左目
岩山を途中まで降りた後、結局エルドの背中に乗せられて、崩れた棚田らしい地面に降ろされた。
人の姿に戻ったエルドが、棚田で動いている稲の腐怪を焼き払っているのを横目に、焚き火の支度をする。
エルドが浄化した腐怪を持ってきたから、それを煮詰めながら、ため息をつく。
「僕もあの子みたいに、腐怪を飼い慣らせたらエルドに迷惑かけなくて済むのに」
「は? 何言ってんだ。腐臭で鼻が曲がるだろーが、ふざけんな!」
エルドに睨み付けられて、眉が下がる。
でも、そうかも。例え大人しい腐怪がいても、溶けかけてるから、乗るのは難しいよね……。
「そういや、ロラン。お前、左目何かあんのか?」
彼がお椀に煮詰めた料理をつぎながら、目線だけ向けてくる。
「えっ? なんで?」
反射的に左目を覆ってエルドを見る。
「あの腐臭がするやつが言ってたろーが。その左目ってよ。どうなんだ?」
「腐臭がするって、ウキハさんのこと?」
泥まみれだっただけで、エルドに腐臭がする人と思われているウキハに同情する。
エルドが首を傾げた後、眉を寄せて頷く。
「ああ」
彼にじっと見られて、視線を彷徨わせる。
──ウキハさんは、僕の左目に何を見たんだろう。やっぱり、父さんの治癒でも、治り切らなかったのかな……。だったら、たまに左目が痛んで、見えた気がしてた光景は、勘じゃないとか……? いや、きっと疲れてるだけ……。
「ちょっと無理したときに、生死の境を彷徨ったらしくて……。でも、もう治ってるんです。ただ、たまに痛んで、変な光景が見えることがある気がするだけで……」
あの時のことは思い出したくない。父さんを治して、逆に倒れて、目覚めたら数年経ってるし。父さんには泣かれるし、怒られるし、頭と心臓は治癒禁止とずっと言われ続けることになったから……。
「そーか。今はどーなんだ? 痛くねーのか」
エルドが食事の手を止め、鋭い視線を向けてくる。
「今は全然痛くないです。なんていうか、ふとした時に痛む感じで。気のせいかなって思うくらいの」
焚き火を見詰めて答えると、エルドが立ち上がる気配を感じて、顔を上げる。
「まあそんくらいなら、旅すんのに、支障はねーな」
ツキカがあると言われた方角を見ている彼に、僕は顔の強張りが緩むのを感じた。
「はい。特に支障はないです」
「……けどな、痛みが酷くなったりしたら言えよ。隠すんじゃねーぞ。分かったか」
横目で見下ろされて、少しだけ笑いが零れ落ちた。
「ニヤニヤすんじゃねー! 何だよ!」
「……すみません。心配してくれてるんだなーって思って。ありがとうございます」
笑顔を向けると、エルドの顔が険しく歪んだ。
乱暴な言葉も飛んできたけど、気にならなかった。
でも、やっぱり、エルドに乗って移動するのは嫌だな……。僕は普通に歩きたい。腐敗の地でも、境界内でも、地面を踏み締めて旅したいんだよなぁ。
◆◆◆
翌朝、棚田の畦道を踏み締めて歩きながら、僕は周りの景色に首を傾げていた。
「家が崩れてない……。まだ人が住んでるみたいな……ここ、腐敗の地だよね?」
「……ああ。近くに、神木がありそーだな……」
少し考えて、はっとする。
「境界が狭くなっちゃったんだ……どうして」
「さーな。……寿命か……それとも」
「寿命?」
眉を寄せてエルドを見ると、彼は唇を引き結んで黙り込んだ。
──神木の寿命とか、意識したことなかった。でも、そうだよね……神木も、いつか自然に還るんだ。
足元に視線を向ける。
左目に違和感が走ると同時に、地面から胞子が溢れてきて見えた。
次の瞬間、地面が揺れて、視界がぶれる。
横からエルドの舌打ちが聞こえた途端、彼の姿が霞んで、いつの間にか体が狼の背に乗っていた。
「ちょ、何!? せ、説明ー! 説明してくださ──」
棚田の景色が勢い良く後ろに流れて行く。
風圧に体が浮きそうになり、必死で毛皮を掴んだ。
棚田が途切れ、林の中に突っ込み、一気に視界が開ける。
腐臭に混じって、うっすらと甘い香りが漂う。
境界に、入った……?
「またかッ! イオール様の地を汚す腐怪め!」
前方から意志の強そうな声が響いてきた瞬間。
頭上を雷撃のような激しさで、矢の先端が通り過ぎて行った。
喉の奥から悲鳴が漏れる。
「止まらないと撃つ!」
さっきと同じ女性の声。
次々と飛んでくる雷撃。
エルドの体が上下左右に揺れて目が回る。
片手で口を押さえて、胃液を呑み込んだ。
──待って、止まってるし、言う前にもう撃ってるんだけど!
「う、撃たないでください……吐きそう! 腐怪じゃ、ありませんッ」
訴えが功を奏したのか、雷撃が止んだ。
みぞおちを撫でながら、ふらふらとエルドの背から降りる。
滲む視界で顔を上げると、薄く胞子が漂う景色の中で、物見櫓からこちらに弓を構えている、金髪の女性が見えた。




