イオールの地
女性は長い金髪を風に靡かせて、こちらを睥睨してきている。
エルドが人の姿に戻ると、彼女は弓に矢を番えたまま、体を大きく揺らした。
「……向こうには岩山しか無いはずだ! どうやって、どこから来たんだ? 答えろ!」
戸惑いを含んだ切羽詰まったような声だった。
さっきのような鋭さは薄れていて、少し胸を撫で下ろす。
「岩山を越えてきました! あの、ルミアの地から来たんですけど、分かりますか……?」
沈黙の後、彼女が弓を引き絞った。
「信じられん! あそこには巨大な腐怪が巣食ってたはずだ! あやしい奴らめ!」
「わっ! 待って、待ってください!」
慌てて大きく手を振る。
「問答無用ッ」
「つーか、俺らがあやしい奴なら、あんたとっくに俺にやられてんだよ! それくらい分かれや!」
「なんだと!?」
女性の手から矢が放たれる寸前、物見櫓よりも向こうの方から、地響きが聞こえ始めた。
彼女は素早く弓を脇に抱えて、物見櫓の梯子を数段飛ばしで駆け下りた。
次の瞬間、大きく地面が揺れて、僕は咄嗟にエルドの肩を掴んだ。
「……イオール様……どうして、こんなことに。もう、私たちには、どうすることもできない……のか?」
激しい揺れの中、風に紛れて聞こえてきた女性の声に薄目を開けると、彼女は物見櫓の奥の方に体を向けて、項垂れていた。
激しい揺れは徐々に小さくなって、止まった。
エルドの肩を全力で掴んでいた手から、力が抜ける。
彼が女性の方に歩き出して、僕は引き摺られそうになりながら歩いた。
「おい、この地の神木は寿命か?」
エルドが女性に声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
「……そんなわけが、ないだろう……。イオール様は……腐怪に……巣食われて……」
彼女の腕が虚空を彷徨い、指先が一点に向けられた。
指先を辿ると、そこには胞子の渦で濁った、腐りかけの、神木と呼ぶのが憚られるくらいに、黒ずんだ神木が、存在した。
無意識に口元を押さえる。
どっと冷や汗が浮き出て、呼吸が浅くなった。
神木の周りを腐怪が飛んでいる。枯れかけの枝に腐怪の巣ができていた。
「おい、ロラン。大丈夫か?」
「だ、大丈夫、じゃない……エルドは、どうしてそんな──」
平気そうなの……?
「大丈夫そうってか? んなわけねーだろ……。もっとやべーの見たことあるだけだっつーの」
肩に置かれているエルドの手が、微かに震えているのを感じ、はっとする。
「……ごめん。無神経だったみたい。そうだよ……あんな状態の神木を見て、平気でいられる人なんていないよね」
「……それは、どーだろーな。つーか、ロランこそ、長年旅してたんだろーが。なんで見たことねーんだよ」
訝しげな視線を向けられて、首を傾げる。
いつも旅の道を決めてた父の姿が脳裏を過ぎった。
「……危なそうな道は、父さんが避けてたから……僕はあまり危険な目に遭ったことがなくて。見たことがないのも、そのせいかもしれません」
胸元の小瓶を握り締める。
──僕は、思ってたよりずっと、父さんに大切にされてたのかも……。顔が見たいな……。
俯いて唇を噛んだ。
「過保護じゃね? あんたの父親、よく分かんねー。でもまー、お前が変わってる原因の一端は分かった気がするな」
聞き捨てならない言葉に口を開きかけた時、こちらをじっと見ている女性に気が付いた。
「あの、どうしたんですか?」
「……いや、本当に、旅人なのかと思ったんだ……。疑ってすまなかった……」
彼女はぼんやりとした表情で言うと、金色の目を陰らせる。
「でも、どうか分かって欲しい。私にはもう、何が正しいのか……どうしたらいいのか、分からないんだ……」
彼女が唇を噛んで言葉を途切らせた。
「つーか。あんたは神木守なんだろ。なんで、神木守が残ってんのに、神木が腐ってんだ? おかしいだろーが」
エルドのきつい言葉に、彼女は視線を尖らせ、すぐに目を伏せた。
確かに、神木守が境界を守ってるのに、どうしてあんなことになってるのかな。それに、神木に巣食ってる腐怪を、なんで浄化しないんだろう。
「えっと、この地に残ってるのは、もしかして、貴女だけだったりするんですか……? 他の人たちはどこに?」
彼女が揺れる眼差しをこちらに向けてくる。
「残ってる。……残ってるけど、もうみんな限界なんだ……。ケラスも頑張ってくれてるけど、手が足りない……」
「それって」
「治癒系の力を持った神木守が、ケラスしかいないんだ……。もう、何人も、私が──」
彼女が片手を空に伸ばして、その手のひらを凝視した。
「あの! 腐敗に侵されてる人たちがいるんですね?」
「おいロラン!」
視界の端にエルドの険しい表情が映る。
祭祀長の忠告と、父の言いつけ。それらが頭の中を駆け巡り、それでも口は勝手に動いていた。
「僕は、治癒系の神木守です。その人たちの元に案内してください」
女性の目が見開かれて、その表情が複雑に歪んだ。




