名前
崖の上で、夜を過ごすことになった。
夜風に震えながら、焚き火に手を近づけて温まる。
岩場にいるエルドをちらりと見ると、ルミアの村人から貰っていた蜂蜜酒を片手に、遠くの方を見ているようだった。
「エルドはツキカという地には、行ったことありますか?」
「……ねーな。あんたは行ったことあんのか?」
聞き返されるとは思わず、言葉に詰まる。
「僕も、ないです。でも、海への手掛かりがあるかもしれなくて」
海までは無理でも、ツキカを探すくらいなら、一緒に行ってくれるかな。
「そーかよ。ツキカがどこにあるのか、知ってんのか?」
エルドから目を逸らして、焚き火を見詰める。
「……知りません。でも、ルミアの子どもが歌ってたんです。だから、行ける場所にあると思うんです。海よりは近くに」
無意識に胸元の小瓶を握り締めた。
「なあ。その手の動き、すげー気になんだけど。なんつーか、きもい」
目を丸くする。
「いや、はあっ!? これは! 父さんの──」
小瓶を取り出そうとして、ゲンヤとシュンに止められたことが頭を過ぎる。
逡巡して、結局、首元に触れてる紐を引っ張り、小瓶を取り出した。
エルドは多分、盗んだりする人じゃない。だから大丈夫……。
「……待て、それは、まじか……」
エルドが小瓶の中身を凝視して、呟いた。
「父の遺骨です」
彼が言葉を発しようとして、髪を乱暴に掻き上げて、空を見上げた。
「……そういうことかよ。何? 海が、遺言だったのか?」
「……父は遺言を残さなかったんです。だけど、僕が父の側で俯いてると、よく、海を見せてくれと、言ってたんです」
父さんは動けなくなってからは寝台に座って、窓の外を眺めてることが多かった。
父さんの側を離れたくなくて、ずっと傍にいた。
父さんの膝でうたた寝してると、よく、海が見たい、見せてくれと言われて、目を覚まして父さんを見ると、僕を見て穏やかな表情を浮かべていた。
海を見せることはできなかったのに、父さんはなんであんな穏やかな表情をしてたんだろう……。
「……それって、海まで運んで芽吹かなかったらどーすんだよ。つーか、それ持って一人旅してんの異常じゃね!? 普通、仰々しいぐらい護衛つけて移動するだろーが」
エルドが顔を覆って、深くため息をついた。
「僕は芽吹いてくれると信じてます。それに、僕は本当に海を見てみたいんです。父さんが語ってくれた風景を、この目で」
エルドに笑いかけると、彼は蜂蜜酒を呷って、こちらを目を眇めて見てきた。
「……あー! しゃーねえ……。一緒に行ってやる」
その言葉を聞いて目を見開く。
エルドが額を押さえて唸っている。
「良いんですか!? 海まで?」
「お前のためじゃねー! 俺は、その種をまも……芽吹くのを見守るために行くんだ! 勘違いすんじゃねーぞ!!」
エルドに向かって身を乗り出すと、彼は手で小瓶を指差して、こちらから顔を背けた。
「ありがとうございます! これからよろしくお願いします」
「うぜー! 寄ってくんな」
握手をするために手を差し出しただけなのに、後退りされて、手を彷徨わせた。
「すみません……。あの、一つ思ってることがあって」
握手は諦めて彼を見ると、嫌そうな表情をされた。
「……何だよ」
「一緒に行くからには、名前で呼んでくれませんか? いつまでも、お前とか、あんたとか呼ばれてると、僕もさすがに寂しいんです……」
ぎこちなく笑いかけると、訝しげな表情をされて、首を傾げる。
「……名前で呼んだことなかったか?」
「はい! 一度も呼ばれたことないんですけど」
もしかして、忘れられてる?
「僕の名前はロランです」
「それは、知ってる。あー、俺はカイだ」
目を見開いて彼を凝視すると、彼が頭を掻きながら、僕から視線を逸らした。
──カイって誰? エルドって名前じゃなかったの……? もしかして、僕の方が失礼なことしてた!?
「え、あの、すみません。カイさんって呼んだ方がいいですか!?」
「……いや。エルドでいー。つーか、エルドって呼べ」
眉を寄せると、彼が口の中で何事か呟くのが見えた。
「分かりました」
なんでエルドと呼ばせてくるのかはよく分からなかったけど、それが彼の希望ならと頷いた。




