カンナの地
渓谷を抜けたあと、そこには湿原が広がっていた。
地図では湿原を抜けるとカンナの地があると書かれていて、あと少しで海を見ることができると思うと、足が勝手に早くなるのを感じた。
数日湿原を歩き続けて、枯れた木々の間を抜けると、遠くの方に腐敗の地との境界と、建物、行商人らしき人たちの列が見えた。
「あそこが、カンナかな!? すみませーん!」
サラサが前を歩いていたエルドの横を走り抜け、列の最後尾に突進して行った。
舌打ちしそうなエルドを見る。
「……エルド、僕も行っても……」
そわそわしながら言うと、彼が面倒そうに行けと腕を振ってくれた。
軽く頭を下げてから、サラサの方に向かって走った。
「──並んでるんですか?」
「水進船に乗るために並んでいるんだ。カンナは海の上にある都市だからな」
サラサと行商の人が話しているのを聞いて、いても立ってもいられなくなり、口を開く。
「この列の先に、海があるんですか!?」
「あ、ああ。列が進んだら見えてくるから、気になるなら自分の目で確認してみるといい」
──何年も、父さんと旅してたときからずっと探してた海が、やっとこの目で見れるんだ。
無意識に胸元の小瓶を握り締めていた。
列がゆっくりと前に進んでいく。
境界の内側に入る頃には、エルドとコハクも追い付いてきていた。
足元が地面から木の板に変わり、その下に透明な水が広がって、目が輝く。
どこまで広がっているのかと視線を巡らせると、前に並んでいる人たちの頭越しに、遠くの方まで続く水面と、水の上に点在する建物と、水の真ん中に聳える神木のような樹が見えた。
透明で青い水の地。海、みたいに見えるけど、水が空と繋がっているようには、見えない。
むしろ、水の地をぐるりと囲むように、薄らと遠くの山や大地が広がっているのが分かった。
──ここは……海じゃ、ない。とても広いけど、湖だ。
目の前の景色はとても綺麗なのに、複雑な気分になってしまった。
ぼんやりしていると、人波に流されるようにして、水進船という乗り物にいつの間にか乗っていた。
乗る時に渡された小さな木の板に視線を落とす。
どこかで見た気がする、水を含んだような青い花の絵が描かれていた。
「ロランはその絵の部屋なんだ! コハクの笛に描かれている模様と似てるねー。私は、青い果実の絵だよ。っと、一旦部屋に荷物置いてくるー」
「あ、待ってください」
水進船の上から建物の中に入ろうとするサラサの手を引き止める。
「ここは……海じゃないですよね……」
俯いて、上目遣いで彼女を見る。
「あっ、そっか、見たこともないくらい広い湖で浮かれてたけど、海を探してるんだった……。でもロラン! ここの海も綺麗だよ! カンナの海を満喫して、また、空と繋がってるくらいの、海を探そう?」
気遣うような視線に、ぎこちない笑顔を向ける。
「そうですよね……。ありがとうございます」
サラサがにこりと笑って、今度こそ建物の中に入って行った。
水進船の縁に近付いて、海と呼ばれている湖を眺める。
太陽が遠くの大地に沈みかけて、水面が青から橙色に染まっていた。
水進船がゆっくりと水の上を進む。歩く速さとあまり変わらない気がした。
縁に腕を置き、腕の上に頭を乗せてカンナの海を見詰めた。
水を纏った足で水上を滑って行く神木守。足に魚のヒレのように水を纏わせて、水中を泳いで水面に顔を出したりしている神木守。
水中を泳いでいた女性が、水に乗って水進船に上がってきたかと思うと、水でできた魚のヒレがふわりと素足を覆い、水のカーテンのような下衣になった。
彼女の上半身は胸元だけが衣服で覆われていて、目のやり場に困りさっと視線を逸らした。
──海じゃないけど、カンナの人にとってはここが海なんだ……。静かで、だけど活気があって、いい場所だな。こんな景色を見ることができて良かった。
カンナの海にまた視線を戻すと、隣にエルドとコハクがやってきた。
「……ここが海。ツキカが見ていた風景……」
コハクがじっと水面を見詰めて、感慨深げに呟いた。
──あ、そう言えばコハクさんは海じゃなくて、ツキカ様が愛していた風景を見てみたいんだったよね……。
「コハクさん、ここは湖なんです。海じゃなくて。でも、カンナの海はとても穏やかで素敵ですね」
太陽が沈んで、月が水面を照らし始めた。
「湖? 海じゃないんだ。まあ、俺が見たかったのは、この光景だから。……ツキカは昔の人で、今のこの景色とは見ていたものが違うかもしれないけど。それでも俺は、ツキカが歌ったカンナの海を見れて良かったよ」
コハクの表情と声が、いつもより柔らかくて、なんだか心が暖かくなった。




