父の小瓶
翌日、シオンの地方面の柵際で、ゲンヤとシュンに合流した。
胸元に父の小瓶を感じながら、ニライの神木を振り返る。
遠目に見える桃色の花弁が、ひらひらと風に吹かれて飛んできて、僕の手の甲へと舞い降りた。
なんだか口元が緩んで、その花弁を手帳に挟むことにした。
「では行きましょうか。我らがシオン様の元へ」
ゲンヤの手に背中を軽く押され、柵の外へと一緒に連れ出される。
シュンは腰の武器に手を掛けながら、一足先に歩き出していた。
横を見上げると、薄い布で顔全体を被ったゲンヤの目元だけが、なぜだか良く見えた。
◆◆◆
腐った樹木から枯葉が落ちてくる。
空気の中を漂っている胞子のせいで、視界が暗い。
斜め前を歩いているゲンヤの姿が、ぼんやりと白い輪郭を持って見える。
神木の境界みたいだ。
「……止まれ」
シュンの声に息を呑む。
とっさに足を止め、胸元を手で覆って視線を前方に向ける。
細かい羽音と共に、無数の黒い影が飛んでくる。
同時にシュンの背中が動き、彼の手元から紫と白の花影が舞ったように見えた。
無数の腐怪が吹き飛び、腐臭が弱まる。
辺りに朝露のような香りが満ちた。
動きを止めたシュンが、抜き放っていた武器を腰に戻す。
澄んだ音が薄暗い中に響いた。
目を瞬く。
「……花?」
今のは何だったんだろう。
「いえ、これは蜂の腐怪ですね。蜂の巣が近くにあるかもしれません! シュン、探して持ち帰りましょう!」
「無茶言うな。刺されたら死ぬ」
ゲンヤが屈み込んで、地面に落ちた腐怪の亡骸を確認したのか、立ち上がって動き出そうとする。
いや、腐怪のことじゃなくて、僕が言いたかったのは、シュンから見えた花影のことなんだけど……。気のせいだったのかな。
「蜜を持って帰れば高く売れるんですよ!? 勿体ない!」
「命と蜂蜜、どっちが大切だ? 当然、命だろう?」
シュンがゲンヤを引き摺って歩き出す。
「ロラン。大丈夫だったか?」
「あ、はい。僕はシュンさんのお陰で、全然問題なく。シュンさんこそ、怪我はありませんか?」
シュンに声をかけられ、慌てて走り寄った。
見たところ、怪我はなさそうだ。
シュンの目元が温かみを帯びる。
「問題ないが、そろそろ休憩時だな」
空を向くシュンに釣られて上を見た。
木々の隙間から覗く空は暗く澱んでいる。
周囲に夜の気配が漂い始めていた。
◆◆◆
枯れた木の枝が、崩れた石壁に巻き付いている。
朽ちた倒木に腰掛けながら、ほとんど原型を留めていない小屋を見詰めた。
「昔から思ってたんですけど、何でこんな場所があるんでしょう……」
まるで、腐敗の世界で人が生きていたかのような。
「それはですね。昔はここにも神木があったからですよ! そうに決まっています」
「あたかも本当のことみたいに言うな」
目を見開いて、ゲンヤの方を見た。
彼は焚き火の横で、大きな鞄を漁っていた。
そんな事、考えた事もなかった。根拠は無いのかもしれない。でも、有り得ないことでもない。
だって神木は……父さん。
胸元から小瓶を取り出し、白い結晶を眺める。
細かい粒の、さらさらとした音が、静かに小瓶の内側から響いた。
「……それはもしや」
「ロラン隠せ。それは見せるな。盗られるぞ。……見なかったことにする」
シュンの低い声に、肩を震わせて小瓶から顔を上げる。
鞄を漁っていたはずのゲンヤが、いつの間にか側まで来ていて、小瓶を握り込んだまま息を呑んだ。
「どなたの遺骨なのです? もしや、神木守の」
「ゲンヤ! 踏み込んでいいことと、悪いことが分からないのか!」
瞬く間にシュンがゲンヤの口を押さえて、焚き火を挟んだ向こう側まで引き摺って行った。
不用意に取り出してしまった。普段は気を付けていたのに。気を遣わせてしまった。
「シュンさん。そんなに気にしないで下さい。考え無しに取り出してすみません。これからは気をつけます」
ゲンヤとシュンの動きが止まった。
二人が顔を見合わせて、同時にため息をついた。
「……そうじゃない。理解してないのか?」
「危なっかしい人ですね。隠さないと狙われますよ? 私みたいな人間に。段々、心配になって来ました。希少な物には価値があるんですよ……」
シュンの手から抜け出したゲンヤが近付いてくる。
「価値って……これは、この中身は、父さんの」
父さんが生きていた、存在していた証なのに!
小瓶を握り締め、二人を睨み付ける。知らず倒木から腰が浮いた。
「そうですか……お父様の。それなら尚更、隠して、誰にも見せてはいけませんよ。大切な遺品なのですから」
僕の手の上に、ゲンヤの手が重ねられ、静かに胸元の中へと小瓶が戻された。
戸惑いつつ、ゲンヤの目を見詰めると、思いの外、真剣な眼差しを向けられていて、体から力が抜けた。
「分かったらそろそろ寝ておけ。シオンまで持たないぞ」
ゲンヤ越しにシュンの声が聞こえ、僕は曖昧に頷いた。




