郷愁歌
日が沈み始めた頃、部屋から酒場に出てくると、店主が出入り口に休業の看板を出して、僕たちを酒場の奥へと案内してくれた。
店主が壁の扉を開くと、その奥に地下へと続く階段が現れた。
階段の砂壁には神木の花を模した飾りが掛けられ、そこからの淡い光で、階段がぼんやりと照らされていた。
店主が階段に足を下ろして、こちらを振り返る。
「では、足元に気を付けて、付いてきてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
エルドとサラサに促され、先に店主の後に続く。
後ろでそわそわしてるようなサラサと彼女を見張るエルドの気配を感じる。
「あの、店主さん」
階段を降りながら、前を行く店主に声を掛けると、彼は降りるのを止めずに、目線だけこちらに向けてくる。
「何でしょう?」
「コハクさんが言っていたツキカの遺歌って、郷愁歌のことなんですか?」
店主が少し考えるように沈黙した後、口を開く。
「そうですね。郷愁歌といっても色んな歌があるのですが、私どもが月一に地下で歌っている郷愁歌は、初代ツキカゲが郷愁歌だと言って歌ったのが、始まりだそうです」
眉を寄せる。分かったような、分からないような。
首を傾げていると、後ろからサラサの声が響く。
「店主さん! 地下で歌ってるのはどうして? それも、月一で!」
店主が、足を止めてこちらを見る。
彼が顎を撫でて、砂壁の飾りに目を向けた。
「……満月の日に、神木守ではない私たちも、ツキカ様の近くで、祈りたいからでしょうか。そういう習慣なんですよ……。それに、郷愁歌ではない歌は、毎日のように歌われているんですよ? 夜から真夜中にかけて。地上でも民謡や色んな歌が歌われていますからね」
店主が階段を降りて、地下へと足を踏み入れた。
──ツキカ様の遺歌だけが、月一で歌われているってことなんだ。ツキカ様の歌だから特別ってことなのかな?
店主の後に続いて、地下の空間に入る。
遠くから人々の騒めきと、演奏、歌が聞こえてくる。
ひんやりとした空気が肌を刺す。
細かな砂が、パラパラと落ちてくるのが見えて、顔を上げると、神木の根が砂の天井を支えるように広がっていた。
砂と木の匂いの中に、微かな水の匂いを感じた。
神木に伝う水かもしれない。
「こちらです」
店主の声で前を向き、地下の通路を彼の後に付いて歩く。
砂壁には、所々に地上へと続くのだろう階段があった。
階段から降りてくる人や、登って行く人の姿もある。
しばらく歩くと、人々の騒めきと熱気が大きくなり、広い空間に辿り着いた。
広間の中央に青く染められた砂の演舞台がある。
でも、そこで舞っている人は誰もいない。
広間の端や、小さな演舞台で、演奏したり、歌ったりしている人たちがいた。
「では、私も演奏の支度をしないといけないので、ここでお別れですが、夜中頃、中央の舞台で郷愁歌をあの子が歌うので、記憶に刻んで頂けると、あの子が喜ぶと思います」
──あの子って?
店主の言葉に首を傾げていると、彼は丁寧にお辞儀して中央の舞台の近くにいる人たちの輪に入って行った。
その中の一人。長い銀髪から覗く、琥珀色の目と視線が交差した。
目を見開く。
相手の目も見開かれて、彼が店主に何事か言い募り始めるのが見えた。
店主が何かを言いながら、彼の頭を撫でると、彼が不機嫌そうに店主から離れて、それでも舞台に立つ支度を始めるように動き出した。
動き回るサラサを、エルドと一緒に見守りながら色んな人の歌や踊りを見る。
天井の砂の隙間から差し込んでくる月明かりが強くなって行き、舞台で踊っていた人たちが、中央の演舞台に意識を向け始めるのが分かった。
エルドの視線と、サラサの動きに促され、中央の舞台前まで来ると、舞台周囲には天井が無く、上を見るとツキカの神木を見上げることができる事を知って驚く。
神木の花、一つ一つがこちらを優しく見下ろすように咲いている。
神木に包み込まれている気分になって、目が離せない。
辺りが静まり返り、衣擦れの音が聞こえて、はっと舞台に視線を戻す。
舞台の中央で、舞いの体勢を取っているコハク。
俯きがちの横顔に、彼の長い髪がさらりと揺れていた。
近くから静かな演奏が聞こえ始める。ちらりと視線を向けると、間近で酒場の店主が演奏していた。
『青き水面のカンナの地
我がふるさとの青き水』
コハクの中性的な声が響き、息を呑む。
青い砂の上で彼が舞い始める。
『月はカンナの彼方から
カンナの海を照らし出す』
彼が空を見上げ、手を伸ばす。
空から差し込んでくる淡い光が、青い舞台とコハクを照らし、彼の歌声に熱が籠もっていく。
『青き水面に映る月
私は今も夢見てる』
左目が軽く疼いて、コハクの周りにぽつりぽつりと、蛍花の粒が舞い始め、地下全体に浮かんだように見えた。
瞬きを繰り返すと、花は見間違えだったかのように消えてしまったけれど、コハクの周りには淡い光の粒が漂っていて、彼が光の中で輝いているようだった。
『月の水面で踊る夜
月の水面で歌う夜』
青い砂が水面に見える。
水の上を舞うコハク。
彼の周りに寄り集まった光が、水面に映った。
広大な水面に月が映っているみたいだ。
彼が舞っているのは砂の上なのに、見たこともない景色が見える気がした。
『砂の大地で奏でよう
我がふるさとの思い出を』
舞いを終え、静止した彼の、遠く熱の籠もった琥珀色の強い視線と、目が合う。
彼も、僕と同じで、海に焦がれている。
なぜだか、そう痛感してしまった。




