境界
幼女を腐敗した砂の上に寝かせたウキハが、泥水に足を浸けて、僕が立っている横の腐敗の砂に座った。
なんで境界の外側に居るんだろう。
「ねぇ、ロランもこっちにきて座ったら?」
ウキハがこちらを見上げて、腐敗の砂を手で指し示してくる。
「あ、僕はこっちに座ります」
戸惑いながら靴を脱ぎ、境界内の水場に足を浸して、ウキハの隣に座る。
「あの時は、ツキカの方角を教えてくれてありがとうございました。ウキハさん達もツキカに来てるなんて、偶然ですね」
ウキハの顔を見ると、ウキハは決まり悪げな表情をして、額飾りに手を触れさせた。
「いや、ぼくたちは……ここに居れば、ロランとまた会えるかもって思ったんだ……」
目を瞬かせて首を傾げると、ウキハが慌てたように両手を振り回す。
「だってほら、あの時はあほ鳥のせいで、というか、師匠に急かされて、ちゃんと話せなかったじゃん」
ウキハが背後で寝ている幼女に視線を向ける。
釣られて幼女を見ると、腐敗した蛍が幼女の周りに集まって飛んでいた。
幼女が寝息を立てる度に、左目が軽く痛んで、幼女の口から胞子が出ているように見えてしまう。
「そう……ですね? でも、なんでそっち側に居るんですか? 境界内の方が安全なのに」
左目を擦りながら、右目だけでウキハを見詰める。
ウキハが不可解そうな表情をした。
「それは、ぼくの言葉なんだけど……。さっきから気になってたんだ。ロランこそ、なんでそっち側にいるの? 体辛くない?」
左目の違和感が無くなり、擦るのをやめて眉を寄せる。
「えっと、どういう意味ですか……?」
「だって、師匠が……」
ウキハが幼女と僕を交互に見る。
僕も同じように幼女を見る度に、左目が痛んで眉間を押さえた。
「ちょっとその左目見せて」
眉間を押さえていた手を取られて、上体が境界の外に出てしまう。
ウキハの目と視線が交差した。
藍色の目に映る僕の左目に、細かい粒子が漂ってるように見えて。
目の痛みが引いて行くのと同時に、その粒子も薄くなっていく。
「やっぱり。ロランの目、壊れかけの青水晶みたいに──。左目だけが、ぼく達と同じ……なのかな……」
ウキハの腕が離れて、左目に触れられそうになる。
反射的に身を逸らして、元の体勢に戻った。
「壊れかけってどういう意味ですか……。僕の左目に何かあるんですか……?」
──知りたくない。せっかく父さんが治してくれたはずだったのに。左目が痛むのも、変な物が見えるのも、気のせいだって思えなくなるじゃないか。ただの後遺症でも、ないのかな……。
左目を押さえて、ウキハにきつい眼差しを向けてしまう。
「……そんな睨まないでよ。傷付くからさ」
ウキハが額飾りをいじった。
はっとして謝り、左目から手を離す。
少し気不味くなって、夜空を見上げた。
「そっちの夜空はどんな空なの?」
横目でウキハを見る。
「こっちはまあ、濁ったいつもの空だけどさ。そっちの空はじっくり見た事無いんだ」
境界内の夜空は澄んでいて、月の光と星の瞬きが、降りてくる。
夜空から視線を水場に移すと、蛍の光が水面を漂い、水場自体が淡く光を放っているようにも見えた。
そのまま顔を横に向けると、ウキハは空を見上げたまま、ぼんやりとしていた。
「こっちの空は、澄んでて綺麗です。蛍も、砂も、空気も全部綺麗です」
ウキハがこちらを見て口を開く。
「だよね。知ってた。だからぼくは、そっちに行くのが怖いんだ。……見てるだけでいい」
ウキハが俯いて、額飾りを握る。
「綺麗なのが怖いんですか?」
首を傾げると、ウキハが俯いたまま頷く。
「それだけじゃないんだけど……だってさ、造り物みたいに綺麗過ぎて、現実感が湧かないじゃんか。ぼくはこっちの方が安心できる。ぼくはまだ生きてるって、実感できるんだ……」
ウキハが泥水に浸けていた足を、砂の上に引き揚げて、膝を抱えて体を丸めた。
「危険なのに?」
「危険でも、それが普通の世界だよ。境界内は綺麗過ぎて、息が詰まる……」
──腐敗の地が、普通の世界? 僕はそう思えない……。神木は世界を浄化してくれてる大切な存在だし。神木がない世界じゃ、普通の人たちは生きていけないから。神木守でも、腐敗の地だと命懸けなのに。
「ウキハさんの考えは否定しませんが、僕はこっちの方が安心できます」
ウキハから視線を逸らして、ツキカの街を見る。
真夜中だというのに、神木の花の光と、街から微かに流れてくる喧騒は、益々明るく、大きくなっていた。
「否定……しないんだ?」
小さく、嬉しそうな笑い声が聞こえた。
眉を顰めて、ウキハの方を見る。
「否定はしませんけど、納得もしていません」
ウキハはこちらに向かって、柔らかな微笑を浮かべていた。
「それでも、いいよ。別に」
ウキハが泥水に足を浸けた。
両手を砂の上に置いて空を見上げる。
片足で泥水を波立たせて、足先で蛍の腐怪を揶揄うように追いかけ始めた。
ウキハはしばらく無言で、蛍と戯れていた。
蛍の淡い光が揺れて、勝手に欠伸が出る。
口を押さえて、水面をぼんやりと見詰めた。
冷えた風が頬を撫でて行き、少し目が冴える。
「そう言えば、ウキハさん達は鳥使いの師弟なんですか?」
ウキハの顔を見ると、怪訝そうな表情をされた。
「……え? いや、はい?」
「あ、やっぱり、そうなんですね」
「……いやいやいやいや! それは無い! なんでぼくが鳥使いなんて! 鳥なんか、あのあほ鳥だけで十分だからッ」
ウキハが砂の上に立ち、全力で両手を振り回す。
その勢いに目を見開く。
ずるりと水場に落ちそうになり、慌てて足を砂に乗せた。
「えっと、すみません」
「いや、謝らなくてもいいよ。というか、ロランはなんでずっと敬語なの? ウキハって呼んでよ」
境界の外側から、ウキハが屈んで、こちらを覗き込んでくる。
「これが僕だからだと思います。変えようとすると落ち着かなくて」
「そうなんだ。面白いね」
それからどのくらい話続けたのか、僕とウキハはいつの間にか、肩を寄せ合って眠りに落ちていた。




