事情
視界の端で、エルドが空を見上げて、叫びを呑み込んでいるらしい仕草が見えた。
「ロラン! ちょっと耳貸せや」
女性が何か話そうとしてきた瞬間、エルドに肩を引っ張られ、たたらを踏む。
「何?! 今、僕、急いでるんだけど!」
こうしてる間も、腐敗で苦しんでる人がいるのに! 手遅れになる人だっているかもしれないのに!
「お前の治癒、普通じゃねーだろ。どうやってるか知んねーけどよ、また倒れたらどーすんだ」
「そんなの後で考えるよ! 今は助けられる命を助けるだけッ」
できるのに、救えないとか有り得ない!
「落ち着け。今考えろよ。ここにはお前しかいねーわけじゃねえ。そこの女が言ってただろーが。まずは状況を確認しろ。動くのはそこからじゃねーのか」
低い声で言われて、眉を寄せながら女性を見る。
「命が危ない人はいますか? いるなら今すぐ案内してください。いなければ、先にこの地の事情を聞いてもいいですか?」
彼女は、視線を彷徨わせたあと、こちらに強い眼差しを向けて、口を開く。
「ケラスが……治癒系の神木守なんだが、彼がみんなを一度にまとめて治癒してくれている。だから、今は命が危険という程の者はいない」
早鐘を打っていた鼓動が少し収まり、安堵のため息が出る。
「ただ、理解しがたいことに、腐怪を浄化する力が、段々と弱まってしまってるんだ。私やケラス含めて、みんな……本来の力を発揮できなくなっている者もいる」
彼女が自身の手に視線を落として、暗く呟いた。
耳を疑い、戸惑いながらエルドに顔を向ける。
彼は眉間に皺を寄せて、女性を注視しているようだった。
「あの、それって」
充分な治癒ができてないってことだよね……。とりあえず、苦しんでる人たちを治してから、詳しい状況を教えて貰おう。
「やっぱりケラスさんを手伝うためにも、その場に案内して貰いたいんですけど、いいですか?」
エルドの視線が突き刺さる。だけど、その視線を跳ね返すように、僕は女性を見る目に力を込めた。
彼女は戸惑ったように目線を揺らして、頷いた。
「助かる……ありがとう。神木守堂に案内しよう」
彼女は弓を片手に僕とエルドに向かって頭を下げたあと、背筋を伸ばして颯爽と歩き出した。
◆◆◆
境界内だけど、胞子が漂い、地面は枯れ草と花畑の斑状になっていた。
「少し前までは、ここに一面の花畑が広がっていたんだ。今は……見る影もないだろう……?」
女性は歩きながら、独り言のように語る。その声音には、隠しきれないやるせなさが混じっていた。
「あそこの家には、若い夫婦が暮らしていたし、向こうの小屋には、猟師が住んでいた。……みんな、他の地に移動してしまったけれど。いい人たちだったんだ……」
遠くに点在している家々を指差して、彼女は呟いた。
「神木が腐ったから移動したのか?」
今まで黙っていたエルドが、腰に手を当てながら言葉を発した。
「……いや、違うんだ。彼らは、豊かな生活を夢見て、他の地に向かってしまった。この地は、岩山に囲まれてるし、よく天候も荒れるから……暮らしづらかったんだろう」
女性の言葉に目を瞬く。
──移住しちゃったんだ。あれ? それなら、イオール様と他の神木が繋がってたのかな。
「あの。別の神木と境界が繋がってたんですか? それとも、今もまだ繋がってるとか」
「近くに他の神木があるだけで、繋がったことはない。彼らは神木守を伴って、それぞれの目的地に旅立ってしまったんだ」
彼女の返答を聞いて首を傾げる。
──ちょっと待って、混乱してきた。つまりどういうことだろう。神木が腐敗に侵される前から、この地の人たちは減っていて、神木守も移動したまま、戻ってきてないってこと?
「つーことは、そいつらはイオール様を見限ったんだな……」
女性の表情が痛そうに歪んだ。けれど、彼女は直ぐに眦を吊り上げエルドを睨み付けた。
「ちょっ、エル──?」
エルドに肩を引かれて言葉が途切れる。
「今からエルドって呼ぶんじゃねー。どうしても呼ぶ時はカイって呼べ。ここにエルドの名を残したくねーんだわ」
耳元で凄まれて、訳も分からず頷いた。
──名前を残したく無いってどういうことだろ……。間違えて呼んじゃいそうなんだけど。気を付けよう。
「それから、その小瓶はぜってー周りに見せるなよ。何があるか分かんねーからな」
胸元の小瓶を指し示され、腑に落ちないまま頷いた。
「……話は終わったか? もうすぐ着くんだが……」
前を歩いていた女性が立ち止まって、困惑したような目線を向けてきていた。
「あ、すみません。もう終わりました」
エルドが険しい表情のまま、僕の背後に移動するのを横目で見ながら、僕は女性の方に歩み寄った。
周りがまだ腐敗していない場所に、物見櫓と簡単な造りの堂が建っている。
あそこが、神木守堂なのかもしれない。
堂まで近付いた時、斜め前を歩いていた女性が立ち止まり、僕たちの方を向いて、姿勢を正した。
「名乗りが遅くなってすまない。私は堂主のレイアだ。イオールの地にようこそ」
瞬きをして、慌てて姿勢を正す。
「ど、堂主様だったんですね。えっと、馴れ馴れしくしてすみませんでした!」
勢い良く頭を下げると、レイアの咳払いが聞こえてきた。
「気にしていない。それに、頭を下げる必要があるのは、私の方だ。歓迎もできずに、手を煩わせることになって申し訳ない」
顔を上げると、レイアが気まずそうな表情を浮かべていた。
「僕はロランと言います。あの、早速なんですけど、ケラスさんの元に」
「ああ。案内しよう」
レイアが堂の扉を開けて、僕たちを招き入れてくれた。




