは専務のみ。
「ええ、久世としましては一つ見逃せない数字がございまして」
澪が顔を自身の後ろへ軽く回すと、真人が立ち上がりあらかじめ持っていたタブレットを澪に渡す。
さすが、榊に5日間仕込まれただけある。
完璧なタイミングでのアシストに思わず、口角が少し上がる澪。
「こちら拓也さまから事前にいただいていた書類の抜粋になります。
この船舶数と稼働時間では、この莫大な利益率をたたき出すのは物理的に不可能ですわ」
澪は3人にタブレットの画面を見せ、澪は一人ずつ視線を巡らせる。
社長。
拓也。
そして——専務。
社長と拓也からは何がおかしいのかわかっていないのか、緑色の不安が強く押し出されている。
もしかするとこの話が無くなるのではないかという恐れもあるのだろう。
その横で専務からは予期せぬ指摘に驚愕の濃い水色が一気にあふれ出だした。
きた……、澪はすぐに標的を専務へ変える。
「あら、坂井専務。お顔の色がよろしくないようですが?」
その言葉に社長と拓也も専務へと顔を向ける。
「あ、いえ。少し酔いが回ってしまったようで」
ここで始めて声を発した専務。
物腰柔らかそうな、兄の社長とはまた違った安定感ある話し方だ。
「叔父さん大丈夫ですか?いつもよりも飲んでいる量は少ないはずですが……」
隣に座っている拓也が心配そうに顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですよ」
専務は手で拓也を制すと軽く笑う。
心配そうにするものの卓也はそのまま体を引いた。
「久世様、詳しく教えていただけますかな。どちらに引っかかりを覚えられているのか」
社長も先ほどまでの心配も、豪快な飲みっぷりもなく、仕事の顔つきへと変わっている。
「ええ、ぜひ社長にもご確認いただきたいと思います」
澪はいつもの微笑みを崩さない。
だがその瞳だけは、三人を静かに見据えていた。




