迷いの森
砂の橋を渡った翌日から、辺りの景色が砂の世界から枯れた草木が生い茂る森へと変わった。
目前の獣道を見て、コハクが地図を取り出す。
「ここが多分、迷いの森だよ。獣道を辿れば森を抜けられるって書いてあるから、道から逸れなければ大丈夫だと思うけど……」
「カンナに行くには、この森を通る必要があるんでしょ? それなら、悩む必要ないよね! 獣道もちゃんとあるし、いざゆかん!」
サラサがコハクの背を軽く叩いて、獣道に脚を踏み入れようとして、エルドに襟首を掴まれた。
「俺が先に行く。お前は後ろから付いてこい。馬鹿みたいに道を逸れんじゃねーぞ。はぐれても探さねーからな!」
エルドに後ろに追いやられたサラサが「ごめんごめん」と片手を帽子に触れて、悪戯げに片目を瞬いた。
彼女がエルドのあとを追い獣道に脚を踏み入れる。
地図を片付けたコハクが、物言いたげな視線でこちらを見つめてきた。
「先にどうぞ」
「……ロランこそ、先に行けば? 見てて危なっかしいから……俺より戦えないみたいだし」
何気ない彼の言葉がぐさりとくる。
──いや、戦えないのは事実なんだけど、一応、仮にも年長者としての意地というものがある訳で……。
「なら、一緒に行きませんか? 道幅も結構広いですし」
引き攣る頬を何とか笑顔に維持してコハクに提案すると、彼は特段渋る様子もなく、僕の提案に頷いてくれた。
断られなかったことに頬が緩んで、穏やかな気持ちで獣道に向かうことができた。
◆◆◆
前を行くエルドとサラサからはぐれないように歩く。
小さな腐怪が、枯れ木の隙間からこちらを覗いている。
この森にいる腐怪は大人しいのか、襲いかかってくる気配はない。
森に入った時から、左目が微かに疼き続けていて、地味に精神が削られる。
変な物が見える訳でもないのに、何でだろうか。
周りに視線を向けながら、瞬きを繰り返す。
ふと、横を見た瞬間、通り過ぎた道に、もう一本の獣道が森の奥に伸びているのが、見えたような気がして、無意識に足を止めてしまう。
「……え?」
もう一度、先程の場所に視線を向けても、そこには枯れた木々が広がっているだけだった。
「何? どうしたの」
警戒したようなコハクの声が聞こえ、横を歩いていた彼を見る。
「……獣道が一瞬、向こうにも伸びていたように見えて。でも、今あるのはこの道だけだから、気のせいだったのかも」
獣道が見えた方を指し示すと、コハクがじっとその方角を見詰めて、首を傾げた。
「とりあえず、エルドさん達から離れない方が良いんじゃない? 迷いの森って書かれてるくらいだから、道があってもなくても、おかしくないだろうし」
彼の言うことも最もだと頷いて、獣道の先の方でこちらを待っているエルドとサラサに向かって、再び歩き出した。
◆◆◆
しばらく歩き続けると、暗く澱んでいた獣道に、明るい光が射し込んできた。
腐敗と浄化の境界が、獣道の先にあった。
「……地図にねー、神木の地か……?」
「エルドさん。俺はここに神木の地があるとか、誰からも聞いたこと無いんだけど」
獣道でエルドが立ち止まり小声で呟くと、コハクが彼に近寄って、険しい声を発した。
「あ! 蝶の……女の子!? 人? 動物? もしかして、絶滅危惧種の動物!」
何を見たのか、サラサがエルドを横切って境界内に走り込んで行く。
「サラサ! 待ってください!」
とっさに追いかけて境界内に入ると、木々に囲まれた、草花が生い茂っている地が視界に広がった。
瑞々しい香りが鼻を抜けて行く。
遠くから鶯の鳴き声が聞こえてきた。
数瞬、景色に見とれて、背後からの草を踏む音に我に返った。
「ったく。サラサはどこだ」
深いため息と共に聞こえたエルドの言葉で、慌てて辺りを見回す。
すると、花畑の倒木に腰を下ろして、蝶の翅を背負った小さな女の子を手のひらに乗せながら、鹿を見上げているサラサの姿が見えた。
──あ、本当に蝶の女の子……だ。
処理しきれない光景に、淡々とした感想が脳裏に浮かんだ。




