人間か腐怪か
左右の目で見える景色が違う。
左目が痛むと何かが見える。
深紫の髪と藍色の目をしたあの子の姿が浮かぶ。
ウキハが僕の左目に触れようとして。
『ロランの目、壊れかけの青水晶みたいに──。左目だけが、ぼく達と同じ……なのかな……』
ウキハの額の傷。そこから漂う胞子。
──もしも、ウキハが腐怪になった人なら、僕の左目も腐怪になっているのかもしれない。……あの後、ウキハは本当に大丈夫だったのかな。今は、どこにいるんだろう。
左目の痛みが遠ざかる。
何かが、頬に触れてくる感触で、意識が浮上した。
蝶の翅が見えた。
頬に小さな手が触れている。
瞬きをすると、女の子の顔が目の前に広がった。
「あ、起きた……」
飛び上がるように上体を起こすと、古蝶の女の子が顔の前を飛んで、首を傾げてきた。
「えっと、はい。起きました……」
もう痛みのない左目を押さえて、周囲を見渡す。
蓮の葉の下で寝かされていたらしい。
切り株のそばの倒木に座っていたサラサが、慌てた様子で走り寄ってきた。
「ロラン良かったぁ! 二日も寝てて、もう目が覚めないんじゃないかって心配したんだよ!?」
抱き着かれそうになり、反射的に避けてから瞬きを繰り返す。
「二日も……? 僕はどうやってここに……。エルドとコハクは? あ、渓谷の腐怪は本当にもう浄化しきってたのかな……」
サラサが「避けられた……」と呟きながら、肩を落として、視線だけこちらに向けてくる。
「あ、すみません。つい。わざとじゃないんです」
「それは私、慰められてる? まあいいかー。えっとね、エルドが担いできたから、一瞬ロランが死んだのかと思って血の気が引いたんだよ?」
「それは……驚かせてすみませんでした」
サラサがあっけらかんと手を振って許してくれた。
そういえば、エルドの右腕、血が出てた気がしたけど、まだ治ってなかったら、治さないと。
「エルドとコハクさんはどこにいますか?」
「二人? あの二人はそこにいるよ」
サラサが神木の下でうさぎに囲まれている狼姿のエルドと、花畑で古蝶と何かしているコハクの方を指差した。
僕の頬を触っていた古蝶の女の子が、サラサの方へと飛んでいく。
「ロラン、何も食べてないの。お腹、空いちゃう」
サラサがそれを聞いて、ぽんと手を叩いた。
古蝶の言葉に目を見開く。
「あの、なんで僕の名前を?」
「テール様のとこで、聞いてたの」
サラサの顔のそばで、古蝶が僕を見てくる。
──なるほど。いや、それ以外にないよね。
「あ、この子、リーンちゃんって言うんだって! そろそろお昼だし、皆で食べよー。……そうだロラン。ロランのお父さん、返すね」
サラサが鞄を漁り、中から小瓶を取り出して、両手で丁寧にこちらに差し出してくる。
なんだかほっとして、その小瓶に手を伸ばして、はたと動きをとめる。
──もし、僕の左目が腐怪になってたとして、これからどんどん腐敗が進んで、何も考えられない物になったとしたら、僕が父さんを持ってたら腐敗が父さんにまで移るんじゃ。それこそ腐怪みたいに、神木や生き物を攻撃したりするようになったら、どうする? こんな僕が、父さんを持っててもいいんだろうか……。
「どうしたの? 具合でも悪い?」
はっとして顔を上げると、心配そうな表情をしたサラサがこちらを覗き込んでいた。
「……大丈夫です。ありがとうございます」
とまったままの手の中に、サラサが小瓶を握らせてくる。
このまま、サラサに持っていて貰った方がいい気がするのに、手元に戻ってきた小瓶を見ると、手放すことができなかった。
じっと小瓶の中身を眺めたあと、恐る恐る組紐を首に掛け、小瓶を胸元に仕舞い込んだ。




