信念
崩れた場所から建物に入ると、床には所々穴が開き、天井は半分崩れて、濁った空が見えていた。
朽ちた家具のような物が散乱していて、どんな人たちが暮らしていたんだろうと、思いを馳せてしまう。
サラサは目を輝かせながら周りを見渡しているけど、物に飛び付こうとはしていなかった。
エルドは率先して夕飯の支度を始めていた。
僕は壁際に座って、両手で包み込んだままの小瓶を見る。
首紐が切れてしまっていた。
──もっと丈夫な紐にしないとかな。身に付けておくのが一番安全だと思ってたのに……。どうしよう。
ふいに手のひらに影が落ちてきた。
「それ何? 星の砂みたいで綺麗だね!」
肩を揺らして顔を上げると、サラサが小瓶を覗き込んできていた。
「これは、その……」
答えに詰まり、咄嗟に小瓶を鞄の中へ隠す。
「──あ、大切な物? ごめんね、勝手に見ちゃって! 何してるのかなーって見に来ただけだから。気にしないでいいよ」
自分の行動に内心首を傾げる。
サラサが背筋を伸ばして、両手を振りながら笑顔を浮かべてきた。
「……サラサは神木守の遺骨を見た事ないんですか?」
「えっ? どうして?」
サラサをじっと見詰めると、彼女は目を瞬いて首を傾げる。
「綺麗な表現をするんだなって思ったので」
「──もしかして、さっきの小瓶……ごめん! 本当に無神経だったよね。あぁぁ、反省しないとっ」
サラサが屈み込んで、顔を覆う。
「でも、言い訳じゃないんだけど、帝国では神木守って幼い頃から神木守堂に集められてて、私みたいな一般人だと近寄ることすら烏滸がましいというか。要するに、遺骨も実際には見た事無いんだよね」
彼女が指の隙間からこちらを見てくる。
「そうだったんですか。別に嫌だった訳じゃないんです。ただ、危ないから隠すようにと言われてて、咄嗟に……」
サラサがほっとしたように顔から手を退かして、口を大きく開けた。
「それはそう! だって、神木として芽吹く可能性がある、とても大切な存在なんだから!」
彼女が立ち上がって、拳を握り締めた。
「うるせぇー! つーか、なんで俺一人が晩飯用意してんだよ! 手伝えッ」
エルドの怒声が聞こえてきて、慌てて立ち上がる。
「すみません。今行きます」
「ごめんねー! 支度ありがとー」
サラサと頷き合った後、エルドの近くに寄り、夕飯の支度をした。
◆◆◆
雑談をしながら夕飯を食べて、暗い空を見上げる。
「ねえ、二人はツキカに着いたら何したいの?」
サラサに視線を向けると、彼女は興味深そうな目で僕とエルドを見ていた。
「僕は、海を知っている人がいないか、探したいです」
「さーな。着いてみねーと分かんねーだろ」
サラサがへぇーと小さく呟いて、ん? と眉を寄せた。
「海って、あの海? 童話に出てくる腐怪のこと?」
その言葉に目を丸くする。
「いやいや! 腐怪なんて探してません! 僕が探してるのは、空と繋がっているように見えるほど、どこまでも続く、透明で青い水の地の事です!」
サラサが呆気に取られたような表情をした後、ぱあっと目を輝かせる。
「おおー! そんな場所があるの!? 湖とかじゃなく?」
「湖は、端が見えるじゃないですか。多分海はもっと広大なんだと思います」
「へえぇ! 何そこ! 私も見てみたいんだけど。ねね、ツキカで海を知ってる人が居たらさ、私も一緒に行ってもいい?」
サラサの勢いに押されながら、助けを求めてエルドを見る。
彼は難しい表情で口を開く。
「海が本当に腐怪なら、不味くねーか? おいロラン。俺は死にに行くつもりはねーぞ。ツキカで海を知ってる奴が居なければ、もっと現実的な場所を探せ。じゃねーと、いつまでも芽吹けねーだろーが」
鋭い視線で見据えられて、ぐっと息を詰める。
「海が腐怪というのは、童話じゃないですか。僕の海は父さんが見たいと言っていた場所なんです。本人が望んだ場所じゃないと芽吹かないの、知ってるよね!?」
「望んだ場所でも芽吹かねーこと、あるだろーが」
エルドの言葉に、僕は唇を噛み締めて俯いた。
「望んだ場所とか、望んでない場所って、何の話? 芽吹く場所に意味があるって事!?」
顔を上げてサラサを見ると、彼女は驚いたような表情で、僕達に視線を向けていた。
「書物にはそう書かれているんです。だから、遺言は大切なんですけど、父さんはそれを残さなかったから……」
サラサが、片手で眉間を揉みながら、こちらにもう片方の手のひらを向けてきた。
「ごめん、ちょっと待って。さらっと流してるけど、あの小瓶の中身、ロランのお父さんなの?」
「あ、はい。そうなんですけど、サラサが重く受け止めてしまうかと思って。黙っててすみません」
サラサが空を見上げて、膝から崩れ落ちた。
「やっぱりー! 配慮に欠けててすみませんでしたー!」
「謝らないでください。大丈夫ですから!」
彼女の肩を揺すっても、彼女の顔は上がらない。
困り果ててエルドを見ると、彼は面倒くさそうにため息をつく。
「言っちまったもんはどうしても消せねーんだよ! 無神経な上に困らせる方が害悪だっつーの!」
エルドがサラサを見下ろしてきつい言い方をすると、彼女がゆっくりと頭を上げて、僕をちらりと見上げてきた。
「……私、困らせてた?」
「えっと、少しだけ」
「そっか……。ロラン、海はあるよ、きっと! だって世界はこんなに広いんだから! 私も、ロランが信じる海を見てみたいし!」
サラサが勢い良く立ち上がり、僕の手を取って大きく振り回してくる。
「あ、ありがとうございます。でも、ちょっ、離してくださいー!」
「よーし! そうと決まれば、まずはツキカで楽しもー!」
「た、楽しむってどういうことー?」
両手を振り回され過ぎて、目を回しそうになったとき、エルドが僕の手をサラサから解放してくれる。
両手をエルドに掴まえられているサラサが、とろんとした目を僕に向けてきた。
「えー? だってツキカは、歌とー踊りとー音楽のー。楽しそうな地。みたいだから──」
彼女はエルドの手から抜け出して、大きく欠伸した。
「やばいー。ねむーい。おやすみー」
「あ、はい。おやすみなさい……」
サラサが天井のある場所で、小さく丸まった。
すぐに平和な寝息が聞こえてきた。
「歌と踊りと音楽って何だよ。うるさそーな場所だな……」
「そうかな? ウキハは、夜に明るい場所って言ってたし、僕は面白そうだと思うけど」
エルドの文句に、彼を見てから首を傾げる。
「そーかよ。なあロラン、俺はマジで海を知る奴が居ねーなら、この旅に賛成できねーぞ。お前も良く考えとけ。どうするのが一番いいかをよ」
低い声で言われて、エルドから目を逸らす。
鞄にある小瓶を思い浮かべて、空を見上げた。
「……分かったけど、僕は海を信じてるから……」
エルドの深いため息が聞こえた。
それでも僕は、彼の顔を見なかった。




